9:デート? いいえ、お仕事です!
「さっちゃん、どうしたの?」
「おはなのいろがないの」
家の縁側で、座り込んでいる小さな女の子と、その子に話しかける歳を取った女の人。
――あれは、小さい頃の私。と、おばあちゃんだ。
懐かしいな。幼稚園の頃はよくああやって、おばあちゃんの家の縁側でお絵描きをしていたっけ。
おばあちゃんは、クレヨンの箱の中から、ピンクのクレヨンを手に取る。
「これかな?」
「ううん、それだとちがう……」
そう言って小さい私は、何かを見上げる。
視線の先にあるのは、庭――大きな桜の木。
確かに、桜の色を表すには、クレヨンの色は濃すぎるかもしれない。
納得いかなさそうな小さい私を見て、おばあちゃんが言う。
「そうだねぇ……あっ、いいものがあるよ」
そして一度家の中に引っ込むと、カバンのようなものを持ってきた。
チャックを開けると――絵の具の箱に、筆のケースに、白いパレット。
あっ! と小さい私が声を上げる。
「……えのぐだ!」
「そう、絵の具だよ。一緒に使ってみようか?」
小さい私が握った筆に、おばあちゃんが手を添えて。
パレットに白と、ちょっぴりの赤。
くるりくるりと混ぜ合わせれば、マーブル模様からだんだんなじんで――淡い色が出来上がる。
白色より濃く、ピンク色より薄い、桜色だ。
「わあ……!」
小さい私は、目をきらきらに輝かせていた。
未知のモノを見つけたみたいに。
新しい世界にときめくみたいに。
「すごいすごいっ、まほうみたい!」
「ふふっ。さっちゃん、気に入った?」
「うんっ!」
元気に返事をした小さい私は、さっそく紙の上に筆を滑らせる。
それは、一見ぐちゃぐちゃなようで――でも、とてもいきいきとした景色を、描き出していた。
*
『――おはようございます……アクアちゃんです……。今、サクラの脳内に直接話しかけています……』
「テレパシーでモーニングコールしないでくれる!?」
ばっ! と毛布をつかんで飛び起きる。
時計の針は九時を指している。いつもなら学校が始まっている時間だけど、今日は土曜日……お休みだから寝坊ではないわ。
『おはよう咲良。元気そうだね』
「……ネロくんまで。どういうメカニズムなの?」
『ああ、魔法の筆をアンテナ代わりにして声を送っているのだ! あの筆は、ワタシの魔力とリンクしているからな』
なるほど。
魔法の筆とパレットは、ベッドのすぐそば、机の上に置いてある。
これでスマホがなくても連絡ができるのね……。女神様のチカラってすごいわ。
『で、だな。実はコロルの反応が見つかったんだ。調査に来てほしいんだが……』
「あら、そうなのね」
特に予定はないし、まあ、断る理由はないわね。
何だか最近は、魔法のチカラを使うのも楽しくなってきたし……。
「任せてちょうだい! ばしっと捕まえてみせるわよ!」
『ふふっ、いい返事が聞けてうれしいよ。それじゃあ、待ってるからね』
その言葉を最後に、声は聞こえなくなった。
「ふぅ……」
夢の後味に浸る間もない、慌ただしい目覚めだったわね。まあ、こんな朝も新鮮で悪くないわ。
さて、と。
「……リトルテディ、由々しき事態よ」
脳内のお友だち、もといアドバイザーに呼び出しをかける。
「どんな服を着ていけばいいのかしら」
『……普通ので良くないですか?』
「だって、あのネロくんと並んで歩くのよ? あのキラキラ王子様の隣よ? 適当な服は着ていけないわ!」
『はぁ……』
思えば、男の子と一緒に出かけるなんて初めてのことだ。しかも、わざわざお休みの日に。
(何だか……デートみたいな?)
い、いけない、意識しちゃうわ。ぽっと熱くなった頬を、手で覆う。
そんなつもりじゃないのに。ネロくんとは、そんな関係じゃないのに!
『お仕事ですよ、コロル探しのお仕事です』
「そっ、そうよ! 何を考えてるの、私ったら……」
『それに、二人きりじゃなくて、アクアちゃんさんもご一緒ですからね?』
……その点では、ちょっと安心できるかしら。
それにしても、こんなこと気にするなんて、私らしくないわね。もっと堂々としていないと。
待ち合わせは、いつもの公園で。
「おはよう、咲良!」
ネロくんが、到着した私に手を振っている。
その格好は――黒いシャツ、黒い上着、黒い手袋に黒いズボン。
(……やっぱり、黒い服なのね)
対する私は、白いブラウスに、淡いピンクのスカートだ。
……ネロくんとのコントラストがすごいことになっている。服選び、ミスったかしら。
「かわいい服だね」
「! ……そ、そうかしら」
「うん。春らしくていいと思うよ」
ああもう、すぐにそういうことを言うんだから。かわいいなんて言われたら、どうしたってうれしくなっちゃうじゃないの。
デートじゃないって言ってるそばから、デートみたいな褒め言葉を使わないでちょうだいよ……!
浮かれてしまいそうな気持ちを、ぐっと押さえつける。ああ……リトルテディが、冷ややかな目でこちらを見ているような気がするわ……。
私たちがたどりついたのは、町中のとある塀の前だった。
「え……この中から探すの?」
塀にびっしりと絡みつくツタの葉。一面に広がる、みずみずしい緑色。
「この中から、探すの!?」
「二回言ったな」
「うぅん……でも、ここにいる可能性は高いと思うんだ。木を隠すなら森の中、と言うし――『アイビーグリーン』のコロルにとって、ここは絶好の擬態スポットだろう?」
そう、それが今回のターゲット。
ツタの葉の色、アイビーグリーン。深い黄緑色のコロルなんですって。
それにしても……これ、どこから探せばいいのかしら。
「というか、コロルがいるのが上の方だったら、そもそも届かないわよね?」
「ああ、それなんだけど」
と、そう言ったネロくんのシルエットが、みるみる溶けて固まって――小さな黒い鳥さんに変化した。
「……なるほどね」
そういえばネロくん、その姿にもなれるんだったわね。
鳥さん――もといネロくんが、黒いくちばしをぱくぱくさせる。
「これで飛んで、様子のおかしい葉がないか見てみるよ」
「あなたその姿で喋れるの!?」
「ああ、うん。初めて会った時は、喋る鳥なんてびっくりさせてしまうかと思って、喋らなかったんだけど」
「喋らなければ喋らないで怪しかったけどね。というか、鳥が人に化けた時点で大びっくりよ」
やっぱり、イロドリ王国の常識は、私たちの世界のものとはズレているのかしら……。
鳥になったネロくんが、風を切って舞い上がる。黒い羽は青空にもよく映えている。
「じゃあ、このあたりから……」
塀の一番上、右端の方からゆっくりと、ネロくんが水平に飛び始めた。私はその姿を、目で追いかけていく。
様子のおかしい葉、様子のおかしい葉……。そう唱えながらじっと見ていると。
風もないのに、一枚の葉がカサカサと下の方に動いたのが見えた。
「……あ!」
ぱっと手を上げて、ネロくんに合図する。
「今! 葉っぱが動いたわ!」
「咲良も見えたかい?」
これはたぶん、見間違いじゃないわね。あの葉がコロルってことなんでしょう。
「今から僕が、そっちに誘導するから……近くまで来たら、いつもみたいに筆で捕まえてくれるかい?」
「分かったわ、任せて!」
ネロくんがゆっくりと、高度を下げていく。
それに合わせるように、すすす……とツタを下って、葉が移動してくる。ここまで分かりやすいと、何だか面白いわね。
頭の上あたりまで来たところで、私は背伸びをして腕を伸ばした。
「よっ……と!」
筆先が触れると、とぷん、といつものように葉っぱが溶けて消えた。
「よーし、任務完了だな!」
アクアちゃんがガッツポーズをする。今回は完全に見守り役だったわね、この女神様。
とにかく、今日は何事もなくコロルを捕まえることができてよかったわ……と、さっきまでのことを思い出して。
(……あれ?)
私は、小さな引っかかりを覚える。
そういえば、『コロルは人間に見られている時には動かない』って――アクアちゃんが言っていたはずだけど。
(ネロくんが近付いたら、動いたわよね……?)
それも……何だか、逃げるみたいに。
思えば、『ダブグレー』のハトも、ちっとも止まらずに逃げ続けていたし。
(まさか、ネロくん……コロルに、避けられてる?)
いや、でも、どうして。
ネロくんは、アクアちゃんのために……コロルを取り戻そうと、がんばっているはずなのに。
私はコロルに触れられるのに、なんでネロくんだけ……?
「……どうかしたかい、咲良?」
「あ、ええっと……」
どうしましょう、本人に聞いていいのかしら。
と……顔を上げたとき。私はネロくんの後ろの方……塀の切れ目の曲がり角に、視線が吸い寄せられた。
何かが、いる。
「何かしら、あれ……」
幼い子どもくらいの背丈で、フードを被り、棒のようなものを手にしている。体は丸っこく、手足は短い。
そして……ネロくんのように、黒ずくめの格好だ。
(……本当に何? ゆるキャラの着ぐるみか何か?)
少なくとも、普通の人間には見えない『それ』は――ぴょこ、ぴょことこちらに近寄ってくる。
ネロくんに聞こうと思って、隣を見ると。
その目は、私以上に『それ』にくぎ付けになっていた。
「あの黒い服……それに、あの杖……」
そう呟いてネロくんは、私の肩に乗ったアクアちゃんと、静かに目を合わせる。
「……アクアちゃん」
「うん……ワタシも分かるぞ」
小さくうなずいて……いつになく真剣な顔をして、彼女は言った。
「あれは、おそらく――『魔女』の仲間だ」
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