8:ニセモノのお姫様

 その次の日。

 教室に入って席についた私に、奈帆さんが話しかけてきた。

「姫ちゃん姫ちゃーん……そろそろ教えてよぉ」

「お、教えるって何を?」

「分かってるくせに! 昨日の男の子のことだよっ!」

 ……やっぱり。

 昨日、教室に戻ってきたときも聞かれたのよね。そのときは結局、すぐに授業が始まってしまったから、曖昧な返事で終わったんだけど……。

 気になって仕方がないみたいね。目がキラキラしてるんだもの。

「すっごくカッコいい子だったじゃん! 王子様って感じの!」

 王子様、ねぇ。

 やっぱり私以外から見ても、ネロくんの印象はそうなるらしい。

「さあ白状しな! あのイケメンの御仁は一体どなたで!?」

「武士みたいなしゃべり方になってるわよ……!」

 ともかく、何かしらの答えを出すまで、引き下がってはくれないみたいね……。

 はぁ、と私は息をつく。

「……ちょっとした知り合いよ。学校を案内してほしいって頼まれたの」

「ふぅーん……?」

 奈帆さんはにやにやと私の顔を見る。

「姫ちゃんにもついに春が来たんだねー……。あんな王子様みたいなカレシだったら、『姫ちゃん』にぴったりじゃない?」

「だからっ! そういうのじゃないわよ、あの子とは!」

「んふふー」

 ……でも、本当に『そういうの』じゃない。

 ネロくんは誰にでも甘い言葉をかけられる子なのよ。勘違いしちゃいけない。

 それに……あんなキラキラの王子様、私には釣り合わないわ。

(だって、私は……)


 放課後、美術室。

 教室の真ん中に置かれた、野菜と果物が盛られたカゴを、スケッチブック越しにちらりと見る。

(トウモロコシは……バレてなさそうよね?)

 あれがまさか、私が描いたモノだとは思わないでしょう。恐るべし、パレットの魔法。

 さて、課題に取りかかりましょう。まずは下描きから、やっていかなきゃいけないんだけど……。

(そうね。『私らしさ』を生かすなら……)

 ……下描きの時点で、型に当てはめすぎないようにしてみましょう。

 捉えるのは、カゴに盛られたモノの大まかなシルエット。一つ一つを、よく観察して。

 キャンバスを自由自在に彩るための、下ごしらえ。そう思えば、退屈なんかじゃないでしょう?

「ここがこうで……こうなって……と!」

「お~。姫ちゃん、何だかいきいきしてるね~?」

「ふふ。私らしく描いていいって学んだから、かしら?」

 実際、この前のデッサンよりも筆の進みがいい。大まかすぎるって言われるかもしれないけど、行き当たりばったりのこれが、私らしい絵の描き方なのよ。

 心のままに、感覚のままに。きっと私は、それでいいの。

「のぞみさんは、調子はどう?」

「ん~、わたしも結構イケてると思うよぉ!」

 そう宣言して、のぞみさんは私にスケッチブックを見せる。

「じゃん! 野菜と果物の妖精さんだよ~!」

「まあ……! すごくいい発想ね!」

 カゴに盛られたもの一つ一つに、目や口がついている。ぎゅっと集まっておしゃべりをしているみたい。まだ下描きだけど、すでに楽しそうな気配が伝わってくるわ。

 相変わらず変化球なセンス……でも、それがのぞみさんの強みよね。

「ねえねえ。古屋くんは、どんな調子~?」

 スケッチブックを抱えたまま、のぞみさんは隣に座る古屋くんの方へと身を乗り出す。

 そんな古屋くんは……のぞみさんの絵をちらりとだけ見て、視線を手元に戻した。そして、

「……くだらないな」

 そう、冷たく言い放つ。

「そんなの描いても、ロクな評価もらえないよ」

「……」

 それはそう、かもしれないけど。でも、そんな言い方しなくたっていいじゃない。これは授業じゃない、自由に描いていい、って言われてるんだから。

 そう思ったのは、のぞみさんも同じみたいで。

「え~? 他人の評価なんてどうでもいいでしょ。わたしはわたしの好きなように描きたいの~!」

「……どうでもいい?」

 そう言った、途端。

 古屋くんの薄茶色の瞳が、ぎろりとのぞみさんを睨む。

「お前、よくそんなことが言えるな」

(えっ……?)

 明らかに、空気が変わった。

 これまでの古屋くんも、私たちに対してあまりいい印象を持っていない様子ではあった。

 でも、今は――その口調にはっきりと、『怒り』が含まれている。

 対してのぞみさんは、むっと眉間にシワを寄せた。

「……何、その言い方~? 好きなように描いて何がいけないの?」

「ちょ、ちょっと、のぞみさん……」

 マイペースなのぞみさんには、古屋くんの感情があまり伝わっていない様子。

 これは……まずい。かなりまずい予感がするわ。

 そしてその予感は、どうやら的中してしまったみたいで……。

「向上心のないお前たちには分かんないだろ。こっちは一回一回、必死で描いてんだ。そんなおふざけなんてしてる暇ないんだよ」

「は~? 『おふざけ』とか、『くだらない』とか~……わたしだってわたしなりに真剣に描いてるんですけど~!」

 完全に、言い合いが始まってしまった。今にもケンカが勃発しそうな雰囲気だ。

(と……止めなきゃいけないわよね……?)

 でも、どうしよう。入っていけるスキがない。

 二人とも、イライラしてる……。

 私が何もできないまま、おろおろと二人を交互に見ていると。

 ――ガララッ!

「……!」

 扉が開いて、木下先生が入ってくる。

 それに気づいた途端、のぞみさんと古屋くんは、はっとして椅子に座り直した。

「……ん? 何かあったのか?」

「いえ~? 何にもないですよぉ」

「……」

 先生も何となく変な空気を察しているみたいだったけど……二人はそれをごまかす様子だったから、私もそれ以上は何も言えなかった。


 ――結局そのまま、のぞみさんと古屋くんは一言も会話をすることなく、部活の時間は終わったのだった。


『怖かったですねぇ、姫さま……』

「ええ……」

 帰り道、公園のベンチに座って、リトルテディと夕日を眺めながら……そろりと、スカートのポケットから『お守り』を取り出す。

 ――それは、桜の押し花をラミネート加工したしおり。

 中学校の入学祝いに、『学校生活がうまくいくように』って、おばあちゃんがくれたものだ。

「……」

 しおりを、きゅっと握る。

 心細いとき、勇気を出したいとき――こっそりポケットに入れた大事なものを、お守り代わりにしてきた。時にはキーホルダーだったり、時には小さなぬいぐるみだったり。

 そしてそれは、今も。

「……古屋くんは、のぞみさんの言葉の何が地雷だったのかしら」

『他人の評価は関係ない、好きなように描きたい……のぞみさんが言ってたことって、絵を描く上での真理ですよねぇ』

「古屋くんは、そうじゃないってこと……? ああもう、分からないわ……」

 リトルテディと話してもまだ、考えがまとまらない。何だか今日は、疲れてしまったみたい……。

 ……と、そのとき。

「やあ、咲良」

「……!」

 はっとして振り向くと、そこにはネロくんがいた。

 ……ぐるぐる考えすぎていて、気づかなかったわ。

「ごめんね。『お友だち』と話している時に、邪魔してしまったかな」

「……あ、」

 ――『お友だち』?

 ここには私とネロくんしかいない。なのにそう言うってことは、

「……気づいてたの? リトルテディのこと」

「何となく、ね。咲良は時々、自問自答のようなことをしているなって思っていたから」

「そう……」

 ……リトルテディと話すときは、うっかり声に出してしまわないよう気をつけていたつもりだけど。

 分かる人には、分かっちゃうものなのね。

「リトルテディは……いつでも私の話を聞いてくれるし、問いかけに答えてくれるのよ」

「大切なお友だちなんだね」

「……イマジナリーフレンド、だけどね」

 私は『お守り』をポケットにしまいながら、話す。

 ニセモノのお友だちとの、大事な大事な思い出について。

「小さい頃、おばあちゃんの家にあったぬいぐるみのテディと話していたのが始まりだったわ。学校にぬいぐるみを連れてくることはできないから、頭の中でその分身と会話するようになって……それで、こうなったの」

「そうなんだね。昔からの付き合いなんだ」

「ええ。私の、一番のお友だちよ」

 一番のお友だちがイマジナリーフレンドだなんて、おかしいのは分かっている。

 そう……私のことは、私自身が、誰よりも分かっているのよ。

「私、変な子なの」

「……」

「中学生になっても空想ばかりしているし、お姫様気取りだし。同級生のみんなとズレているって感じちゃうわ」

 そう言って、宙を見上げる。

 夕日が浮かぶオレンジ色の遠い空が、まぶしかった。

 ズレを直したくて……でも、今までの私を曲げることもできなくて。そのまま、ここまで来ちゃったのよね。

「私は……夢見がちで臆病な、ごく普通の女の子。ニセモノのお姫様なのよ」

 お姫様はくじけない。

お姫様は弱気にならない。

 そうやって私は、自分自身を励まし続けてきた。

 だけど、本当の私はそうじゃない。あの日、ネロくんの手を取れずに逃げ出した私こそが――本当の、私。

「……ホンモノもニセモノも、ないと思うけど」

「いいえ、あるのよ。……だって、ここに『ホンモノ』がいるでしょう」

「……!」

「ネロくんは……まっすぐで、勇敢で、キラキラしてて……ホンモノの王子様、だもの」

 私も、彼みたいになれたらよかった。

 でも、いくら取り繕ったって、『臆病な私』を隠せやしない。

 ……ネロくんは、言葉を探すようにしながらも、私を元気づけようとしてくれる。

「僕は……咲良も、素敵なお姫様だと思うよ」

「……そうかしら。ありがとう」

 口ではそう言ったけれど、やっぱり納得はできなかった。

 『姫ちゃん』なんて呼ばれても。お姫様みたいになりたいと願っても。

 私は、絵本の中にいるようなホンモノのお姫様には……なれないの。

 ずっと昔から、分かっていることなのよ……。

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