5:私らしい絵って?
体験入部、二日目。今日もまた、石膏像とにらめっこ。
「んむむ~……」
のぞみさんはうなり声を発したり、首を傾げたりしながら、スケッチブックに描き込みを続けている。
やや動きに落ち着きはないけれど、かなり集中しているみたいね。
「……」
一方、古屋くんは真面目な表情で鉛筆を走らせている。
すごく集中しているみたいで、スケッチブックから全然目を離さない。
『で、姫さまはどうなんですか?』
「……退屈ね」
『ひ、姫さまぁ……』
「だって、石膏像の模写なんて授業でもやるじゃない。もっと自由なものが描けると思っていたのに」
『体験入部ですよ? 基本からやるのは当たり前じゃないですかあ』
「それはそうなんだけど……」
モチベーションが上がらないのは、自分でどうにかできるものじゃない。
それに、描き込めば描き込むほど、何だかイメージから遠ざかっていく気がする。
(いつも、感覚で描いていたから……)
こういうタイプの絵とは、相性が悪いのよね。
何だか浮かない気持ちのまま、私は鉛筆を動かした。
描けた人から、先生に絵を見せに行く。
私は結局、これ以上描き込んでも収拾がつかなくなるだけだと判断して、一番に持っていくことにした。
「……うん、悪くないけどな。姫川は納得いかなかったか」
「集中……できなかったんです。『自由に』っていうのも、うまく表現できなくて……」
「まあ最初だからな。そんなに気にすることじゃないさ」
つい、言い訳のような言葉を口にしてしまった。ダメね。
趣味で好き勝手に描くことと、課題がある中で自由な表現をすることとが、こんなに違うなんて思わなかったわ。
「……お、古屋もできたか」
「はい」
次に差し出された古屋くんのスケッチブックを見て、私は目を丸くした。
(……!)
鉛筆しか使っていないのに、濃淡のつけ方とか、細やかな線とか……とにかく表現が上手い。私と同じくらいの時間で描いたとは思えないわ……。
ただ上手いってだけじゃない。真面目に描いてきたってことが、この絵から伝わってくる。
「わ~! 古屋くん、上手いねぇ!」
背後から、のぞみさんがひょこんと顔をのぞかせる。
「……別に。このくらい、普通だけど」
古屋くんのリアクションはあっさりしている。
褒められてるんだから、もっと喜んでもいいものだけど。……こんなに上手いから、褒められ慣れてるのかしらね。
「そういう小宮は……何だか自信がありそうだな?」
「はいっ、これです~!」
そう言ってのぞみさんが見せた、スケッチブックの上。
それは私たちが描いたのと同じ、石膏像……のはずだった。
ところが。スマートな輪郭に、切れ長の目に――石膏像の顔が、現代風の爽やかなイケメンに様変わりしているじゃないの!
「は!? そんなのアリかよ……」
「いやぁ、大いにアリだと思うぜ? やるじゃないか、小宮」
先生は、心なしか満足そうにしている。
なるほど、これが『自由に描く』ってこと……!
「やるじゃないの、のぞみさん。これが『芸術』というものなのね……!」
「いや~、怒られるかなって思ったんだけど~」
のぞみさんはへにゃへにゃと笑っている。
怒られる可能性を分かっていながらこの絵を描き上げたのだとしたら、相当な度胸をお持ちのようね……。
「怒らないさ。だってこれは授業じゃないからな! お前たちには楽しんで、『自分らしく』描いてほしいんだ」
「自分らしく……」
スケッチブックを見直す。改めて見ても、微妙な出来のモノクロの顔。
……確かにこれは、私らしく描けていなかった。もっと自由に、好きなように描いてもよかったのね。
一人で反省会をしていると、先生が空気を切り替えるように、ぱんと手を叩く。
「今回のを踏まえて、次も静物画を描いてもらうぜ。気になるお題は……こちら!」
どどん! と口で効果音を付けながら取り出されたのは、一つのカゴだった。
リンゴ、じゃがいも、玉ねぎ、キウイ、トウモロコシ……などなど、野菜や果物が盛られている。
これが次のお題……何だか絶妙に統一感がないわね。
「あ、人じゃないんですね~……」
「のぞみさん、露骨にテンション下がってるわね……」
「はははっ、せっかくならいろんなものを描いてみてほしいからなぁ」
「……」
私たちがわいわいと話していると――がらり、と入り口の扉が開いた。
「ただいま戻りましたー」
声とともに、一人の生徒が入ってくる。
すっきりとした中性的な顔立ちの……セーラー服を着ているから、女の人よね。
でもそのセーラー服――だけでなく髪やかばんまで、びしょ濡れの状態だ。
「おいおい綾瀬、どうしたんだ!?」
「……!」
先生が呼んだ名前に、はっとする。
――この人がウワサの、綾瀬先輩。
綾瀬先輩は私たちの視線を気にも留めずに、けろりとした顔で言う。
「や、なんか、いつの間にか雨降ってて」
「いつの間にか、って……集中するのはいいが、周りにも気をつけるんだぞ?」
「はーい、分かりましたー」
「うん、分かってなさそうだな」
てっきりすごい才能のオーラでもまとっているのかと思ったけれど……意外と抜けてるところもあるのかもしれないわね。
そんなことを思っていると、先輩がこちらの方を向く。
「……あ。一年生?」
「ああ、体験入部の子たちだ。ちょうど作品ができたところだから、よければ綾瀬もアドバイスしていってくれないか」
「えっ」
「センパイからアドバイスをいただけるんですか!?」
のぞみさんが目を輝かせている。
そうね、ウワサの先輩から直々に評価をもらえるなんて、滅多にないことでしょうし。
「んー……」
綾瀬先輩は考え込むような仕草をしつつ、私たちの絵をじっくりと観察して。
「頭と首のつながり……に、ちょっと違和感があるかもね。このあたりのバランスを意識するといいんじゃないかな」
「お~! 参考になります!」
「もっとしっかり陰影をつけちゃってもいいんじゃない? その方が、メリハリのついた雰囲気になると思う」
「……そうですね」
「平面的に見えちゃうから、幅とか奥行きを表現したいね。まず軸を意識してみたらどうかな。……あと、全体的に顔のパーツが小さめかも。もっと大きめのつもりで描いちゃっていいと思う」
「なるほど……」
すらすらと三人分のアドバイスを述べる。
「……いいかな、こんな感じで」
「ありがとうございます~!」
のぞみさんは、憧れの先輩に絵を見てもらえたこともあって、すごくうれしそうだ。
と、私は古屋くんの方を何気なく見て――彼が、じっと自分の絵を眺めているのに気づいた。
「っ……」
(……? どうしたのかしら)
悔しそう、なのか……それにしては何か、複雑そうな……?
声をかけてみようか、どうしようか――と一瞬思ったところに、すすす、とのぞみさんが寄ってくる。
「さすが綾瀬センパイ……! ちょっと見ただけで、パッと改善点を見抜いちゃうとはね~!」
「ええ、すごかったわね……」
綾瀬先輩の絵のうまさは、こうやって分析する力の強さから来ているのかもしれない。
そう。感覚でばかり描いている、私とは違って……。
『……姫さま』
「分かってるわよ」
ぐ、とスカートを握る。
……私だけ、ダメ出しが多かった。
それはそうよね、集中できていなかったんだもの。絵にちゃんと向き合えていなかったんだもの。
それに、私の絵は――上手いとはいえない。
(のぞみさんも、古屋くんも……私よりずっと上手かった)
ときどき、思ってしまう。
『楽しさ』を優先してばかりで本当にいいのか、って。
上手くなるための努力が二の次でいいのか、って……。
『……そんなこと言わないでください、姫さま! 楽しんで描くのが一番なんでしょう?』
「そ……そうね! その通りよ!」
落ち込んでちゃダメ。弱気になっちゃダメ。
この私は――誇り高い『お姫様』なんだもの!
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