3:不思議なハトを捕まえろ!
学校からの帰り道を、ゆっくりと歩く。
「……いい風ね」
桜の花も散って、すっかり春らしい暖かさになって。吹く風も肌にちょうどいい、外出日和な陽気だ。
「……」
ふらりと、公園に足を向ける。お休みの日に絵を描きに行く、あの公園だ。
家にまっすぐ帰らずに、ほんのちょっとだけ寄り道をしよう。今日は外用のお絵描き道具を持っていないけれど……ベンチに座ってのんびりするのもいいでしょう。
(またあの鳥さんに……あの男の子に会えるかしら)
……なんてね。
そんな期待は止めよう。きっとあの子は、私じゃない、他の誰かの手を取ったんだろうから。
私じゃなければいけない理由なんて、あるとは思えないんだから……。
なんてぼんやり考えていた、そのとき。
――バサバサッ! と、羽音が目の前を横切った。
「わわ……!」
びっくりした、ただのハトね。いきなり飛び出してくるから、何事かと思ったわ。
足を止めたまま、ハトが飛んでいった方を見ていると――凜とした声が、私の背後から響いた。
「――きみ!」
私? と思って、振り向くと。
そこにいたのは――黒い髪、黒い服、黒い手袋の。
忘れもしない、あの日の男の子だった。
「……!?」
「ああ……やっぱり、あのときの! また会えるとは運がいいね!」
運がいいどころの騒ぎじゃないわよ!
あれから日が経って、時間だって違うのに、またばったり会うなんて……。
「ぐ……偶然にしてはできすぎじゃないかしら!?」
「ふふっ、それならきみと僕の出会いは運命だったのかもしれないね」
「なっ……」
よくそんな、典型的なイケメンセリフをさらっと言えるわね。
彼は爽やかなほほ笑みを浮かべながら、とん、と私のそばに近づいて。
「よし、じゃあこれを」
「?」
私の右手に、何かをぎゅっと握らせてきた。
一体、何かしら。手の中に視線を落とすと、
「……筆?」
習字じゃなくて、絵を描くときに使う方の筆。軸が銀色で、どことなく高級そうな雰囲気が漂っている。
いや、なんで突然こんなものを? 今日は絵を描きに来たわけでもないのに。
そう首をかしげるヒマもなく――私は、また走り出した男の子にぐいっと腕を引かれた。
「ちょっ……!」
「今めぐり会えたのも、何かの縁! どうかきみの力を貸してくれないか!」
「な……何を!? どうやって!?」
そして拒否権がない!
彼は走りながら、真剣なまなざしで前を見ている。
「説明は後でさせてほしい。とにかく今は……アレを捕まえなければならないんだ」
何かを捕まえるために走っているということは、何かを追いかけているということ。
そのターゲットはおそらく、視線の先で動くモノ――ぱたぱたと羽を動かす、灰色の鳥さん。
「……ええと。ハト、かしら?」
「その通り!」
「なんで?」
何がどうして、私と同じくらいの歳の子が、公園のハトと追いかけっこをする必要があるって言うの!?
『姫さまぁ、このヒト何もかも説明不足ですよう!』
あまりのツッコミどころの多さに、リトルテディまで出てきてしまった。あなたは大人しくしていなさい!
さすがに私が何か言いたそうなのを察したらしく、男の子は言う。
「……おっと失礼、名乗るのを忘れていたね。僕はネロという」
「わ、私は咲良よ……」
「サクラ! 花の名前と同じなんだね。きみに似合う、とてもきれいな名前だ」
「じ、字は違うけれど……」
『そんなことを言ってる場合じゃなくないですか!?』
……まずい、だんだん息が切れてきたわ。普段外に出ても座って絵ばかり描いているから、まるで体力がついていないのよ。
そんな私の様子と、ハトの方とを交互に見て、男の子――『ネロ』くんは呟く。
「ううん、やっぱりこのままではらちが明かない……か」
今のところハトは低空飛行を続けているけど、いつ大空にフライアウェイするか分からない。
どう見ても、こっちに不利な鬼ごっこだ。
「よし、作戦を変えよう。咲良、きみはここで待機していてくれ。僕があのハトを追い込むから、受け止めてくれるかい?」
「はぁ……はあっ、分かったわ」
そうして私はその場に留まり、走っていくネロくんの背中を見送る。
(……私、なんでこんなことしてるのかしら)
酸素の足りなくなった頭で、そんなことを考える。
偶然寄った公園で、変なことに巻き込まれて。一度は断ったはずなのに、結局手伝うことになってしまっている。
ネロくんの目的とか、ハトを捕まえる意味とか、『世界を救う』って言葉とか……分からないことばかり、だけど。
私は、制服のスカート――『お守り』が入ったポケットに、そっと触れる。
(……逃げないで、やるんだ……!)
期待が向けられているなら、応えなきゃ。
今度こそ……その手を取らなくちゃ……!
『姫さまっ、来ますよ……!』
灰色の鳥が、目の前に飛び込んでくる。
それをまっすぐ見つめながら、私は、手を伸ばした――!
「……っ!」
――バササッ!
ハトはそれなりのスピードで飛んでいたはずなのに、なぜか衝撃をほとんど感じなかった。
少しの間バタバタしていたハトだけど、だんだんと落ち着いて、すっぽりと私の胸元に収まった。
「つ、捕まえたわよ……!」
「うん! ナイスキャッチだ、咲良!」
ネロくんが、こちらへ駆けてくる。うれしそうに私へ笑いかけながら。
(……まぶしい……)
黒づくしの格好は、夕日の逆光を浴びて、さらに暗い色に見える。
でもネロくんのその表情は、闇に紛れる色なんて一切感じさせない、光そのものだった。
「――さあ、咲良。さっき渡した筆があるだろう」
「え、ええ……」
「筆の先で、そのハトに触れてみてくれるかい?」
……?
やっぱり目的は分からないけれど、素直に従ってみることにする。
大人しくなったハトの羽に、柔らかな筆先を、そっと当てて……。
(これで、合ってるのかしら……?)
――とぷん。
雫が水面に落ちるような、心地いい音がした。
と、同時に。
「……え?」
腕の中のハトが、すうっと透明になった。腕の中にあった感覚もすっかり消えてしまう。
「……」
驚きの連続すぎて、声も出なくなってきたわね。
「おや、ずいぶんと冷静なようだね。咲良」
『姫さまは喉がお疲れなんですう! どこかの誰かさんのせいで!』
「いいのよリトルテディ、怒らないで」
頭の中で抗議の姿勢を見せる小さな従者を、たしなめる。
「……こんな私でも、物語を始められるのね」
『……』
一歩、踏み出せた。
小さな一歩。でも、広い世界へ飛び出すための一歩だ。
逃げ出したあの日から引きずっていた小さな後悔が、今やっと、晴れた気がした。
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