2:いざ、美術部へ!
「姫ちゃん、ばいばーい!」
「ええ、また明日!」
隣の席のクラスメイト――奈帆さんに手を振る。
帰りのホームルームが終わって、教室の中はみんなの自由な話し声で満ちていた。
私は学校指定の黒いカバンに教科書を詰め込んでいく。
「……何だったのかしらね、あれ……」
『あの黒い鳥……というか、あの男の子のことですか?』
「ええ、そうよ」
リトルテディを呼び出して、昨日あったことについて考える。
あれから一日経ったけど、謎は何にも解けやしない。
「何なの、いきなり『世界を救ってくれないか』って。不審者にもほどがあるわ」
『でもでも、物語はだいたいあんな風に始まりません? ガール・ミーツ・ボーイ! まさにドキドキの開幕じゃありませんか』
「……」
それで快く手を差し出せる人だったら、そうなるんでしょうね。
でも、私にはそれができなかった。あの場から逃げ出して、物語を始めることを拒んだ。
「……あの子、今どうしているのかしら」
『さあ……』
中途半端なところで投げ出した私が、気にすることじゃないんでしょうけど。
そんな風に、カバンに手を添えつつ、ぼんやりしていると。
「ねえねえ、えっと……姫川さん?」
「……!」
突然話しかけられてしまった。慌てて、頭の中の会話相手を退散させる。
机のそばにいたのは、ふんわりしたおさげ髪の女の子だった。確か、同じクラスの……。
「あ、名前?
「のぞみさん。……ごめんなさいね、まだ名前を覚えきれていなくて」
「ううん、大丈夫だよ~。わたしも同じだもん。姫川さん、『姫ちゃん』って呼ばれてるんだね?」
「そうね。小学校からの知り合いの子には、そう呼ばれることが多いわ」
さっきの奈帆さんも、その一人だ。
誰が呼び始めたのかも覚えていないけれど、知り合いの女の子たちの間ではすっかり定着している。
「じゃあ、わたしもそう呼んでいいかな~?」
「もちろん、構わないわよ」
……ふわふわしているわりに、距離を詰めるのが早いわね。
それで、とのぞみさんは話を続ける。
「姫ちゃん、自己紹介のとき、確か美術部に入るって言ってたよね?」
「!」
……ホームルームの時間、新学期の恒例行事。少し前のことだけど、はっきり覚えている。
『姫川咲良よ! 好きなことは空想と創造!よろしくお願いするわ!』
『姫ちゃーん、もうちょっと何か……具体的なやつー……』
簡潔にバシッと行こうと思ったのだけど、もう少し詳しく言った方がいいって言われちゃったのよね。失敗失敗。
で、結局、他の子にならって『中学校でやりたいこと』を――入りたい部活を言ったんだった。
「……そういえば、のぞみさんも美術部に入りたいって言ってたわね」
「あ、覚えててくれたんだ~!」
今思い出した、というのは言わないでおきましょう。
「でね、これから一緒に美術部の見学に行かないかなって」
「一緒に?」
「うん。知らない人ばっかりのところに一人で行くの、ちょっと不安だから~……」
「……そうね。分かったわ、一緒に行きましょう!」
「わ~、ありがとう~!」
仲良くしてくれそうなクラスメイトの頼み、断るわけにはいかないものね。
……全然私一人で行くつもりだったけれど、ちょっと計画が変わるくらい問題ないわ。
校舎の最上階、四階の角に美術室はあった。
ちょっと立てつけの悪い戸を、がらがらと引いて開ける。
「失礼しま~す、美術部の見学に来たんですけど……」
「おっ、一年生だな?」
私たちを出迎えてくれたのは、三十代くらいの男の先生。
見たことがあるわね。確か、美術の先生だった気がする。私たちの担当ではないみたいだけど。
「ようこそ美術部へ! 顧問の木下だ」
私たちを歓迎するように、両手を広げる先生。
に、対して……しーんと静まりかえった教室。
「……人、全然いなくないですか?」
「はは、うちの部はゆるいからなぁ。校内で自由にスケッチしてる部員がほとんどなんだ。そもそも出席も欠席も厳しく見てないしな」
うーん、本当にゆるいわね。先生が気にしてないのなら、それでいいんでしょうけど。
「中学校の部活って、もっと大変そうな感じだと思ってました……」
「大会とかある部活は、大変なんだろうけどなぁ。うちの目標っていうと、自由参加のコンクールと、あとは文化祭での作品展示くらいか?」
「確かに、目標に向かって一致団結するって感じではないわよね」
「とはいえ、美術教師として指導はさせてもらうぞ。アドバイスがほしければいつでも相談してくれていい。それか、他の部員に聞くのもアリだな」
「なるほどです……」
やる気のある人に対してはサポートも厚い、ってわけね。
すると、隣ののぞみさんが、ばっと手を上げた。
「入部します!」
「け、決断が早いわね!?」
「のんびり自由に絵を描けて、ほしい時にはアドバイスももらえる……最高の環境じゃないですかぁ!」
「まあまあ、まずは体験入部ってことで……一つ、お題を出そう」
そう言いながら先生は、教室の中央に視線を向ける。
「そこに石膏像があるだろ? あれをデッサンしてもらうぞ。基礎的な課題だが、お前たちがどんな絵を描くのか見せてもらいたいからな」
「分かりました!」
「そうそう、大事なことを言っておこう」
先生は、ぴっと指を立てて、私たちに言う。
「これは美術の授業の時間じゃない。だから、自由に描いていいんだぞ」
「自由に……」
石膏像のデッサンを……自由に?
すでに型が決まっているような気がするけど……どのくらい自由にやっていいのかな。それを考えるのも含めて、課題ってことかしら。
「さ、あとは自分のペースでやってくれ!」
そうして、私たちの体験入部が始まった。
机の上に置かれた石膏像。その前にはすでに、黙々とスケッチブックに鉛筆を走らせている男子生徒が座っていた。
(……あの子も、体験入部の生徒かしら?)
同じ課題ってことは、たぶんそうよね。
私たちもイスを持ってきて、像を囲むように座る。
「流れで勝手に決めちゃったけど……姫ちゃんも、体験入部するってことで良かった?」
「もちろんよ。ふふ、のぞみさんは即決だったわね」
「あはは~……。わたしの性格的に、このくらいゆるくやれるのがちょうどいいからねぇ」
確かにのぞみさん、熱血タイプではなさそうよね。
「それに……ここの美術部には、『あの』センパイもいるって話だし……」
「あの先輩……?」
「あっ、そっか。姫ちゃんは小学校違ったから、知らないんだ」
ぽん、と手を叩いてのぞみさんは言う。
「綾瀬絵里香センパイ。お父さんが画家でね、センパイ自身もすっごく絵がうまいんだよ! 小学校ではよく表彰されてたりして、有名人だったんだよね~!」
「まあ……」
それはまた、こんな普通の中学校に、すごい人がいるのね。
どんな人なのかしら、とのぞみさんにさらに尋ねようとしたとき。
「……うるさいよ」
少しかすれた低い声が、私たちの会話を遮った。
石膏像の前に座る、もう一人の生徒――あの男子だ。
「集中させてくれない?」
「あっ……ごめんなさい」
絵を描いている人のことを考えずに、おしゃべりに夢中になってしまったわ。ゆるいとはいえ、ここは部活なんだから、しゃんとしないとね。
するとのぞみさんが、彼に声をかける。
「ねぇ、名前は~?」
「は?」
「同じ部の仲間になるかもしれないでしょ? だったら、名前くらいは知っておきたいなぁって」
「の、のぞみさんっ」
やっぱり距離を詰めるのが早いわね!
……というか、とことんマイペースなのかもしれないわ、この子。
彼は渋い顔をしつつ……はぁ、と息をついて言う。
「……二組の
「古屋くんだね! わたしは一組の小宮のぞみだよ~」
「私は姫川咲良、のぞみさんと同じクラスよ!」
「ふーん……」
いかにも興味がなさそうだ。
「……まあ、よろしく。邪魔しないんなら何でもいいよ」
態度はちょっと……いえ、かなりそっけないけど……絵に対して真面目な子なんだろうな、というのは何となく分かる。古屋くんとも、なかよくやっていけるといいわね。
ちょっと不安はあるけど、楽しくなりそうな部活だ。ふふ、これからの放課後が楽しみだわ。
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