昼休み
昼休み。
ハクは食堂に行く生徒たちに混ざって教室を出た。無論、行先は食堂ではない。
食堂に行く者たちとは違い、自分は行先を変えて階段を上っていく。風呂敷に包まれた弁当箱を手に持って移動しているのは、すみれにお昼も共にすると言われたから。
三階まで上がってさらに廊下を進んだころには人気がなくなって、さらに奥に進むと『図書室』と赤色で記されてある木造の看板が見えてきた。その看板に向かって足を進める。
ハクはこの学校の図書室をよく利用していた。
別に特段、本を読むのが好きという訳でもなく、ただ単純にこの暇な学校生活おいて行き着いた先の一つというだけのもの。
クラスメートたちには、休み時間に本を読む自分の姿を見て《彼は読書家だ》《本好きな人だ》と勘違いされたことが絶対にあったに違いない。
ここには人が来ないから、それが理由で図書館に行くのが習慣になっていたし、自分はその秘密を知る数少ない者の内の一人なのだということに少しばかり愉悦感を感じていた。
人ごみを嫌う自分にとっては、完全に一人になれる場所があるというだけで十分ありがたい話だった。
ハクは前方にある緑色のカーペットに足を踏み入れるなり、そのすぐ先にある扉へと近づき始めた。
透けて見えるガラスの扉。そこからは、華奢な体型をした一人の女子がポツンと椅子に座っているのが見える。
扉を開けた音で、奥に座るその人物はこちらの存在に気がついた。彼女と目が合う。
ハクは頬を緩ませながら、その人物の元へ近づいていった。
「おはよう」すみれは言った。
(おはよう?)
――今、昼なのに。
「どうしたの?」
何も返してこないハクに、すみれは不思議そうに首を傾げる。
「おはようございます……?」と、ハク。
それを聞いたすみれは、思わず苦笑した。
「なんで、疑問形?」
「いや……昼におはようは変だなって」
「じゃあ……こんにちは?」
「……それもなんか、変ですね」
たしかに、『こんにちは』では少し違和感を感じる。先生に使うのなら、まだしっくりくるのだが。
(……って、そんなことはどうでもよくて)
「それ、部活申請の……」
すみれが作業していたテーブルには、一枚の紙が置かれてあった。もうすでにある程度書き込んであるのが見受けられる。
「そうだよー」
それを聞いたハクは思わずはっとなって、
「すいません。……ほんとはそれ、自分が取りにいくべきだったのに。ぼく部長なのに全然気が回らなくて」
「ハクはまだ一年生だから無理しなくていいって。それに、部長だから全部やるのもおかしな話だよ」
「………」
「ほら、ここ座って」
ハクはすみれの隣の席に座って、彼女が差しだしてきた用紙を見渡した。
そこには、部員の情報(名前や学年、出席番号など)や、活動内容、活動場所、活動目的・目標などなど、記入する欄が裏面まで記載されてあった。
紙をひっくり返し表面を向けると、もうすでにすべての部員の欄が埋められてあることに気づく。思わず顔をしかめた。
自分は部員の名前すら知らない。調べもしなかった。
「………!」
自分もきちんと部員としての役目を果たさねばならない。そう思って、ハクは真ん中にある用紙を目の前へとスライドさせ、ボールペンを手に取りだしすぐに作業に取りかかろうとした。
が、すみれはその用紙を唐突に取り上げる。
「……ぁ!」
突然のすみれの行動に頭が追いつかないでいると、
「お昼、先食べよ」すみれは片方の手で、自前の弁当箱をちらつかせながら言った。
△△
(なんか、変。女子と二人っきりでご飯食べてるのって。学年も違うっていうのに)
「それ、何?」
いきなり、すみれは自分の弁当を覗いてきた。
「え?」
「これ」と、すみれが人差し指で指さしてきたのは、自分の弁当の中にあるおかずだった。
どうやら、ポテトサラダのことが気になっているようで、
「ポテトサラダ、です」
「ちょっと色、赤くない?」
「あぁ、多分これキムチ入ってるやつです。食べますか――?」
つい口を滑らせてしまったことに気づき、思わず口を押さえたい衝動に駆られた。
「うん」
しかしひょんなことに、すみれは自分の弁当箱に箸を伸ばしていた。すぐさまそのポテトサラダは、彼女の口へと運ばれていく。
もぐもぐと彼女が口を動かすたび、冷や汗が出る。
まずくはないだろうか。好みの味だっただろうか。
そんな不安ごとが次から次へと湧いてきたが、そもそもこれは母親が作ってくれた弁当である。失礼も甚だしかった。
「んん。おいしい」
そんな簡単な感想を呟かれ、ハクは思わず胸を撫でおろした。
「私の。何か欲しいものある?」
今度は何かと思えば、すみれが自身の弁当箱を自分の胸元に寄せてきた。
色とりどりのその弁当は、見た目の小ささよりもおかずの数が思ったよりも豊富だった。
少し戸惑ったが、何となく目に入った『タコさんウィンナー』をとっさに選んでそれを口に運ぶ。
「おいしい……です」
「ふふ」
△△ △
「よし。後はここだけ……」
お昼を食べ終えた二人は、さっそく書類の執筆にあたった。
すみれの助力もあって、作業はスムーズに進んだ。
活動の内容に関しては、こういう部活がおそらく行うであろう活動を半ば適当に記入しておいた。本当は、もう少し具体性のある内容にすべきだったのだろうが、方針どころかまだ部員同士でまともに会話すらしたことがないため、仕方がないことだった。
最後に『活動の目的・目標』という項目だけが残っていたが、時計を見るともうあと少しで昼休みが終わる時間だった。
「ここは、ぼくが教室でやっておきます。えーと、この『目的・目標』って、どうしますか?」
「ハクはどうしたいと思ってるの?」
「え、ぼく? ……ぼくは、ただ……みんなと音楽ができればそれでいいって思ってて……。別に何か成し遂げたいことがあるとかじゃないんです。けど、さすがにそれじゃ書けないですよね」
「んー……よくあるのは文化祭の出場とか、じゃない?」
「え、文化祭!? 出るんですか? ぼくたちが」
「あくまでも書面上のことだよ? 実際に出るかはわからないけど」
「あ、そっか」
「興味あるの? そういうの」
「いや全然! むしろ……」
「むしろ?」
(出たくない!)
「いや……何でもないです。早くここを出ましょう。時間もうないですし」
五分前の鐘が鳴り始める前に、急いで机の上の消しかすを集めだす。手のひらに乗せた消しかすを捨てるため、カウンターのところにあるごみ箱へとぽいと放り込んだ。相変わらず今日も、カウンターいるべきはずの先生は不在のままだ。
「図書館来るの初めて?」すみれはハクを見ながら言った。
「あ、いえ。ちょこちょこ来てます」
「本が好きとか」
「あぁ本は……別にそこまで」
「じゃあハクは何のためにここに来てるの?」
「……一人の時間が好きなんだと思います、多分」
「あー」
(こんなこと言うつもりなかったんだけどなぁ)
彼女といるとなぜこうも、思いもしない言葉が次から次へと飛んでいくのか。まったく不思議で仕方がない。
「私も好きだよ、一人の時間。そういう時間って必要だよねー。私もさ、辛かったときとか悩んだりしたときは一人でぼおっとしてたりするから」
そう言って、すみれは朗らかな笑みをこちらへ向けてくる。
自分は今まで、この人を全然別の世界の住人だと思っていた。けれど、違うかもしれない、とこの時思えた。
この人も自分と同じように悩んだり、葛藤したり悶絶しているのかもしれない。
ただそう見えないだけで。いや、自分が見ようとしていないだけで。
今まで自分だけが苦しんでいると思っていた。こんなに苦しい目にあっているのは自分だけに違いないと。
考えてみれば、それが間違っていることくらいわかることだった。皆苦しいなんてあたりまえだ。
なのに自分は勝手に壁を作って、人と関わることを避けた。
自分だけ被害者面しながら。
(そりゃあ嫌われて当然だ)
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