第9話 君はね
けれどそれは嘲笑じゃない。彼女は本当にこころからおかしいそうに笑っていた。
「君は間違ってる」笑いの余韻を少し残しながら、女性はそう言い放った。
本当に、まったく思ってもない言葉だった。
「え……」
「『病気』とか『呪い』とか、君はそう言ってたけど、全然そういうのじゃないと思うよ」
「……どういうこと、ですか?」
「それは『才能』。君にしかない奇跡みたいな才能」
「……才能?」
「頭から、突然音楽が流れてきだすんでしょ?」
「そうです、けど……」
「すごいと思う。こんなこと、普通ない」
それを聞いたハクは、思わず眉を上げる。
「よく聞かない? 音楽家が自分の曲を語るときに『突然頭に降ってきたんだ』って言うの。きっと、今君の頭の中で聴こえてきたその音楽もそれと同じことだと思う。知らない音楽じゃなくて、それは君の中の音楽。次それが起こったら、絶対録音した方がいいよ。忘れないように」
「…………」
「ねえ」彼女は言った。「明日の朝、学校来れる? 音楽室」
「え……」
「ちょっと、君に興味が湧いたかも。私に、君の音楽を聴かせてよ」
「…………」
「はいこれ。私のメール」
彼女はバッグから携帯を取り出して、メールアプリのアカウントをハクに見せてきた。
彼女のIDを入力をすると、『菱川すみれ』と書かれたアカウントが出てきた。
「すみれ」彼女は言った。
「………?」
「私の名前」
「………」
「君の名前は?」
「拍……です」
「ハク、これからよろしく」
そう言って、彼女はその場から去っていった。
いったい何に対しての『よろしく』なのか、まったく意味はわからなかった。
でもどうしてか、自分はこれが予兆であってほしかった。何かの兆しであってほしかった。
わかっている。自分は今、酔っているに過ぎないのだと。自分を翻弄してくれる、この予測がつかないわずかな可能性に何らかの希望を乗せたいと、ただそう願って。
本当にこころからうれしかった。それがどれだけ自分を肯定してくれたことか。
とにかく今は、この喜びを全力で噛みしめたかった。
▽▽ ▽
すぐ翌日の金曜、彼女――すみれに言われた通り、ハクは朝ハクから学校に来ていた。
学校が始まるまではまだ一時間以上ある。そんな時間帯では、当然人気もまったくもって見られず、校内は至って静粛としていた。ハクは慣れない朝の学校に少し戸惑いながらも、階段を一段一段神妙な面持ちで上っていった。
昨日待ち合わせ場所として指定された音楽室前は夜道のようにしんとしていて、本当にこの先にあの人はいるのだろうかと一抹の不安が宿った。
しかしまた音楽室とは。昨日の出来事があってからだと、少しトラウマじみたものを感じるのは気のせいか。
引き戸を開けようと試み、取っ手を横に引っ張る。
(あれ……)
またしても戸は開かなかった。
嫌な想像が頭をよぎったその時――。
「待った?」
突然、か細い声がハクの耳を通り抜けた。
「わッ!」
思わず口から素っ頓狂な声が出る。
だがその顔を見て安心した。名はたしか、すみれと言ったか。
(……ってこの人、いつの間に)
幽霊みたいに気配がない人――そんな感想をハクは抱いた。
「……あの」ハクは言った。
「それ、ここの鍵……ですか?」
「そうだよ」
すみれは手に持っていたその鍵を片手に、前へと足を進みだした。
ハクはぶつからないようにさっと左に避ける。
彼女は鍵を刺すなり、自ら戸を開けた。
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