4年ぶりの憧れ

「誰もいないなぁ、ここ」


 ちゃんと家の鍵を持ってきていればよかったと、そう後悔したのは翌日の昼になってからだった。昼休み、昼食を口にしていた時ふと家の鍵を忘れたことに気がついたのである。


 そして今――。


 ハクは帰り道にある公園に来ていた。自転車を停め、だれもいないベンチに一人腰かけている。


 携帯でも触っていれば時間なんてあっという間に過ぎるだろうと――最初はそう高をくくっていた。だが、時間の流れは思っていたよりも遅く感じる。

 結局携帯に飽きて、今はただ目先にある遊具をぼおっと見つめていた。


 公園には誰もいない。故に、少し寂しい。


(久しぶり遊具で遊ぼっかな)


 ふとそんなことを考えていた――その時。



 ――ジャカジャカンッ。



 誰もいないと思っていた公園から、突然音が鳴きだす。


 これは本当に現実なのか――一瞬自分を疑いはした。けれど耳も塞いでいないというのに、その音ははっきりと聴こえてくるものだから余計に違和感を覚える。

 いよいよ自分も本当におかしくなったか。


……いや違う、これは本当に――。


 アコースティックギターの弦が弾ける音。

 憎悪や嫌悪感をまったく感じさせない、淡くてきれいな音色。

 雅やかなこのこがね色の夕焼けの空に、まったくぴったりな音だった。


(きれいな音色……)


 そこに突然、歌が聴こえてくる。


「………!」


 こころなし、ハクは立ち上がっていた。ゆっくりと足を前へと動かし始めて――。


 あの冬に見る、かまくらのような円形の遊具に向かって――音楽が、自分を呼びかけているという幻想に駆られながら。


 丸い形をした遊具――築山の小さな穴の中を覗くと、二人の男の姿が見えた。どちらも制服を着ている。どうやら学生のようだ。


 ギターを手にし、気持ちよさそうに演奏をする二人。

 自分は何も口にせず、魅了されるがままただただ彼らの演奏を眺めていた。


「誰だ……お前……」


 男が自分に気づくと同時に、急に音楽が鳴り止む。

 その瞬間急に体に動揺が走りだした。気づけば彼らの注意は、完全にこちら側に向けられていて、


「えっと……」


 緊張して思うように口が開かない。


「あの……あなたたちは何を……」


 とっさに、そんな質問を投げかける。


「……演奏だよ、見りゃわかるだろ」

「まだ……聴けないですか? その……演奏、すごいよくて」


 自分でも、なぜそんなことを言っているのかわからなくて。


「「…………」」


 その言葉に反応した二人は、互いに顔を合わせだした。


「ああ、わかった。少しだけだぞ」


 やった! 思わずそう飛び跳ねたくなるほどにうれしかったのはなぜだろう。





 ギターの音が、公園中に鳴り響く。


「―――!」


 まだ物を知らない幼少の眼差しのように、ハクは瞳を光り輝かせていた。そんなハクを前にして、二人は少々彼に気圧されていた。


「あのっ」ハクは二人がいる築山の中へと入ると男たちに近づいた。「それってバンドなんですか?」

「ちげえよ。バンドじゃねぇ。ただおれたちは好きで音楽やってるだけだ。……なんだ、おまえバンドやりたいのか?」


 片方の男は、眉をひそめた。

 唐突な質問だった。普段の自分であれば、答えられずに黙り込んでしまうのだが。


 今回は違った。自分でも不思議に思ったくらいだ。こんなにも、こころにもない言葉が思考をすっ飛ばして口から出てくるものだから。

 

「バンド……。はい! やりたいです! ……実はぼく、将来的にもそういうことしてみたいなって今まで思ってて……」

「その制服、おれたちと同じ高校だよな。おれたち、今ちょうど部活作ってバンドしたいって思ってたんだよ。よかったらさぁおまえ、おれたちとバンド組む気ねぇか?」

「いいんですか……ほんとに入って」

「あぁ。ちょうどこっちも、おまえみたいなやつ探しててな」


 あっさり承諾された。

 そのとんとん拍子に思わず疑念を抱きたくなるほどに。


「で、おまえは何すんだよ?」

「………?」


 思わず目を丸くする。

 質問の意味がまったく理解できなかった。

 『何をする』とは、一体どういうことなのか。

 ハクが答えないまま困惑していると、男は再び口を開いた。


「あぁ、楽器だよ楽器。バンドやりたくて音楽に興味あったんだろ? だったら、楽器の一つや二つは弾いたことくらいあるだろ?」


 それを聞いたハクは、急に顔を俯かせた。


「楽器……やったことないです、一度も」


 男の表情は一気に豹変する。まるで自分が言ったことがありえないとでも言いたげな表情だった。


「は? それでおれたちにバンドしたいって言ってきたのか?」


 男の口調には、少しの苛立ちがこもっているように思えた。


「じゃあ歌か? 歌に自信があるのか?」


 加えて男はそう尋ねる。


「歌は……自信ありません……」


 声が震え始めていたのは、この後悪い方向に進むのだろうと直感的に予測していたから。

 声だけじゃない。

 指先も、小刻みに震えていた。


「あぁ悪い……。てっきり、おまえ何か楽器やってるって勘違いしてた。やっぱりさっきのはなかったことにしてくれ」

「………!」


 思わず目を見開いた。


「嫌です! お願いします! なんでもやりますから。どうしても音楽がやりたいんです……!」


 ハクは男の顔に近づき、せがむようにそう言った。

 だが、男の顔はハクの期待に一向に背くばかりで。


「………でもおまえ、何もできねえんだろ?」

「それは……」


 何も言い返せなかった。

 だってそれは本当のこと。事実なのだから。

 そう思って、ようやく冷静な自分が戻ってくる。


 自分はいったい何をやっているのだろう。

 こんなことしても、何も変わらないのに。

 止めよう。こんな馬鹿みたいなこと。


「少しいいか」今まで一言も声を発さないでいたもう一人の男が、突然口を開いた。


 自分が呆然としている傍ら、彼らは秘密のやり取りを交わすように自分に背を向け始める。

 やがて一分と経たないうちに、彼らは再び自分の方に向き直った。


「わかった。おまえがそんなにバンドしたいっていうなら、入れてやってもいいぞ」

「………!」

「ただ、一つだけ、条件がある。おまえが、楽器が弾けるやつをおれたちのところに連れてこい。そうしたら、おまえをバンドのメンバーにしてやってもいい。いいかこれが条件だ、これ以上変えることはねぇからな」


 正直、友達が一人もいない自分にそれは困難極まりないことだろう。けれど――


「わかりました」


 だがそんなことどうでもよかった。ここでイエスと言わないと、きっと自分は後悔すると思ったから。


「期限は一週間だ」


 平然と、男は自分にその条件とやらを突きだした。


「一週間!?」

「じゃあな、おれたちはもう帰るぜ」


 彼らは荷物をまとめなり、すぐにその場から去っていってしまった。


「どうしよう……!」


 日が完全に落ちきった真っ暗な築山の中、ハクは一人窮地に陥った顔でどうしようもない不安を口にしたのである。

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