第37話 大変光栄です

 スローテンポのワルツが演奏される中、ふわりふわりと舞う色とりどりのドレスたち。

 けれど、その中でも特に注目を浴びているのは、やはり聖女の白一色のドレスだった。


「お上手ですね」

「公爵様のリードにお任せしているだけですもの」


 本心から告げた言葉に、少しだけ恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに聖女がそう口にした。その姿は、今までで一番年相応に見えて。


(まだ、成人したばかりだったな)


 普段はそれを忘れさせるほど、しっかりとした人物なので。つい、歳の差を見落としてしまっていたのだが。

 考えてみれば、この組み合わせも周りから見れば、かなり特殊なのではないだろうか。

 王侯貴族は、基本的に政略結婚であるからこそ、年齢差がある夫婦も少なくはないが。自由恋愛が許されているはずの聖女のお相手が、さすがに壮年の男性というのは、いささか悲しいものがあるだろう。


(聖女のドレス姿に対する、先ほどまでの周囲の反応といい。今まで一度も話題に上がっていなかったことを考えると、これが本当のファーストダンスだろうに)


 本来ならば、想い合う相手とすべきことのはずだったのに。初めてのドレス姿を見たのも、ダンスの相手も、自分のような年齢差のありすぎる人物になってしまったことに、申し訳なさが募るばかりで。

 しかも会話を交わすこともできるほど、余裕があるということは。幼い頃から、相当練習してきたのだろう。

 もちろんダンスも含めた、一般的な貴族が持つ教養は、聖女として身に着ける必要があったのかもしれないが。そのあたりのことについては、実はしっかりとは公開されていないので、あまり詳しくはないのだ。


「やはり公爵様は、大勢の女性とのダンス経験がおありなのですか?」

「いいえ、まさか。成人後にこの場所で踊ったのは、数えるほどしかありませんから」


 本来であれば、年に何度も参加するはずだったが。その年に、魔女によって呪いをかけられてしまったせいで、人数としては両の手の指で足りてしまうくらいなのではないだろうか。

 そんなことを思い出していたからか、聖女の表情の変化に気づくのが遅れてしまった。


「そう、でした。わたくしとしたことが、大変失礼を……。忘れてくださいませ」


 夜会に参加できなかったことは、あまり気にしていないのだが。どうやら、聖女のほうが気にしてしまったらしい。淡いアメシスト色の瞳が、今は下を向いてしまっている。

 普段はなかなか見られない姿に、内心焦るデューキだが。こういう時こそ、ひと呼吸おいて。


「ご期待に沿えず、申し訳ありません。聖女様は、ダンス経験豊富な男性がお好みでしたか?」


 いっそ少しだけ、茶化すように口にする。

 聞く人によっては、下種げすに思われる可能性もあるかもしれないが。相手が落ち込みかけている場合には、いっそ自分を落としたほうが有効な場合もあると知っているからだ。

 事実。


「いいえっ、そんなまさかっ……! 公爵様のリードに身を任せているだけで、わたくしまでダンスが上達したような気がしてしまったので、つい……!」

「おや。女性にそう思っていただけたのなら、大変光栄です」

「っ……!」


 ようやく顔を上げてくれた聖女に、ターコイズブルーの瞳を真っ直ぐに向けながら、デューキはゆったりと微笑む。

 この瞬間。聖女だけでなく、周りで見ていた女性の何人かも、その仕草と表情に胸を撃ち抜かれてしまった。

 そもそも夜会の際には、男女とも普段より数割増しで素敵に見えるというのに。シャンパンゴールドの髪を後ろに撫でつけた状態は、いつも以上に色気が増していることに、本人だけが気づいていない。


「公爵、様……」

「はい、なんでしょうか」


 理由もなく、思わず呼びかけてしまった聖女の表情は、どこかうっとりとしていて。けれどそのことにも、デューキは全く気がつかない。

 悲しいかな、数少ないダンス相手は毎回、こういう表情をしていたので。デューキにとって女性のこの表情は、標準だという認識なのである。全くもって、見当違いなのだが。

 せめて数年の間でも夜会に参加していれば、間違いに自ら気づくか、もしくは誰かが指摘してくれただろうが。残念ながら、彼にそんな機会は訪れなかった。

 そうして、今。頬を上気させ、潤んだ瞳で見上げてくる聖女が、何事かを口にしようとして。ゆっくりと、その淡い色の可憐な唇を開こうとした、その瞬間。


「このっ……! 破廉恥はれんち聖女がぁ!!」


 ガラスが割れるすさまじい音と共に、ホール内に響き渡る悲鳴。そしてそれ以上の声量で聞こえてきた、女性の怒号に。


「あら、お早い到着ですこと」


 まるで当然のことのように、誰よりも早く対応してみせたのは。今の今まで、デューキをうっとりと見つめていた聖女だった。

 その上、まるでデューキを庇うかのように、一歩前へと踏み出して。まだ少し距離がある魔女との間に、割って入ってみせたのだ。


(これは……)


 どうやら、本当に守られているらしいと気づいて。喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。いっそそんな自分を情けなく思うべきなのかが、一瞬分からなくなってしまう。

 だがふと、周りを見回せば。あれだけ激しい音を立てて割れたはずのガラスで、怪我をした人物も見当たらなければ。転んだり倒れてしまった姿も、目に入ってくることはなかった。

 むしろ冷静なほどに誘導を開始している、護衛騎士たちの姿を見るに。おそらく想定の範囲内なのだろうと、デューキは妙に納得したのだった。





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