第35話 売られたケンカは ~魔女視点~

「小娘ぇ……!!」


 親指の真っ赤な爪を、前歯で噛みしめながら。水鏡に映る憎き相手を睨みつける、長いダークブロンドの髪と、ワインレッドの瞳の持ち主は。当然のことながら、不可侵の森に棲む魔女ソーシエ、その人しかいない。


「アタシを挑発しようっていうのか! 生意気な!」


 それはつまり、宣戦布告と捉えていいだろう。姿を現せば、相手の思うつぼではあるのだが。出ていかなければいかなかったで、きっとこれ見よがしに吹聴ふいちょうしてまわるのだろう。

 魔の力を持つ存在が、聖の力を持つ存在の前には姿を現さないのは、相性が悪いからだと。だから魔女は、聖女よりも弱いのだと。

 教会としても、威光をさらに強めることができる、絶好の機会だ。逃すはずがない。


「いいじゃない! 売られたケンカは、買ってやるわ!」


 そもそもデューキは、自分のモノだ。少なくともソーシエは、十年以上前からそう思っている。

 勝手に手を出そうとしているのは、聖女のほう。であれば、現実を突きつけてやらなければならない。


「聖女なんて、しょせん神の力の一部を借りているだけのクセに! 偉そうに!」


 そう。聖女の扱う聖なる力は、個々人が持つ力ではない。彼女たちの祈りの強さや信仰の度合いによって、神からさずけられるもの。神の力の、その片鱗へんりん

 なので実は、各国の聖女ごとに扱える力に差があるのだが。一般的には、あまり知られていない事実でもある。


「アタシがどれだけ長い間、魔術の研究を続けてきたと思ってるの。そこらの研究者なんかじゃ、足元にも及ばないんだから」


 魔女とは、人の枠から外れた存在。それは、扱える力だとか、そういったことではなく。存在そのものが、本当に人とは全く違っているのだ。

 大前提として、彼女たちには寿命の概念がない。そういった死の恐怖とは、無縁の存在なのだ。

 だが、無敵というわけでもない。不死身でもないので、殺そうと思えばできなくはないのだ。その前に大抵の人間は、先に命を奪われて終わるのだが。


「小娘なんかに負けるほど、弱くもないのよ」


 結界だって、本気を出せば穴をあけるくらいはできるだろう。ただ、疲れるし面倒だから、今まで実行してこなかっただけで。

 だが、今回は別だ。


「教会や小娘の顔面に、泥を塗りたくってやろうかしらね」


 聖女が張った結界を破っただけでも、彼らの面目めんぼくは丸つぶれだろう。

 だが、それだけではまだ足りない。聞こえていると分かっていながら、わざと挑発するような言葉を口にした聖女には。二度とそんな口がきけないように、痛い目にあわせなければ気が済まない。


「どうしてくれようか」


 この機会に、デューキをこの家に連れてくるのは確定として。聖女への罰は、なににしようかと考える。


「ただ命を奪うだけじゃあ、つまらない。もっと長く、後悔してくれないと」


 デューキを見る目とは、明らかに違う。世間で言われている魔女の姿そのままに、ソーシエは真っ赤な唇の端を吊り上げて、それはそれは悪そうに笑う。

 腹は立つが、報復の方法を考える時間は、とても愉快だった。


「まずは、望まない相手との結婚か。あぁそれとも、女である証を全て奪ってやろうか」


 水鏡を見下ろすワインレッドの瞳には、狂気が宿っていて。けれど同時に、憐れむような視線を送る。

 それはまるで、見下すようでもあり。現に次の瞬間には、勝ち誇ったような顔で聖女の体の一部に目を向けると。


「あぁ、それ以前だったねぇ。そーんな小さな胸じゃあ、奪ったところで無意味か」


 まるで自分の豊満な胸を強調するかのように、両腕を胸の下で組んで持ち上げる。

 凹凸おうとつの大きなその体に纏うのは、それを前面的に押し出すような、体のラインにピッタリと沿った黒い服。胸元が開いているあたりに、相当な自信がうかがえる。

 ちなみに足元も、かなり丈の短いスカートになっているので、その美貌も相まって、確かに男を誘惑するには適しているのだが。少ない外出の際には、必ずローブを羽織っているため、実はあまり知られていない。

 とはいえデューキの元に現れる際には、毎回必ずこの格好なのだが。


「それなら、ちょうどいい。その現実を、実際に目の前に突きつけてやろうかしらね」


 大勢の人間の前で、女としての魅力のなさを暴露されるというのも、それはそれで面白いだろう。案外、本人は気にしているかもしれないのだから。

 同じ女だからこそ、そんなことを思いついたソーシエなのだが。それが果たして、本当に効果的なのかどうかは、まだ分からない。

 だが、それ以上に。現れた魔女が、いきなりそんなことを口にすることのほうが、明らかに不自然なのではないのかと。指摘してくれる存在は、残念ながらここにはいなかった。


「待ってなさいよ! 聖女とは名ばかりの、盗人ぬすっと小娘!」


 さらにはデューキ自身が、正確にはまだ誰のものでもないのだということすら。これまた残念ながら、ソーシエしかいないこの場では、誰も指摘してくれないのだ。

 それがソーシエにとって、はたしてよかったのか悪かったのかは。誰にも、分からない。





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