第17話 普通であること

「以前と同じように、壁際に並びましょうか」

「そうですね。そのほうがきっと、分かりやすいかと思います」


 デューキが立ち上がりながら口にした言葉に、聖女も頷きながらソファーから立ち上がる。使用人も二度目だからか、心得たように移動した。

 そうして、聖女をブッセアー公爵邸へ招いた初日のように、壁際に二人並んで。あの時と同じように、人が一人立てるくらいの距離感を持って。

 ただ以前と違うのは、今回はこの距離を徐々に詰めていくのではなく。デューキが女性と接触しても問題ないかどうかを、これから試してみるというところだった。

 半裸になるよりはと、その提案を承諾したデューキではあったが。いざこの状況になると、さすがに緊張してくる。


「まずは、服の上からにしてみましょう。公爵様の肩のあたりに、軽く触れていただけますか?」

「は、はいっ……!」


 だが、なにも緊張しているのはデューキだけではない。使用人のほうもまた、動きがぎこちなくなるくらい緊張していた。ともすれば、デューキ以上だろう。

 そもそも、ブッセアー公爵家に仕える女性の使用人たちからすれば、あるじには決して触れてはいけないのはもちろんのこと。基本的には、顔を合わせることすら滅多にない。

 それが、今。意図的に触れるようにと、指示を出されているのだ。しかも、聖女から直接。

 この状況下で、緊張するなというほうが無理だと、誰もが認識している。だからこそサヴィターのみならず、部屋の中にいる護衛たちですら、固唾かたずをのんで見守りながらも。同時に、彼女に対してエールを送るような視線を向けていた。


「で、では……。失礼しますっ」


 一度深呼吸をしてから、彼女は覚悟を決めたようだ。そっと伸ばされる手を、デューキも緊張の面持ちで見つめながら。自身の肩にその指先が触れる瞬間を、見守る。

 緊張もしているし、多少の恐怖もあった。それはそうだろう。もしかしたら、また呪いが発動して、倒れてしまうかもしれないのだから。

 けれど、それ以上に。聖女からの提案だったのだから、もしかしたら本当に大丈夫なのではないかと。期待する気持ちのほうが大きかったことに、ここにきてようやくデューキは気づく。

 これで、もし。多少でも、女性との接触が可能になったのならば。


(きっと兄上は、喜んでくださる)


 心配性な一番上の兄は、国王としての仕事も忙しいだろうに。聖女の治療を受けたあとには、必ず自分を登城とじょうさせて、詳細を聞きたがるのだ。

 もちろん聖女の癒しの力の素晴らしさは、登城のたびに毎回誰か一人には伝えているので。今では当然のこととして、諸国にも知れ渡っている。

 ちなみに。予定していた外交が上手くいったと、兄の口から聞いたのは。ついこの間の登城の時だったと、こんな時に思い出した。

 というよりも、他のことを考えていないと、緊張で倒れてしまいそうだったのだ。剣術大会の試合の前ですら、こんなに緊張したことはないというのに。


「……あ」


 小さな呟きを零したのは、手を伸ばしていた使用人だった。その指先は、確かにデューキの肩に触れていて。


「……なんともない、か?」


 今までであれば、すぐにでも反応していた呪いが。今は全く、発動する気配すらない。

 胸は痛くない。苦しくもない。左手の表裏を何度かひっくり返しながら見ても、呪いの証であるトゲのついた枝が伸びている様子も、見受けられない。


「公爵様、成功です」

「成功……」


 聖女の言葉に、ゆるゆると顔を上げて。嬉しそうなその表情を、視界に捉えて。

 そうして、ようやく。


「そう、か……。そうかっ、成功したのかっ……!」


 言葉の意味を理解して、デューキも破顔はがんする。

 十数年だ。こんなにも長い間、悩まされ苦しめられてきた呪いが。今ようやく、その効力を弱めてくれたのだ。喜ばないはずがない。

 この日を、どれだけ待ちわびたことか。普通であることを、どれだけ待ち望んできたことか。

 聖女の言葉では、解呪にまで至っていないようではあったが。それでも、これはデューキにとって、大きな大きな一歩なのだ。


「少なくとも、お屋敷の中で働いていらっしゃる女性の使用人の皆様が、公爵様と出会わないようにする必要は、これでなくなりました」

「そうだな! ようやくこれで、屋敷の中を通常通りに動かせる!」


 今までは、極力その目にすら触れないようにと、女性の使用人たちは時間をずらしながら働いてくれていた。デューキもそれをよく知っていたからこそ、彼女たちへの感謝の念は絶やしたことがなかったが。

 これで、ようやく。彼女たちにも、普通に働いてもらえる。

 その嬉しさから、思わず素の状態で聖女へと返答してしまっていたと、はたと気づいて。


「あ、すみません。つい……」


 そう、謝罪を口にしたのだが。

 申し訳なさそうなデューキに対して、聖女は慈しむような笑顔を浮かべながら。


「いいえ。公爵様にとって、とても大切なことですから。喜んでいただけて、わたくしも嬉しいです」


 そんな風に、言葉を紡ぐのだ。

 この瞬間、誰もが思ったことだろう。彼女はまさに、生まれついての聖女だと。

 魔女の呪いが発動しなかったことと、聖女の清らかな優しさに。部屋の中が、あたたかな空気に包まれる。

 そして、その空気を壊すことなく。聖女がさらに、言葉を続けた。


「ですが、せっかくですから。直接触れることも可能かどうかまで、試してみてはいかがですか?」

「直接、ですか?」

「握手ができるようになっていれば、かなり治療の効果が出ていると考えても、よいのではないかと思うのです」

「なるほど」


 この状況下であれば、誰もがその言葉に納得する。実際デューキも、提案された最初よりはずっと、素直にそれを受け入れることができたのだから。

 そうして、この日。握手程度であれば、女性と接触しても呪いが発動しないことが判明したのと同時に。聖女の癒しの力は、本当の意味で奇跡の力なのだと、デューキは再確認したのであった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る