第16話 癒しの効果

 聖女の治療が始まって、早数か月が経とうとしていたこの日。毎度おなじみになった、脱ぐ脱がないの問答を経てから。今日も今まで通り、両手を握るだけの治療を終わらせた直後。


「そろそろ、癒しの効果を試してはみませんか?」


 唐突に、聖女からそう提案された。


「試す、とは? 具体的に、どうするのですか?」


 デューキの個人的な印象としては、時折目に入る『黒薔薇』が少しだけ薄くなってきたような気がする、くらいのもので。気持ち的には、なにかが変わったようには思えていないのだが。どうやら、聖女は変化を感じ取っているらしい。

 当然のことではあるのだが、治療をしている本人なのだから、呪いに関しては一番把握しているのだろう。

 だが効果を試すというのは、いったいどういうことなのか。疑問をそのまま口にしたデューキに、聖女サーンはゆったりと微笑んで。


「簡単なことですよ。わたくし以外の女性に、公爵様に触れていただくのです」

「な……!?」


 聖女に触れられるのですら、今も慣れないというのに。そんな状態で、呪いが発動する可能性がある人物に触れてもらおうなどと。発想が恐ろしすぎて、一瞬誰もが言葉を失ってしまう。

 とはいえ聖女とて、無計画にそんなことを口にしているのではないのだが。


「そもそもの目的は、女性と公爵様が触れても問題ないように、というところからですから。完全な解呪はまだですが、おそらく短時間であれば問題ないと思うのです」


 決して、聖女が無謀なことを言い出したわけではないことを、頭では理解していても。こうして、しっかりと説明を受けても。やはりまだ、抵抗はある。

 たとえ失敗したところで、聖女が目の前にいるのだから、すぐに癒してもらうことはできる。だから、問題はないのだと。分かってはいるのだが。


「その……。でしたら、完全に解呪できるまで待ったほうが……」


 つい、及び腰になってしまう。

 いくら癒しを受けられるとはいえ、痛みや苦しみが全くないわけではない。それを知っている以上、どうしても素直には受けられないのだが。

 そんなデューキの言葉を受けて、聖女はこう返すのだ。


「まぁ。では、上着を全て脱いでいただけますか? やはり直接わたくしが呪いに触れて、より早く解呪できるようにいたしましょう」

「いえ、このままで! 一度試してみましょう!」


 そう答える以外に、なにができるというのか。

 聖女はこうして事あるごとに、デューキに半裸になることを推奨してくる。それが解呪への、一番の近道なのだと言って。

 確かにその通りなのかもしれない。だが、デューキにだって譲れないものはある。うら若き乙女に壮年の半裸を見せるなど、その上胸に触れさせるなど、紳士として死んでも許せない。


「ご無理はなさらないでください。憂いは全て取り除いてから、次へと進む。悪いことではありません」

「っ……」


 そっと太ももの上に手が添えられて、無意識に体が飛び上がりそうになるのを、なんとか留めてみせた。

 いまだに、予告なく突然触れられるのには、慣れていない。聖女相手であれば問題ないのだと、どんなに理解していても。これまでの習慣で、つい女性というだけで避けてしまいたくなる。

 こればっかりは、長年の癖になってしまっているのだろう。意識的に変えていかなければ、どうにもならない。


「ですからどうか、わたくしを信じて。呪いに直接、聖なる力を注ぎ込みますから」

「い、いえっ! まずは試してみてからにしましょう! サヴィター、以前と同じ人物を連れて来てくれ」

「かしこまりました」


 そして、きっと聖女はそれに気づいている。だからこそなおさら、早く解呪しようとしているのかもしれないが。デューキはどうしても、その提案にだけは乗ることができない。

 これ以上聖女になにか言われる前に、従者へと指示を出して。早々にこの話題を切り上げることで、とりあえず難を逃れることにした。


「ちなみに呪いの効果は、薄くなってきているのでしょうか?」


 サヴィターが部屋を出ていくのを見送ってから、聖女へと問いかけてみる。話題を変えたかったとかではなく、ただ純粋に疑問だったからだ。

 正直なところ、治療を始めた直後と今とで、大きく変わったところがあるようには思えない。にもかかわらず、聖女がこんな提案をしてきたということは。きっと、なにかは変わっているのだろう。

 はたしてそれが、どれほどのものなのか。それが知りたくて、口にした言葉だったが。


「そうですね。わたくしの目からは、かなり魔の力が弱まってきているように見えますので。完全に呪いが発動しなくなるまで、あともう少しといったところだと思います」


 どうやら意図せずして、話題を完全に逸らすことに成功したらしい。

 真剣な表情で見上げてくる、淡いアメシスト色の瞳の奥には。確かな自信が、見え隠れしていた。


「あと少し、というのは? 具体的には、どれほどの期間が必要なのでしょう?」

「これまでに費やしてきた時間の、半分ほどだとは思うのですが……。具体的にとなると、難しいですね」

「いえ、それだけ分かれば十分です」


 むしろ、それだけの期間で呪いが発動しなくなるのならば、十分すぎるくらいだ。苦ですらない。特に、呪いのせいで色々と制限されてきたこれまでのことを思えば、なおさら。

 だが。


「では、解呪まではもう少しということですね」

「いいえ。呪いが発動しなくなるのは、聖なる力で魔の力を相殺そうさいしているからにすぎません」

「呪いの発動の有無と、完全なる解呪とは、別物なのですか?」

「はい」


 それは、あくまで呪いの発動に限った話であって。呪いを解除するということとは、また別のようだった。

 かなり衝撃的な事実ではあるが、しかし考えてみれば、これでもかなり進展があったと言えるだろう。


「お待たせいたしました」


 聖女との会話からデューキがそう結論づけたのと、ほぼ同時に。サヴィターが以前と同じ女性の使用人を連れて、部屋へと戻ってきた。

 もしもこの時、サヴィターが戻ってくるのが少しでも遅ければ。あるいは、もう少しだけ直前の会話を続けていれば。未来は少しだけ、変わっていたのかもしれない。

 だが現実は、そうではなかった。





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