第15話 邪魔者 ~魔女視点~

「どういう、こと……?」


 その日、不可侵の森に棲むソーシエという名の魔女は、ある異変を感じて水鏡を覗き込んだ。

 そこに映し出されたのは、ソーシエお気に入りの男の姿と。


「この女は……!」


 その手を取って、向かい合って座っている、一人の女の姿だった。


「こいつが、エテルネル王国の聖女か!」


 確かに、最近あの国で聖女が正式に誕生したことは、情報として知ってはいたが。まさか、こんなにも早く対応されるとは思ってもみなかった。

 しかも、自分の唯一のお気に入りの男の両手を、しっかりと掴んでいるなんて。


「許せない……!」


 悔しさから、その真っ赤な爪をギリギリと噛み締める。

 そもそもソーシエは、基本的に森に一人篭りながら、魔術や毒薬の研究をするのが好きだった。だから、あまり他人とは関わらないように生きてきたというのに。

 あの日、この森の中を歩いていた、知らない気配を警戒して。同じように水鏡を覗き込んだ先で、見つけてしまったのだ。それはもう、とてつもなく好みの男を。

 これは運命だと、急いでその男の元に飛んでいって、所有の印の『黒薔薇』を残してはきたものの。二人で住むには手狭な家を改装している間に、月日は経ち。

 そしてなによりも、人と関わらない生き方をしてきたせいで。好きな異性への接し方が、ソーシエには分からなかったのだ。だから一緒に住む踏ん切りが、なかなかつかなかった。


「そのオトコは、アタシのモノよ!」


 水鏡に向かってそう叫ぶが、当然二人には聞こえるはずもなく。むしろ、覗かれていることにすら気づいていないだろう。

 それ以前に、ソーシエはあの日以来、一度もデューキに会いに行っていないのだ。ただ着々と、年齢を重ねるごとに色気が増していっている姿を、毎日眺めて楽しんでいただけで。

 それでいて、彼に少しでも好意を抱いている女が近づくのが、とてつもなく許せなくて。仕込んでおいた『黒薔薇』の印の呪いが発動してくれたおかげで、今日まで誰かを手にかけるようなことはせずに、過ごせていたけれど。


「シャンパンゴールドの髪も、ターコイズブルーの瞳も、短く切りそろえた顎ヒゲですら、全部アタシのモノなんだから! 気安く触らないでよね!」


 今回ばかりは、どうやらそうもいかないらしい。

 だが、相手は聖女だ。魔の力は、聖の力には弱い。こればっかりは、この世のことわりである以上、魔女である自分にはどうすることもできない。

 今すぐこの場に乱入して、引きはがしてやりたいのは、やまやまだが。エテルネル王国には、強力な結界が張られていることも知っている。おそらくそれすら、聖女の仕業だろう。


「そもそもお前のようなお子ちゃまが、相手にされるはずないのよ。必死に色目なんて使っちゃって、見苦しい」


 そして同時に、ソーシエは聖女がデューキに向ける想いに、ひと目見ただけで気がついた。それは、同じ男を愛してしまったがゆえの、同族嫌悪だったのか。

 いずれにせよ、聖女に向ける視線が氷よりも冷たいのは、明らかだった。


「そーんな貧相な体で、オトコが落とせるわけないじゃない」


 そう言いながら、自身の豊満な胸を強調するように腕組みしつつ、水鏡へと見せつける。当然、それも相手には見えていないのだが。

 それでもソーシエには、自信があった。自分は聖女などよりはずっと、男が好きそうな体つきをしているのだと。


「あぁ、デューキ……」


 水面に触れないギリギリまで指を伸ばして、つい、とその真っ赤な爪で、見えているデューキの輪郭をたどる。

 男らしい顎の線をなぞった先で、唇の部分へとその指先が到達した瞬間。ほぅと、満足気に小さくため息を零す。その姿は、とてつもなく妖艶ようえんで。


「アタシは知っているのよ。紳士的で優しくて、それでいて剣を握れば誰よりも強いことを」


 うっとりとした表情も仕草も、どこか扇情的せんじょうてき。この姿だけならば、確かに大勢の男が飛びつくだろう。

 だが。


「毎日の稽古を欠かさないことも、その服の下には鍛え上げられた筋肉がついていることも、ちゃんと知っているの」


 ソーシエが魔女であることを知った途端、ほとんどの男は逃げ出すだろう。

 そして、それ以上に。


「あぁっ……! その力強い筋肉で、早く抱きしめてもらいたいっ……!」


 ソーシエ自身が、とても残念な女性だった。

 魔女という特性上、倫理観が人よりもずれていることは、もちろんだが。それよりも問題なのは、気持ち悪ささえ覚えるような、この執着の仕方。

 残念ながら、この場にそれを指摘できるような人物は存在していなかったし。そもそもソーシエの今までの人生の中でも、一度たりともそんな人物とは出会ったことがなかった。


「おはようのキスから始まって、お休みのキスで終わる一日。あぁ、なんて素敵なの……!」


 自分に都合のいい妄想だけで、一人楽しそうに過ごしている姿は、今まで誰にも見られたことはないのだが。それがはたして、よかったのか悪かったのか。

 少なくとも、デューキにとってはただ迷惑なだけだということにすら、本気で気がついていないのは確かだ。


「……そのためにも」


 ソーシエは、自分が世間一般で言うところの「残念な美女」になっているとは、気づきもせず。ただ、魔女らしい冷たい視線を聖女へと向けると。


「邪魔者は、どうにかして追い払わないとねぇ?」


 水鏡に映るその顔へ向かって、水面が揺れるのも構わず、真っ赤な爪を突き刺したのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る