第8話 公爵邸にて

「本日は、よろしくお願いいたします」

「ご足労いただきありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 ブッセアー公爵邸にて、それぞれ三人掛けのソファーに、向かい合って座りながら。お互いに頭を下げ合う、デューキ・ブッセアー公爵と聖女サーン。

 謁見の間で決定した約束から、聖女サーンをブッセアー公爵邸に招くまでに、そう時間はかからなかった。むしろ国王主導だったためか、普段よりもずっと早く決定したのではないか。

 そのことに、聖女を必要とする人々への申し訳なさを抱えていたデューキではあったのだが。


「実は、以前からブッセアー公爵様の呪いについてはお話を伺っておりまして。教会内でも、一刻も早くなんとかして差し上げたいと、話し合っていたところだったのです」

「そう、だったのですか?」

「はい。ですので、こんなにも早く機会をいただけたこと、本当に感謝いたします」


 そう聖女に言われて、どうやら兄である国王が無理を言ったわけでもなければ、急かしてしまったわけでもないと知れて、ようやく胸をなでおろす。

 と同時に、今でも教会内で話題になるほどだったのかと、多少の驚きもあった。


「こちらこそ、すぐに日程の調整をしていただけて、大変助かりました」


 実は一度目の領地の視察が終わって、すぐに予定日が決定した関係で、その後の視察の予定も騎士団への見回りも、日程をずらすことなく行える予定になった。

 当初はサヴィターと二人、領地へと向かう日取りは特に考えて、第二候補だとどのあたりだろうと頭を悩ませていたというのに。その必要は、全くもってなかったのだ。

 おかげで、今となってはただの話のネタ。笑い話にできるほど、気持ちは楽になったが。


「それで、まずはどうすればよいのでしょうか?」

「そう、ですね……。まずは、ひとつずつ確認させていただいてもよろしいですか?」

「もちろんです」


 実は、聖女を屋敷に招き入れると決まった時。女性を招いたことなど一度もない公爵邸の内部は、密かに慌ただしくなったのと同時に、少しだけ緊張感も漂っていた。

 いくらデューキを治療してくれた恩人とはいえ、女性であることに変わりはない。しかも相手はただの女性ではない。奇跡の稀人まれびと、聖女なのだ。

 それはもう、今までにないほどの勢いで、使用人たちの間で議論が交わされた。

 紅茶はどこどこの銘柄にすべきだ。一緒に出す菓子は、それに合わせたものにすべきだ。いや、より女性が好みそうなものにすべきだ。などなど。


(気持ちは分からないでもないが、最後のほうは目的を忘れかけていたな、あれは)


 女性をもてなすという、初めての経験に。ある意味で、使用人たちが舞い上がってしまっていたのかもしれない。

 特に、普段あまり接する機会のない女性の使用人たちが、ここぞとばかりに張り切っていたと。あとからサヴィターに聞いた時には、呆れより先に申し訳なさがきてしまったのは、ここだけの話だ。

 実際に今日も、聖女をここまで案内してくれたのは女性の使用人ではあるが。この部屋の中には、一歩も踏み入れていない。

 その姿を見て、せっかく公爵家に仕えているのに、いつまで経っても女主人を用意してやれない上に、そもそも屋敷の主人とも意思の疎通が図りにくいなど。魔女の呪いのせいで、彼女たちの仕事にも少なからず影響を与えているのだと、改めて認識した。


「では、右……あぁ、いえ。より呪いに近い、左手を出していただけますか?」

「はい」


 言われた通りに手を差し出しながら、これからなにが始まるのだろうと、少々緊張してくる。

 しかも目の前にいるのは、ここ数年どころではないほど関りが薄かった、うら若き乙女なのだ。マダムの扱いには慣れていても、レディーの扱いは、はたしてどうなのか。

 そもそも、この年齢差だ。親子ほどとはいかないまでも、下に弟も妹もいないデューキからすれば、なかなかにどう接していいものか。距離感が測りづらいところではある。

 一番上の兄である国王との年齢差のほうが、まだ大きいというのに。性別の差と自分が年上になっただけで、ここまで勝手が違う気がしてしまうのだから、不思議なものだ。


「まずは、聖なる力を纏った状態で、わたくしが一度触れてみます。もし少しでも異変を感じた場合には、すぐに教えていただければ即座に治療できますので、ご安心ください」

「っ……はい」


 聖母のような笑顔で、とんでもないことを言い出したと思ったが。確かに、そもそも聖女が自分に触れられるのかどうかは、気になるところではある。

 だが、一瞬息を飲んだことすら、お見通しらしい。


「そのように緊張なさらずとも、大丈夫ですよ。魔の力は聖の力に弱いので、おそらく問題は起きませんから」

「そう、ですね」


 頭では理解しているのだが、実際に女性に触れるとなると、かなりの勇気が必要なのだ。こればっかりは、仕方がない。

 それを分かってくれているのだろう。聖女は、一度デューキが深呼吸するのを待ってから。そっと、問いかけてきた。


「よろしいでしょうか?」

「……はい、お願いします」


 答えたデューキの声は、緊張からか強張こわばっていたが。それでも覚悟だけは、しっかりと決めて。

 女性らしい、小さくふっくらとした白い手が、自身の手を優しく包み込む様子を。ただジッと、見つめていた。





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