第17話 妖狐と読心
林祐司さんは生きて、この世界のどこか───それも香論達からそう遠くないどこかに住んでいる。
そのヒントさえあれば、香論には充分だ。
(ホントは華里奈姉ちゃんも連れ回すつもりだったけど……やめた方いいよね)
幽寂の森は、妖界の中でも聖域と言っても過言ではない場所だ。悪妖ならいざ知らず、善妖でさえも立ち入るのを躊躇う森。
そんな場所に入ったのだから、体感以上に疲れが出るのも当然だ。
愛沢家の地下に戻ってきた華里奈は、心配になる程度には白い顔をしていた。
(……千里眼なんてスゴい能力持ってても、華里奈姉ちゃんは人間だもんね)
『千里眼』は、いわゆる人間の突然変異であって、妖ではない。
妖の血を引く香論たちとは、根本から別種の生き物なのだ。
「……華里奈姉ちゃん、坂口家まで送ってあげるよ。もう少し頑張れる?」
香論がそう訊くと、華里奈は目を少し見開いて首を振った。
「だ、大丈夫だよ、香論ちゃん。これから調査に行くんでしょ?あ、その前にお昼食べる?」
早口で華里奈は言うが、明らかに無理をした表情だった。
香論は首を振る。
「調査は明日でも明後日でも、サイアク独りでもできるけど、体調は一回崩したら大変だもん。アタシたちと違って、華里奈姉ちゃんは人間だし」
華里奈がキョトンとしたので、香論は補足した。
「アタシたち半妖は、身体も丈夫なの。風邪も病気もしないし、軽い怪我ならすぐ治る。酷い怪我でも、麻鈴姉ちゃんが治してくれるけど」
「す、すごいね……」
「でしょ。妖の血には、そういう身体面でも良いところがあるんだよ」
(……ホントに良いところかというと微妙かもだけど)
華里奈には絶対に言えないが、すぐに治るからと言って軽率に自傷に走る姉が二人もいるのである。
香論は、二人を反面教師にすると固く心に誓っている。
痛いのは嫌だ。
「……とりあえず華里奈姉ちゃんは身体を休めた方がいいよ。あんまり無理させちゃ、アタシが亜乱兄ちゃんに怒られちゃう」
香論が肩を竦めると、華里奈は観念したのか頷いた。
亜乱に心配を懸けるのは本意ではないらしい。
二人が一階に戻ると、リビングには紫暗と瀬廉以外の兄弟全員が揃っていた。
「香論、カリナ。お疲れ」
そう労ってきたのは亜乱だ。口調はぶっきらぼうだが、顔には心配と親愛の色がありありと浮かんでいる。
「亜乱君」
華里奈は名前を呼んで亜乱に駆け寄った。さっきまでは青白かったはずの肌が、薔薇色に色づく。香論は二度見した。
(『恋する人は美しい』とか言うけど……流石に華里奈姉ちゃんと亜乱兄ちゃんは分かりやすすぎない?)
あの二人の周囲だけ花が飛んでいる。近くにいた麻鈴と理炎は、居心地が悪そうだ。
「幽寂の森に行ってきたのか?」
「そうそう。香論ちゃんにラミさん紹介してもらったよ」
「そうか。幽寂の森は入り組んでるからな、大変だっただろ」
「ううん。これも『花嫁修行』の一環だから大丈夫」
満面の笑みで大胆なことを言う華里奈に、亜乱は顔を右手で覆った。
(……耳真っ赤じゃん)
「……ま、あんま無理すんなよ」
辛うじて絞り出したのであろう声は素っ気なかったが、顔に全てが出ている。
これ以上惚気を見せられるのが嫌だったのか、麻鈴が遠慮がちに二人の世界に割り込んだ。
「…………ねぇ、二人とも。そろそろご飯にしましょう。華里奈さんも、食べていくでしょう?」
「う、うん。お昼食べて、香論ちゃんと調査に行こうかと思ってたんだけど……。私もここで食べてっていいの?」
「えぇ、もちろん。確か冷蔵庫に、昨日の晩ご飯の残りがあるはず……いえ、華里奈さんもいるのだし、何か買ってきた方が良いかしら」
「いいよ、麻鈴ちゃん。私そういうの気にしないタイプだし」
「分かりました。準備するから少し待っててください。亜乱達も、ダイニングに行っててちょうだい」
「分かった」
「は〜い」
返事をしてから香論は気づいた。
(え、これってご飯食べたらそのまま林祐司さんの捜索に行くカンジ?)
さっきまで華里奈を休ませるつもりだったのに。
(……ま、亜乱兄ちゃんと会って回復したっぽいし良っか)
愛の力は偉大である。
「……残りとか言ってたのに、普通に豪華じゃない?」
食卓には、色鮮やかで栄養満点と思われる料理が数多く並んでいた。
麻鈴は苦笑する。
「普段は8人で食卓を囲んでいるから、これくらい色々なものを作らないと、好き嫌いに引っ掛かるんです」
「……普段作ってるの瀬廉姉ちゃんだけどね」
香論がボソッと言うと、麻鈴はそっぽを向いた。
麻鈴も料理はできなくはないが、家族に包丁の使用を禁止されている。
瀬廉のいない今は、由香子主導の下、麻鈴が手伝って作っていた。
「そういえば、瀬廉ちゃんと紫暗君はどうしたの?」
「あぁ、瀬廉は───」
「刹邪お兄ちゃんとお泊まりデートだよ」
言いかけた亜乱に、香論は無理矢理言葉を重ねて誤魔化した。
(瀬廉姉ちゃんは今『病み期』だから、なんて言わない方が良いに決まってる)
亜乱は優しいが、大雑把で気が利かないので、知らない方がいいことまで言いかねない。
「お、お泊まりデート⁉︎」
叫んだ華里奈は赤面する。
(……思ったより過剰反応されちゃったけど……ま、嘘じゃないから良っか)
青鬼の里にいる間、瀬廉は里長の家で過ごしているだろう。客間で寝ているのか、刹邪に添い寝を頼まれているのかは知らないが、まあ広義でお泊まりデートと言えなくもない。
「……で、紫暗兄ちゃんは拗ねて自室に引きこもってる」
(……正確に言えば、紫暗兄ちゃんも『病み期』なんだけどね)
紫暗は、人よりも吸血鬼の血の方が濃い。
瀬廉の血が吸えないせいで、体調を崩してしまっているらしい。
「……超絶イケメン王子様気質の青鬼さんと、憂いを帯びた美青年のお兄ちゃんに取り合いされる気品ある美少女……」
華里奈は恍惚とした目でブツブツと何か呟いていた。
香論の言えた口ではないが、華里奈はかなりのミーハーである。恋愛小説、恋愛漫画などなど、香論と華里奈は、時々その手の話で盛り上がる。
正直、実の兄と姉がイチャイチャしている姿は、気持ち悪いとしか思えないが。
「……紫暗兄ちゃんと瀬廉姉ちゃんの話はともかく……。華里奈姉ちゃん、食べ終わったら、とりあえず街に出てみようと思ってるんだけど、大丈夫?」
「うん、大丈夫!林祐司さん、早く見つかると良いね!」
すっかり元気を取り戻した華里奈に、香論は内心ホッと息を吐いた。
「それじゃあ、アタシは華里奈姉ちゃんとお仕事行ってきまーす!」
香論が明るい声でそう言うと、亜乱は優しい目で笑った。
「おう。……カリナ、気をつけろよ」
「ありがとう、亜乱君。行ってきます!」
愛沢家を出た二人は、とりあえず大通りを散策することになった。
「ねぇ、香論ちゃん。林祐司さんを探すって言っても、そんなバッタリ会うことできるの……?」
華里奈の今更かつ当然な疑問に、香論は嬉々として答えた。
「んーん。流石にそれは無理。だけど……華里奈姉ちゃん、『六次の隔たり』って知ってる?」
華里奈は目を瞬く。
「六次の隔たり……?」
知らない様子の華里奈に、香論はますます笑みを浮かべた。
自分の持っている知識を他人に披露できるのが嬉しいようだ。
「えっとね、『六次の隔たり』は……確か……そう。知り合いの知り合いを繰り返し辿って行くと、6人目でほぼ世界中の誰とでもつながりをもつ……っていうやつ」
「へ、へぇ……」
生憎、華里奈は聞いたこともなかった。
「世界中の誰とでも6人目で繋がれるんだから、同じ地域に住んでるんだったらすぐに見つかるよ。林祐司さんを知っている誰かが、一人くらいは」
香論は薄く笑う。
「さぁ、楽しい仕事を始めようっ!」
トンッとスキップして、香論は華里奈の方を振り返った。
大きな瞳が、華里奈を映す。
瞳孔が、限りなく細められる。
「『千幻万化』───お願い、誰か、アタシに力を貸して」
その途端。
その途端、華里奈の身体に電流が走った。
いや、正しく言うならばそれは錯覚で、ただ、華里奈はゾッとしただけだった。
身体の内が全て暴かれるような感覚。そう、ラミと会った時と同じ感覚。
だが、あの時の不快感とはまた違う。
ラミのあれは、周りを圧倒するものだった。不快感を無理矢理受け入れさせるような。
香論のこれは、懇願されているような悲しげなものだった。思わず許してしまうような。
「───ん、華里奈姉ちゃん、どうしたの?」
香論に呼びかけられて、華里奈はハッとした。
「……な、何でもないよ⁉︎……と、ところで香論ちゃん、今何をしたの?」
香論はニコリと笑う。
「アタシは妖狐。人を覗き、欺き、惑わし暴く。……そういう力なの」
少し、声が低くなったように聞こえたのは気のせいだろうか。
「とはいえ……アタシはラミと違って妖力量が少ないから……列島全土に術をかけることはできなくて。せいぜい、半径500メートルくらい?その範囲内の人の記憶を片っ端から読んでみてる」
「…………」
(今サラッと凄いこと言わなかった⁇……人の記憶を……読む?読んでみてる?)
華里奈は、香論の言葉を咀嚼するのに少し時間を要した。
「……あれ、私も現在進行形で読まれてるの?」
華里奈が首を傾げると、香論は苦笑いした。
「……んーん。他に例がないからよく分かんないけど、『千里眼』の持ち主はそっち系の術に耐性があるっぽい。華里奈姉ちゃんには、記憶改竄も読心も効かないよ」
「そ、そうなんだ……」
「……ていうか、もし華里奈姉ちゃんが千里眼を使いこなせるようになったら、アタシなんかよりも読心術上手くなると思うよ……」
「そ、そっか……」
香論の声がどんどんどんどん低くなっていってる気がするのは気のせいだろうか。
(何か気に障ること言ったかな……?あっ、こういう特別な力って、やっぱりあんまり人に話したくないとか……?)
うっかりどこかに情報が流出したら困るのだろう。
「……あ」
ふと、香論は立ち止まった。
「香論ちゃん、どうしたの?」
「……見つけた」
香論は、どこか遠く、一点を見つめていた。
「見つけた。林祐司さんを知っている人……!」
「本当⁈」
喜んでいる華里奈とは対照に、香論は顔を曇らせた。
「……華里奈姉ちゃん、こっち来て」
「えっ、ちょっ⁈」
華里奈が引っ張っていかれた先は薄暗い路地裏だった。
香論は壁に寄りかかりながら、ズルズルと座り込む。
「香論ちゃん⁈どうしたの⁉︎」
「……施設……カスミ館…………」
途切れ途切れに単語を告げる香論。華里奈は、何もできずに見守るだけ。
ややあって、香論はノロノロと立ち上がった。
「香論ちゃん、大丈夫?」
「うん、へーき。ちょっと、読心に集中してただけだから」
香論は、沈んだ声で続ける。
「……林、祐司さん。年齢は61歳。親族はいなくて、今は『カスミ館』っていう施設に住んでるみたい。……若年性認知症が進んで、もはや、まともな会話もできないって。アタシの見つけた人は、その『カスミ館』の介護士」
華里奈は息を呑む。
「そんな……じゃあ」
「たぶん、佐藤茉里さんのことなんて、何も覚えてないと思う」
「……」
静けさが辺りを支配する。
ややあって、香論は笑った。
無理矢理、口角を上げていた。
「帰ろ、華里奈姉ちゃん。これで茉里さんの依頼は達成した。茉里さんには、祐司さんは既に亡くなっていたと伝えるよ。早く黄泉に還って、あっちで彼と再会するように」
「……でも」
大通りに戻ろうとする香論に、華里奈は震える声で訴えた。
「でも……でも、嘘、つくの?茉里さん、私でもハッキリ分かるくらい、祐司さんに恋してた。せっかく会えるチャンスかもしれないのに、そんな……」
香論は何も言わない。
「確かに、ずっと、ずーっと待ってたら、いつかあの世で会えるのかな。私はそういう知識ないから分かんないや。でも、香論ちゃん、さっき『人格が弱る』って言ってたよね?あの世で会っても、もう……」
「…………じゃあ」
香論の声は、妙に冷えていた。
「じゃあ、華里奈さんも想像してみてよ。亜乱兄ちゃんが記憶喪失になって、『はじめまして』なんて言ってきたら悲しくない?」
「……それ、は」
「今再会したって、……そもそも幽霊だから茉里さんが一方的に見るだけだけど……祐司さんは、きっと茉里さんが知る姿よりもずっと老けてボロボロで、茉里さんのことを覚えてもなくて……そんな状態の彼と会ったところで、ハッピーエンドが迎えられるわけがない」
「……」
華里奈は何も言えず立ちすくんだまま、香論の背を見送った。
香論の言うことは、きっと正しい。
華里奈だって、亜乱に忘れられて「はじめまして」なんて言われたら、ショックで三日三晩は泣いていられる自信がある。
でも。
(私は、向き合うべきだと思う)
華里奈は、いつか出会った少女を思い出していた。家に帰ることができず、憐呑の力によって無理矢理成仏させられた、小さな少女。
憐呑が悪いとは思わない。怨霊化してしまったら、それこそ少女のためにならないのだから。
(でも、今回は……)
香論は、ショックを受けた茉里が心的ダメージを負うのを気にしているようだが、華里奈はそうは思わない。
茉里は、きっととても愛情深い人だ。
(茉里さん、探さなきゃ。そして、カスミ館に行こう)
香論に無断で行動するのは駄目なことかもしれないが、華里奈は、どうしても茉里と祐司を引き合わせたかった。
だって。
───私は、たとえ亜乱君に何があっても、傍にいてあげたい。
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