第18話 千里眼とハッピーエンド
茉里は、きっとそう遠くにはいないだろう。
依頼を受けたのは今日の朝、今は昼過ぎ。
(よし!大変そうだけど、頑張って探そっ‼︎)
と、勢い込んだものの───。
(世界って、案外狭いよね……)
───1時間もせずに、茉里は見つかった。
街中を探し回っていたところ、偶然通りかかった公園で、偶然見つけたのである。
ベンチに座って、はしゃいで追いかけっこをする子どもたちを見つめていた。
「ま、茉里さんっ!」
横から声をかけると、茉里はまあ、と言って少し横にずれた。隣に華里奈は腰掛ける。
「こんにちは、華里奈さん。どうかしましたか?」
「あの、えっと……林祐司さんの、居場所が分かったんです」
「まあ」
茉里は目を見開いて、少し前のめりになった。
「本当に、本当に見つけてくださったんですか?彼は元気にしてるでしょうか」
「えぇっと……」
華里奈は口ごもる。
(香論ちゃん、若年性認知症とか言ってたよね)
目の前の茉里は希望に満ち溢れた顔をしている。悪い話は教えたくない。
「……えっと、林祐司さん、は、……」
華里奈が目を泳がせていると、不意に。
不意に、茉里は眉を下げた。
「……すみません、困らせましたか?」
「え……?」
茉里は遊ぶ子どもたちを見つめる。
「私って、もう、死んでるじゃないですか」
急に話が飛んで、華里奈は目を白黒させた。
「えーと」
「急に目が覚めたのは、知らない道路の真ん中でした」
静かに語り始めた茉里に、華里奈は口を挟むのをやめた。彼女の声に、耳を澄ます。
「私、信号無視した車に撥ねられるっていう、なんていうかありがちな死に方をしたんです。最期に見たのは、皮肉なくらい青い空!すぐにそう思い出した私は、自分がいわゆる『幽霊』になっていることに気づきました。誰に声をかけても反応しない。周りには、見覚えのない景色が広がるばかり。……すごい時間が経ったんだって、直感で分かりました」
華里奈は、黙って相槌を打つ。
「ゆう君は私の、高校からの恋人でした。なのに、突然の事故で、私は彼に会う権利を永遠に失った」
それでも、と続ける。
「やっぱり、会いたいじゃないですか。急に幽霊になれたのも、きっと、私の想いを神様が汲んでくれたんじゃないかって」
茉里は、ポロポロと涙を流す。それは、茉里の服にも、ベンチにもシミを作ることなく消えていく。
「……お願いします、華里奈さん。私という存在がこの世から無くなってしまう前に、どうか、どうかもう一度だけ、彼に逢わせて!」
そこで、華里奈は覚悟を決めた。
「分かりました、私に任せてください!」
その時、華里奈は視た。
「……光?」
「……華里奈さん?どうしましたか?」
茉里の声に答える余裕もなく、華里奈は、突如として現れた光に釘付けになっていた。
「…………道しるべ」
その光は、華里奈の足元から、輝く道を作っていく。
(もしかして……これが、『千里眼』の効果?)
この光を辿っていけば、カスミ館に着くだろうか。
(……まあ、スマホで調べても良いけど、もしかしたら近道とかかもしれないし)
「よし!」
華里奈は、気合を入れるために拳を握った。
「行きましょう、茉里さん!」
彼女の願いを、叶えるために。
「……凄い……。本当に着いた」
華里奈は呆然と呟いて、『カスミ館』と書かれた古びた看板を見上げた。
(千里眼、すごい)
正直半信半疑だったのだが、信号で止まることなども一切なくスムーズに辿り着いたのである。
「えぇっと……華里奈さん、どうやって入りますか?」
茉里は戸惑いがちに聞く。
「んー……」
親族もいないらしい祐司を訪ねて来る人がいたら、怪しまれるのは目に見えている。
「……茉里さんだけ入れば大丈夫じゃないですか?幽霊ですし」
茉里はパチリと目を瞬いた。
「……そうでした。私は今、華里奈さんみたいに霊感のある人にしか視えないんですもんね。華里奈さんがあまりに普通に会話してくれるので、忘れてました」
茉里は、看板を見上げながら訊く。
「……せっかく連れてきてもらったのに、華里奈さんは入らなくていいんでしょうか」
華里奈は笑いながら答える。
「せっかくの再会に、部外者がいる方が変ですよ」
(本当は見たかったけど)
水を差すわけにはいかない。
「……じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
緊張した面持ちで扉をすり抜けていった茉里を見送って、華里奈は近くにあったベンチに腰を下ろした。
(茉里さんと祐司さんが、無事に再会できますように)
扉をすり抜けた茉里は、キョロキョロと辺りを見回していた。
(……ゆう君、どこにいるんだろう)
華里奈の表情から察するに、介護士ではなく被介護者ではありそうだ。しかも、だいぶ病状が悪いと見た。
(……えーと、上の階かな。寝たきりの人とかはそっちに集まってるっぽい?)
こういう時、幽霊というのは便利なものだ。
一部屋一部屋、見て回る。
そして。
「……林祐司」
茉里はポツリと呟いた。
とある一室のルームプレートに、そう書かれていたのだ。
「ここに、ゆう君が……」
茉里はゴクリと唾を呑み込んで、ゆっくりと扉を通り抜けた。
ベッドに、誰かが横たわっている。
それを認識した瞬間、茉里は咄嗟に叫んだ。
「ゆう君ッ‼︎」
茉里の感覚では、それは建物全体に響くような大声だったのだが、ベッドに横たわっていた誰かは、微動だにすることはなかった。
「ゆう君、私だよ!茉里だよ!ずっと逢いたかったの‼︎」
そう叫んでも、彼に声は届かない。
茉里はベッドに近付く。たとえ触れられなくても、触れたかった。
名前を呼びながら顔を覗き込んだ瞬間。
「ゆうく───……」
茉里は、言葉を失った。
「…………」
その誰かは、茉里の知る林祐司よりもはるかに老いていて、皺くちゃで、正直なところ、見る影もなかった。
ボンヤリとした目で、虚空を見つめている。
一応目は合っているはずなのだが、意思が感じられない。
(……何歳だろ、今。認知症か何か……?)
あまりにも生気がないので、本当は死体なのではないかとすら感じた。
「……ゆう君、もう、私のこと忘れちゃった?」
「…………」
老人は答えない。当然だ。茉里は幽霊で、祐司は恐らく認知症で呆けている。
「……そっか、忘れちゃったかぁ」
声が震えて、勝手に涙が溢れてきた。
「……仕方ないよねぇ。ゆう君ってば忘れっぽいから、私がしっかりしなきゃだもんね」
涙が頬を伝って落ちる。
零れた涙が、老人の顔に降りかかる。透過して、その顔を濡らすことすらできない涙。
「……ぃ」
ふと、小さなうめき声のようなものが聞こえて、茉里はハッとした。
「……ゆう君?」
「……ま、り」
今度はハッキリと聞こえた。
さっきまで虚ろな目をしていた祐司は、しっかりと茉里の目を見つめていた。
「ゆう君……どうして……私のこと、視えて……?」
それに答えるように、祐司は微笑む。
「…………ず、と……あ、ぃし、る……茉里」
掠れ声。途切れ途切れで、ひどく拙い発声だ。
だが。
「……うん、私も。私も、ゆう君のこと大好きだよ」
茉里には、それで充分だった。
自分の指先が光を放ち始めていることに気付いて、茉里は泣き笑いをしてみせた。
「私のこと、愛してくれてありがとう、ゆう君。どうか、来世で」
「……」
既に、祐司は元の虚ろな老人に戻っていたが、それで良かった。
(華里奈さんに、お礼言わなきゃね)
その数刻前。
ベンチに座って華里奈がボーッとしていると、不意に隣から声を掛けられた。
「……華里奈姉ちゃん」
「香論ちゃん⁉︎どうしてここに?」
慌てて横を向いた華里奈は、小さく息を呑んだ。
香論の、いつもはキラキラと輝いている目が、今は濁って視えたのだ。
「……華里奈姉ちゃんの気配が、どんどん遠ざかっていったから……。読心使って探し当てたの。……茉里さんと、一緒だったんだね」
華里奈は目を泳がせる。
「あ、ご、ごめんね、香論ちゃん。勝手に行動したのは、え、と、その、でも、茉里さんと祐司さんを会わせたくて、だから───」
「別に怒ってないよ」
香論は凪いだ表情で笑った。
「だって、アタシが悪いんだから」
「香論ちゃん……?」
香論は、カスミ館を見上げる。
「……そう、アタシの見立てが間違ってたの。茉里さんと祐司さんはちゃんと再会できて、二人は幸せな結末を迎えた。華里奈姉ちゃんのお手柄だね」
「……でも、そもそも香論ちゃんがいなきゃ、カスミ館って場所すら分からなかったし」
「それはないんじゃないかな。華里奈姉ちゃんは、きっと、茉里さんの為に千里眼を完全覚醒させたんだろうし」
「……え?それは───」
華里奈が聞き返した瞬間、
「華里奈さん、香論さん!」
喜びに弾んだ声が辺りに響く。
「茉里さん!」
カスミ館から飛び出してきた茉里は、とても晴れやかな顔をしていた。
「茉里さん、身体が……!」
指先や、爪先から、徐々に消えかかっていた。
「最期に、ゆう君と話せたんです!お二人のお陰です!」
話せた、という言葉にピクリと反応したのは香論だ。
「……林祐司さんと話せた、ってことは、彼もかなり死が近いってことだよ」
「……そうですか」
たちまち茉里の表情が翳ったが、香論は言葉を重ねた。
「三途の河を渡る前に、渡守に頼み込むと良いよ。大抵彼らは慈悲深いから、きっと一週間くらいは待ってくれる。……祐司さんがそちらに着くまでは」
淡々と、大人びた言い方だったが、優しさは伝わった。
「……そうね、冥土デートというのも面白いかも」
冗談っぽく笑って、茉里は頭を下げた。
「香論さん、華里奈さん。私の依頼を聞いてくださり、本当にありがとうございました。お二人に、幸が多からんことを」
言い終わるや否や、茉里の身体は光の粒となって消えてしまった。
(良かった。茉里さんと祐司さんが再会できて)
華里奈は微笑を浮かべて、その光を見届けた。
愛沢家に帰ってきた後のこと。
香論は、自室のベッドに寝転がってボーッとしていた。
(華里奈姉ちゃん……千里眼使ってたね)
無意識のうちに茉里を探し当て、カスミ館に辿り着いた。
「……あーあ」
亜乱の花嫁となる上では、とても喜ばしいことだ。
そんなことは分かっている。
分かってはいるが……
「……これじゃ、アタシなんてもう用済みじゃん?」
香論は、人の感情や記憶を読む。愛沢六人兄弟の中に、他に似た能力者はいない。
それが、香論を祓い屋として辛うじて生かしていた。
が、その特別性がなくなればどうだろうか。『千里眼』さえあれば、記憶の読み取りなど容易だ。
香論の価値は、また下がる。
みんなは優しいから、足手纏いだとは思わないだろうが、きっと期待はされなくなる。
「……アタシ、なんでこんなに弱いんだろ。愛沢家に生まれたの、間違ってたのかな」
思考がどんどん悪い方へ流れていく。
大好きなキャラクターのぬいぐるみも、可愛いクッションも、アクセサリーも、今は鬱陶しいとすら感じてしまう。
(……こんな時、瀬廉姉ちゃんなら何て言うかな)
沈んでいる香論は気味が悪い。そんなに暇なら授業の予習なり復習なりやれば良い。
大体こんな感じだろうか。
(……うん、そうだね、瀬廉姉ちゃん。───価値がないんだったら、価値がないなりにやれることもあるもんね)
そうしなきゃ、それこそ用済みになってしまう。
(……頑張らなきゃ)
頑張るから、どうか。
───誰か、アタシのことを認めて。
変人ばかりの狂愛一家は今日も愛する人の為に祓い屋として働く 桜月夜宵 @Capejasmine
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