第16話 幽寂の森と化狸

華里奈が目を開くと、深い森の目の前だった。

「ここ、が……幽寂の森……」

耳に届くのは、風が木々を揺らす音のみ。

「ここに、ラミさんがいるの?」

「うん。……たぶん、今日はいる」

そう言って、香論は一歩前に出た。

華里奈は慌てて止める。

「ま、待って香論ちゃん。こんなところ入ったら迷子なっちゃうよ」

華里奈は必死に目を凝らす。が、森の奥は深い闇に包まれて何も見えなかった。

「大丈夫だよ、華里奈姉ちゃん。ちゃんとラミが導いてくれる」

香論は華里奈の手を握って森の中へ一歩進んだ。

その途端、華里奈は息を呑む。

「───⁈……きれい」

暗がりが、急に淡い光で照らされたのだ。

「これは……蛍?」

「まあ、そんな感じかな」

フワフワと浮遊する光源は、整列して一つの道を形作る。

「これに沿って歩けば、ラミのところに行ける。多少歩くことにはなるけど」

華里奈の手を握ったまま、香論は軽い足取りで森を抜けていく。

華里奈は必死に着いていきながら、同時に幻想的な光景に目を奪われていた。

闇の中で、柔らかな光が明滅する。

「……ほら、華里奈姉ちゃん。そろそろ目的地に到着だよ」

香論が指差す方に目を向けると、確かに、淡い光が一際強く輝いているのが分かった。

二人は、そこに足を進める。

そして───


「いらっしゃい、香論ちゃん、千里眼のお嬢さん」


───二人を出迎えてくれたのは、少女にしては低いような、少年にしては高いような、それでいて大人びた声だった。

華里奈はキョロキョロと辺りを見回す。声は響くが、肝心のラミの姿は見当たらなかった。

周りは木と光に囲まれ、視界もあまりよろしくない。

「ふふ、千里眼のお嬢さん。僕の姿を探しているの?確かに君の千里眼ならそれも可能だけれども……まだまだ修行不足だね。僕を、淫魔そこらの悪妖と一緒にしてもらっちゃあ困るなあ」

声は反響していて、どこから話しているのかもわからない。

「え、えっと……私の名前は坂口華里奈です!えっと、あの、……ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」

声の主はクスッと笑う。

「分かった、華里奈ちゃんだね。僕のことはラミって呼んでくれると嬉しいな」

「ラミ、さん」

「そう、ラミ。化狸のラミだよ。昔から、愛沢家とは浅からぬ縁があってね。憐呑くんたちと一緒で、愛沢家の『協力者』をやってるんだ」

華里奈が辺りを見回しながら相槌を打っているのが面白かったのか、ラミはまたクスッと笑った。

香論は口を尖らせる。

「ねぇ、ラミ。そろそろちゃんと出てきてよ。アタシが仕事の件で来たのだって、分かってるんでしょ?」

「もちろん」

パチンと、扇を閉じるような音がした。

その途端、辺りの景色がグニャリと歪み始める。

「な、何これ……?」

華里奈がしゃがみ込むと、香論は華里奈の手をギュッと握ってくれた。

「やっぱりびっくりしちゃうよね。アタシも最初は大変だったなぁ。慣れれば平気になると思うんだけど……」

やがて歪みが収まると、そこには先程とは全く違う光景が広がっていた。

「す、すごい……‼︎」

二人は、小さな木造の小屋の中にいた。

テーブルが一つと、椅子が三つ。窓からは、陽光が差し込んでいる。

「さて」

後ろから声が聞こえて、華里奈は慌てて振り返った。いつの間にか、少女が佇んでいる。

「改めて……はじめまして、華里奈ちゃん。僕がラミだよ。よろしくね」

にっこりと微笑んでラミはそう言った。

「は、はじめまして」

華里奈は、ラミの全身を眺める。

歳は香論と同じか、少し年上といった見た目だった。おかっぱ頭で、艶やかな黒髪をしている。優しげな垂れ目は黒真珠の輝きを放っており、桜色の唇も愛らしかった。また、巫女装束を纏っていて、動く度、鈴の音が響く。

(……なんか、意外かも)

一人称が『僕』だったのでもうちょっとボーイッシュな感じかと思っていたのだが、偏見というのは良くないということだろう。

「じゃあ挨拶も済んだことだし、二人とも座っていいよ」

「は〜い」

香論はそう言って、ストンと腰を下ろした。華里奈も同じように座る。

「さてさて、香論ちゃんが祓い屋の仕事を持ってくるなんて久しぶりだね。どういう仕事?」

香論は真剣な顔で答える。

「眠っていた佐藤茉里さんの魂が覚醒して、霊として顕現しちゃったの。アタシたちは、茉里さんの俗世への未練を断ち切って成仏させるために、林祐司さんを探してる」

ラミはふむふむと頷く。

「つまり、茉里さんの探し人───祐司さんを探そうにも、茉里さんの記憶が欠如していて、探し出せるか分からないってことだね。憐呑くんの『回想酒』や『忘却酒』は飲ませなかったの?」

香論はプクッと頬を膨らませた。

「……だって……それだと……」

ラミはクスッと笑う。

「それだと、香論ちゃんの出番がなくなっちゃうもんね」

「……」

香論はテーブルに突っ伏した。いつの間にか飛び出していた狐の耳が、萎れている。

「……そーだよ。紫暗兄ちゃんは『お前が適任だ』って言ってくれたけど、憐呑お兄ちゃんとか、ラミとか、もっと適任な人なんていくらでもいるんだから」

「か、香論ちゃん⁈」

華里奈はアワアワしつつ、そっと香論の頭を撫でた。耳に触れたいのは我慢しつつ、励ましの声を掛ける。

「わ、私は香論ちゃんが頑張ってるの知ってるよ!私が、祓い屋について色々知れるようにキッカケとか作ってくれるし、香論ちゃん学校の勉強も頑張ってるでしょ?私も亜乱君も勉強苦手だから凄いと思う!」

香論はうめき声を上げた。

「だって……そもそも亜乱兄ちゃんは狼男としてゆーしゅーだから……学がなくても祓い屋として生計立てれるし……アタシは妖力量少ない失敗作だから……うぅ…………」

華里奈はますます慌ててラミに助けを求めた。───が、ラミは華里奈の視線をスルーして香論を見つめている。

「……………………」

香論はしばらく突っ伏したままジッとしていたが、ややあってガバッと顔を上げた。

「こんなことしてる場合じゃなかった!今は茉里さんのお願いを叶えなきゃ!」

大声で宣言し、ラミに詰め寄る。

「ラミ、いつも通りヒントちょうだい!林祐司さんが住んでいる地域……いや、生きてるか死んでるかだけでいいから」

グイッと顔を近づけてきた香論に、ラミは両手を上げてのけぞった。

「香論ちゃん……いったん落ち着こう?ヒントはいくらでも出してあげるから」

華里奈は首を傾げる。

「ヒントって……なんかゲームみたい」

ラミはふふっと笑う。

「そうだね。これは、一種のゲェムと言っても過言じゃあない」

ラミは続ける。

「香論ちゃんは愛沢家の御息女とはいえ、まだ発展途上な面が強いからね。僕は、愛沢家の協力者として、香論ちゃんの指南役も務めている」

ちなみに、とラミは補足した。

「『玉閃』っていう天狗がいるのだけれど、彼は彼で理炎くんの指南役を務めているようだね。たぶん後で会うことになるから、心の隅にでも留めておいたら良いよ」

「ぎょくせんさん……」

少し言いづらいが、むしろ記憶には残りやすそうだ。

ラミはフッと笑い、目を細めた。

「さて、香論ちゃんの望み通り、生きているか死んでいるかだけ、視てみようか」

「そ、そんなことができるんですか?」

華里奈が聞くと、ラミは微笑んだ。


「僕、こう見えて案外凄いんだよ?全盛期よりは衰えたけれども、ね」


ラミはスッと立ち上がった。リンと、鈴の音が鳴る。


「生きとし生ける者に祈りを。

 死せる者達にまじないを。

 全ての者に溢れんばかりのことほぎを」


ラミはどこか遠くを見つめながらそう唱えた。

その様はとても神秘的で、どこか空恐ろしさすら感じるほどだった。

(……すごい)

ラミは一度目を閉じ、代わりに口を開いた。


「───『悲苛落陽』」


再び目を開いたその一瞬、ラミの右目だけが鈍く灰色に輝いた、ように見えたのは錯覚か。

リンと、再び鈴が鳴ったその時───。

(ッ⁈)

───華里奈は、思わず後退った。

(何これ……なんか……気持ち悪い)

身体を、言い表しようのない不快感が駆け巡った。身体を暴かれるような、そんな不快さ。

華里奈は思わず腕をさする。チラリと香論を見たが、彼女は平気そうだった。慣れているのだろうか。

リン

再三鈴音が鳴って、華里奈はラミに視線を戻した。ラミは微笑を浮かべている。

「……ラミ、どうだった?」

「もちろん、ちゃんとよ」

ラミはそう言って続ける。

「林祐司さんはご存命だ。幸運なことに、住んでいるのは愛沢家のある街からそう離れたところではないみたい」

香論はパッと笑みを浮かべた。

「ホント?良かった!それならアタシでも見つけられそう!」

「そうだね。頑張って、香論ちゃん。……もちろん、難しそうだと思ったらすぐにおいで。僕が、何度でも助けてあげるから」

香論は何度も頷く。

「アリガト、ラミ!ひとまず、頑張ってみるね‼︎」

勢いよく立ち上がった香論は、勢い込んで華里奈に言った。

「華里奈姉ちゃん、早く戻ろっ!調査して、林祐司さんを見つけなきゃっ‼︎」

華里奈も頷いて立ち上がる。

その様子を見て、ラミはにこやかに言った。

「二人とも、良いコンビみたいだね?」

香論は自慢げに胸を張る。

「華里奈姉ちゃんはね、優しくてあったかくて、とっても良い人だもん。祓い屋の仕事にも結構順応してるし……スゴいよね」

(香論ちゃん……!嬉しい……)

華里奈は薄くはにかんだ。

「ありがとう、香論ちゃん。私も、香論ちゃんとこうして仕事するの……冒険みたいで楽しいよ」

笑い合う姉妹のような二人を、ラミは柔らかい目で見つめていた。

「そっかぁ……。流石、彼が好くお嬢さん」

ふと、ラミは華里奈に近付いた。

そっと、耳元で囁く。


「華里奈ちゃん、せっかくだから、この僕が忠告を授けよう。───決して、君の大事な男の子から離れてはいけないよ」


華里奈はパチリと目を瞬いた。

「えっ?それって、どういう───」

華里奈の問いが最後まで言葉になることはなかった。

急に、視界がグニャリと歪んだのだ。

そう、来た時と同じように。

立っていられなくなる心地がしながらも、華里奈は必死に言葉を紡いだ。

「ま、待って、ラミさんっ‼︎亜乱君に何かがあるってことですか⁈もし亜乱君が危険に巻き込まれたりしたら、私は……っ‼︎」

つい先程まで目と鼻の先にいたはずのラミの気配を、もう既に感じない。

代わりに、どこからか声が反響する。


「……ごめんね、華里奈ちゃん。僕は、これから起こり得ることを君に教えることはできない。君は自分で考えて、自分の手で救うんだ」


寂しげな声が、華里奈の耳を侵す。


「でなければ、誰も救われない」


華里奈が目を瞬いた瞬間、そこは深い森の中に戻っていた。

香論が訝しげに問う。

「華里奈姉ちゃん、ラミに何て言われたの?」

「それは……」

(言っていいのかな……?)

だいぶ恐ろしいことを言われた気がする。それに、わざわざ囁いたのも香論に聞かせないためかもしれない。

華里奈が口ごもったことに何かを察したのか、香論はふるふると首を振った。ニコッと笑う。

「ごめん、華里奈姉ちゃん。困らせたなら忘れて」

淡々とした声で言って、香論は華里奈の腕を引っ張った。視線の先には、蛍のような淡い光が揺らめいている。

揺らめく光が、輝く光の扉を形作っていた。

「……とりあえず帰ろ。慣れない華里奈姉ちゃんは、疲れただろうし」

香論がドアノブに手を掛けると、二人は優しい光に包まれ、姿を消した。


「…………」

黒い着物を纏う少年が、光の扉を睨んでいた。

黒色と灰色のオッドアイが、彼のミステリアスさに拍車をかけている。

「……さてさて、これからどうなるのかな。千里眼の無垢なお嬢さん、どうか『陰陽師協会』に気をつけて。───然もなくば喰われるよ」

低い声でそう言った少年は、バサリと持っていた扇を広げた。

その瞬間、光は消え、闇がその場を支配した。

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