第15話 依頼と協力者
憐呑に時間稼ぎをしてもらいつつ数日後。
学校から帰った香論は、珍しく紫暗に呼ばれた。
「紫暗兄ちゃん、どーしたの?」
自室にランドセルを置いてからリビングに戻ると、紫暗はソファに寝っ転がって蛍光灯を見つめていた。
「……来たか。香論、さっき……っていっても一時くらいだから結構前か?お前の客が来てたぞ」
ムクリと身体を起こした紫暗はヒラヒラと手を振る。
「アタシの客?」
「……ああいうのはお前が適任だ。土曜日にまた来るように言ったから空けとけよ」
拒否権は一切ないといった風に捲し立てた紫暗に、香論はジワジワと笑みを浮かべた。
「……そっかぁ。アタシが適任かぁ……。ふふ」
復唱した香論は嬉しそうに飛び跳ねる。ちなみに自覚はないが、妖気が漏れて狐の耳と尻尾が見えていた。ブンブンと振っている。
「分かった。アタシに任せて!……じゃあ、さっそく華里奈姉ちゃんにも伝えなきゃっ!ちょっと坂口家行ってくるっ‼︎」
「……あぁ」
香論が尻尾を振りつつ玄関から飛び出していくのを、紫暗は冷めた目で見守っていた。
仕事を楽しむなんて馬鹿げた発想は、紫暗には出来ない。
そして土曜日。
「えーと、こんにちは!愛沢家三女・愛沢香論です!」
「香論ちゃんの助手の坂口華里奈です。こんにちは」
「あら、可愛らしいお嬢さん方だこと。こんにちは、私は佐藤
ソファに隣り合って座った香論と華里奈、その向かいのソファに座った20代くらいの女性───佐藤茉里───は、穏やかに微笑んで頭を下げた。
「えっと、さっそく依頼を聞いてもいいですか?」
「えぇ。まずは簡潔に言いますね」
茉里は真剣な目で強く言った。
「私の大事なあの人を、探し出してください」
香論は、ジッと茉里を見つめてからニコッと笑った。
「分かりました。詳しい見た目とか性格とか、分かることはありますか?」
茉里は先程の力強い様子とは打って変わって、目を逸らしつつ言う。
「えー……見た目、は……とてもかっこよくて」
華里奈はちょっと眉間に皺を寄せた。
「性格は……とても優しくて……面白くて……」
香論の笑みも、少し引き攣った。
「……とにかく、とてもかっこいい人なんです‼︎」
そう力説する茉里に、香論と華里奈は思わず目を見合わせた。
「え、えっと……年齢とかは?」
「年齢……?」
天を仰いで固まってしまった茉里に、香論は小さく唸った。
「せめて名前を教えてくれませんか?」
茉里はフワッと微笑んだ。
「林
一言だけ言って、茉里は深く頭を下げた。
「たった一度でいいから、あの人に会いたいんです。お願いします」
香論は舐めるように茉里を見つめる。瞳孔が細長く細められていて、華里奈はヒュッと喉を鳴らした。
捕食者の目───というよりは、見定める目と言った方が近いだろうか。
「……確認するね。アタシに、林祐司さんを探してほしいんだね?」
茉里はパッと顔を上げた。嬉しそうに何度も頷く。
「そうです。彼を探してください!」
「……分かった。その依頼、アタシが……愛沢香論が引き受ける。念を押すけど、アタシが受けたのは彼を見つける依頼だけだからね」
茉里は少し戸惑ったようだが、ペコリと頭を下げて言った。
「では、一週間後にまた来ますね」
(一週間後⁈)
サラリとタイムリミットを告げられギョッとした華里奈とは対照に、香論はニッコリ笑う。
「分かりました!任せてください‼︎」
そう言って、茉里を見送った。
茉里が愛沢家を去っていくのを呆然と見送って、華里奈は勢いよく立ち上がった。
「一週間⁈って、いくら何でも無理でしょ‼︎名前以外特徴も何もないのに……」
慌てている華里奈を見上げて、香論はクスクス笑った。
「ま、まあまあ、華里奈姉ちゃん落ち着いて。こういうのはよくあることだから」
香論に諭されて、とりあえず華里奈は元いた場所に腰を下ろした。軽く咳払いをする。
「……と、ところで。この依頼って、ただの人探しだよね?『祓い屋』ってそういう仕事もするの?」
問われた香論はフリーズした。
「……えぇっと」
「え、どうしたの?」
首を傾げる華里奈に、香論は言いづらそうに聞く。
「……華里奈姉ちゃん」
「はい」
「もしかして、幽霊と生者の区別、ついてない感じ?」
華里奈はパチパチと瞬きをした。
「……えーっと、それは……つまり……?」
先程の茉里の様子を思い出す。
『林祐司』という言葉に込められた愛おしげな響き。恐らく、恋人同士なのだろうと思った。
のだが。
「……茉里さんは、幽霊、ってこと?」
「うん。そゆこと」
「……つまり……」
華里奈は依頼の内容を反芻した。
「死に別れた恋人との再会を望んでいる?」
香論はニンマリ笑って頷く。
「そうそう、そゆこと。ま、より正確に言うなら……」
香論はツイッと指を華里奈に向けた。
「あの感じだと、茉里さんが死んだのは結構前。えーと、たぶん……時々あるんだけど、あの世へ行けず現世で眠っていた魂が急に覚醒して、幽霊として顕現するっていう……ま、祓い屋間ではあるあるなんだけどね。たぶんそれ。大抵記憶なんかは曖昧になってるから、結構厄介だったりする。だから、茉里さんの記憶もほぼほぼ残ってないんだと思うよ」
「へ、へぇ……」
ツラツラと述べる香論に、華里奈はボンヤリ頷くことしかできない。
「だから」
一旦言葉を切って、香論は目を伏せた。
「林祐司さんが、今生きているかすら分からない」
考えたくはないけど、と香論は続けた。
「名前の響き的にそこまで昔の人ではなさそうだけど……下手したら数十年のラグがある。生きているかもしれないし、死んでるかもしれないし、外国にいるかもしれないし…………妻帯者になってるかもしれない」
香論の大きな目が、遠くを見るように細められる。
「アタシが受けた依頼は、林祐司という人物を見つけること。見つけた後にどうするかは頼まれてない、から……場合によっては、茉里さんには嘘をつくことになる、かな。あんまやりたくないけど……死者を傷つける必要はない。たとえ過程と結果がどうであれ、しばらくしたら、人格が弱って黄泉に連れてかれるんだから」
普段の快活で愛らしい少女は姿を消した。
そこに在るのは、祓い屋の一族の思慮深い娘だ。
普段とは違う大人びた様子の香論に、華里奈は息を呑む。
「…………でも、どっちにしろ一週間で見つけるなんて……無理じゃない?」
いつもと違う雰囲気の香論にタジタジになりながら華里奈が言うと、香論は破顔した。
元の快活な少女に戻っていた。
「大丈夫大丈夫。言ったでしょ?こういうのはあるあるなんだ。……それに、ほら」
満面の笑みで続ける。
「愛沢家には、『協力者』が多いんだよ」
満面の笑みだったはずなのに、何故か、泣きそうな顔に見えた。
愛沢家には『協力者』が多い。
まあ、協力者の定義にもよるだろうが、愛沢家の者はそれぞれが独自の情報網・仲間を持っているため、何かあれば人ならざる者と共に仕事を全うする。
例えば、瀬廉。
瀬廉の祓い屋としての管轄は、妖間のトラブル解決や強い悪妖の殲滅だ。だから、強い力を持つ刹邪辺りと行動を共にすることが多い。
例えば、紫暗。
紫暗の管轄は、人間と妖の間に起きたトラブルの解決だ。元警官の千本木泰永から依頼を受け、人に干渉する妖を祓う。その情報集めにあたって、憐呑に協力を要請することも多い。
そして───
香論には、『ラミ』と呼ばれる化狸の知り合いがいる。
本名は知らない。本当の姿も、本当の性格も知らない。いつから生きているのか、どんな生を送ってきたのか、香論はラミについて何も知らない。
何も知らないが、ただ一つ知っているのは、ラミはとても高位の善妖だということだ。
ずっと昔から、愛沢家の協力者として力を貸してくれている。
だから、香論は、何かあった時はラミに相談することが多い。
「さ、華里奈姉ちゃん。早速林祐司さんの手がかりを探しに行こっ!」
そう宣言して、香論は愛沢家の地下へと足を運んだ。
「どこへ行くの?」
「とりあえず、アタシの友達に協力してくれるようお願いしようかな」
香論はふふんと笑って続ける。
「ラミっていう名前でね。ホントにスゴいんだよ。アタシができないことも何でもできて、とっても頼りになって……。瀬廉姉ちゃんですら一目置いてるんだよ」
「へぇ。そんなにすごいんだね……」
香論は自慢げに笑い、ふと足を止めた。
目の前の扉のルームプレートには、『幽寂の森』と書かれている。
「えーと……ゆうじゃくの森?」
無い漢字の知識を振り絞って華里奈が言うと、香論はコクリと頷いた。
「そ。幽寂っていうのは……えーと、静かな様子、って言ってたかな。この森に、ラミは住んでるの」
香論は扉を開け放った。
その途端、柔らかな木漏れ日のような光が、二人を覆った。
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