第13話 愛沢家と緊急会議

その夜。

愛沢家では、緊急会議が開かれた。

集まったのは兄妹と両親、あとは憐呑の9人である。

瀬廉は昏い声で言った。

「……悪妖を二体祓い逃しました。善妖を黒塗する能力持ちの黒鬼と、幸せな夢を見せて操る淫魔です。恐らく何か大きなことを企んでいると思われます。各自お気をつけください」

明らかにテンションが低い瀬廉を、憐呑と香論は心配そうに見つめていた。

由香子が聞く。

「『何か大きなこと』とは何かしら?予想はつくの?」

瀬廉は少し躊躇したようだった。

「……いいえ。ですが……私達を仲間に引き込もうとする動きがありました。また、『主様』と呼ばれる存在もいるようです」

瀬廉は顔を強張らせた。

「何にせよ、しばらく単独行動は控えた方が賢明でしょう。仕事も、麻鈴姉さんと香論と理炎は控えた方が良い」

名指しされた3人は、それぞれ全く違う反応を示した。

瀬廉を睨んでいる麻鈴。

びっくりしている香論。

そして、ホッとした顔の理炎。

「……瀬廉。いくら何でも、それは横暴だわ。あなたに命令される義理はないのよ」

冷え切った声で言われ、瀬廉はキョトンとした。

「……どの辺りが横暴ですか?」

心底分からないといった声音に、麻鈴は深くため息を吐いた。

「……あなたこそ、祓い逃すなんて間抜けなことをしたじゃない。仕事をしない方がいいのは瀬廉の方よ。疲れてるんじゃなくて?」

「……疲れているのは認めますが、たとえ一週間食事を摂らずとも、睡眠を取らずとも、私が姉さん達3人に負けることはないですよ」

「……麻鈴、あなたのそういうとこが嫌いよ」

いつもの麻鈴からは想像もつかないような暴言に、瀬廉以外の皆は目を丸くした。

「あなたってばいつも傲慢で、強引で、勝手だわ。麻鈴たちの意見なんて聞きもしない。それも当然かしらね、瀬廉は、麻鈴を足手纏いだと思ってるんでしょう?」

瀬廉はカクンと首を傾げた。

「……そう見えますか?」

「見えるわよ‼︎どうせ妖を祓えない無能だとか思ってるんでしょう‼︎いつも麻鈴を邪険にして‼︎」

「思っている訳ないでしょう。回復役ヒーラーを前線に回してわざわざ危険に晒す程、馬鹿じゃないだけです」

麻鈴はガタンと音を立てて立ち上がった。

隣に座っていた亜乱が慌てて引き留める。

「お、おい、麻鈴、落ち着け。瀬廉に何の恨みがあんだよ?」

「亜乱だって、いつも瀬廉に馬鹿にされているじゃない!悔しくないの?」

亜乱は呆れ気味に首を振った。

「別に瀬廉の口が悪いのはいつものことだろ」

瀬廉は顔を引き攣らせた。

「これでも外面の良さには自信があるんだけど」

「外面っつーか、お前のそれはもはや別人レベルだと思うぞ」

瀬廉はニィと笑う。

「役者冥利に尽きるよ」

麻鈴を挟んで普通に会話をし始める亜乱と瀬廉。

「……もう良いわ!」

叫んだ麻鈴は、顔に怒りを浮かべたまま、自室に引っ込んでいってしまった。


シンと静まり返った空間で、最初に口を開いたのは理炎だった。

「……ま、麻鈴姉ちゃん……!」

情けない声を上げてジワジワと涙目になる理炎。

理炎は基本麻鈴っ子なので、麻鈴が怒ったことに放心しているようだ。

理炎の頭をポンと撫でて、憐呑は首を傾げた。

「えっと……瀬廉嬢。麻鈴嬢は大丈夫?」

「……大丈夫でしょう。口で如何言おうと、単独行動のリスクは分かっているはずです」

麻鈴が消えていった方に視線を遣り、瀬廉は淡々と言った。憐呑は続ける。

「……瀬廉嬢は大丈夫?」

瀬廉はスッと目を細めた。切れ長の目が、試すように憐呑に向けられる。

「どういう意味?」

「瀬廉嬢は、さっきの戦いで妖力を使い切ったはず。その状態で無理矢理空間の歪みをこじ開けて僕を連れ帰ったなら、身体への負担は計り知れない」

その言葉に驚きを示したのは、瀬廉ではなく紫暗だった。

「待て。妖力切れを起こした?『四季』の一角である瀬廉が?」

紫暗は目を凝らして瀬廉を見つめた。

「……心配せずとも、家に戻って一時間充分仮眠を取って休んだし、もう妖力は全快した。……だから、大丈夫だよ、紫暗」

瀬廉はニコリと微笑んだ。

いつも通りの完璧な笑みだった。

なのに。

「……瀬廉嬢の」

憐呑は躊躇いながらも、確実に彼女を追い込む。

「瀬廉嬢の考えることは僕には分からへん。何に激昂したのかも理解出来へん。そやけど、あの瀬廉嬢が心をかき乱すなんて、余程のことや。もう、あの黒鬼にだけは近付かへん方がええ」

紫暗はへぇ……と冷ややかに言った。

「……それって、要するに瀬廉を惑わすような輩が敵にいるってこと?瀬廉が妖力の制御を失うレベルの?」

サァッと、瀬廉は青褪めた。

「……大丈夫だから。次は絶対失敗しない」

説得力のない真っ青な顔に、紫暗はムッとした。

「瀬廉。俺の知らない誰かのことを考えるな。不愉快なんだよ」


「……心配しなくても、私は紫暗を愛してるよ。私という半妖に流れる血は、脳天から爪先に至るまで、一滴残らず貴方の物。……本当だよ」


瀬廉は軽く手を振ってツラツラと述べた。

だが、こめかみを伝う冷や汗は誤魔化せない。

見兼ねた由香子が口を挟んだ。

「瀬廉───」

「大丈夫です、母様。次は必ず仕留めます」

由香子はピシャリと言う。

「駄目よ。……いえ、駄目とは言わないけれど、あなたはしばらく休養を取りなさい。祓い師の仕事も女優の仕事も禁止です」

「…………」

瀬廉は、黙ったまま目を閉じた。

フーッと、深く息を吐く。

「……そ、れは…………」

次の瞬間には、瀬廉はいつも通りの表情に戻っていた。

「承知しました。母様の仰せの通りに」

優雅に礼をして、瀬廉は自室へ向かおうとした。

「瀬廉!」

「瀬廉嬢」

同時に声を上げた紫暗と憐呑に、瀬廉は小さく笑みを零した。

「そんな心配しなくて良いよ。……ありがとう、二人共」

そう言って、足早にその場を去った。



普段兄弟を取りまとめている瀬廉がいなくなったことで、緊急会議はお開きとなった。

「……紫暗くん」

憐呑に声を掛けられた紫暗は、死んだ目で憐呑を見た。憐呑は苦笑する。

「いくら僕でもそんな目で見られたら傷付くよ」

「……なあ。お前が会った黒鬼って、一体どんな奴だ?」

紫暗の声音は、一周回ってとても静かだった。

「んー……どんな奴って言われても、戦闘中毒者バトルジャンキーって感じの、飄々とした男だったかなぁ。僕から見て違和感はなかったけれど」

「……そ」

紫暗は短く答えて憐呑から目を逸らした。

「……つまり…………あー…………いやでもあり得るのか?…………チッ」

ブツブツと色々呟いた挙句に舌打ちをした紫暗は、深くため息を吐いた。

「……憐呑」

鋭さを帯びた声で呼ばれ、憐呑はピッと背筋を伸ばした。

「頼みがある」

「はい。何でしょうか、お客様」

紫暗は眉を顰めつつ言った。

「瀬廉は、しばらく鬼の里で休養を取ることになる」

「えっ」

素っ頓狂な声を上げてしまった憐呑だが、それも仕方ないことだろう。

なんせ紫暗は、自他共に認める瀬廉至上主義怠惰吸血鬼だ。

瀬廉が自分の傍から離れることを厭い、特に刹邪……と篝に近付くことを嫌っている。


だからてっきり、家の中で監禁ルートだと思ったのだが。


「……何だよ」

「……い、いや……だって……あの紫暗くんやわぁ?瀬廉嬢をわざわざ刹邪くんの元に送り込むなんておつむを打ったとしか……」

思わず素に戻った憐呑を、紫暗は睨みつけた。

「死にたいのかよ?」

「……すみません。どうぞ続きを」

紫暗は軽く咳払いをして続けた。

「……瀬廉がしばらく家を出る。その間、皆の面倒を見てくれ」

憐呑は苦笑した。

「それは……紫暗くんの責務では」

「何でそんな面倒なことを俺がやらされんだよ」

憐呑は戸惑いがちに返した。

「何でって、紫暗くんは愛沢家、の……次男でしょう?」

紫暗はカクンと首を傾げる。

「だから?」

紫暗は心底意味がわからないと言った風に訊く。その表情は、先程の瀬廉と瓜二つだった。

この双子はとても頭が良いけれど、そういう感情面でのことには疎い。

そうでなければ、血腥い仕事はできないだろう。

何せ人外絡みの事件では、人も数えきれない程死んでいる。

尤も、混乱を避けるために通常は事故か何かに偽装されていて、妖の存在は公にされていないが。

「……分かりました。瀬廉嬢がいない間、愛沢家に留まりますよ」

「悪いな」

「いえ。『酒夢』は、僕が居なくても茨木家来たちがどうにかしてくれますから」

そう言ってニンマリ笑う。

「……家来、ね」

ボソッと呟いた紫暗は軽く手を振った。

「んじゃ、家のことは頼んだぜ。俺は瀬廉を見送ったら引き篭もる」

憐呑は苦い顔をして額に手を当てた。

「少しくらい仕事をした方が、瀬廉嬢も喜ぶと思うよ」

「それは無ぇな」

紫暗は鼻で嗤って即答した。

鋭利な刃のような視線に、憐呑は思わず唾を飲み込む。


「俺は瀬廉の愛が無いと生きていけない。それは瀬廉が一番よく解ってるし、だからこそいつも極上のをくれる。それ無しで俺を使おうとするような馬鹿じゃない」


闇の滲んだ瞳が、何かを睨むように細められる。

(……地雷やったやろか)

紫暗と───と、いうより愛沢家の人達とはそれなりに長い付き合いがある憐呑だが、憐呑には、いまだに彼らの心の機微がよく分からない。

分かりたいとは思わないが。

「……まあ、紫暗くんと瀬廉嬢の間のことに、僕が干渉する気はないよ」

「そうしてくれ」

手をヒラヒラと振りながら、紫暗は瀬廉の部屋の方へと消えていった。

「……この先なんもなかったらええけど」

人は、こういうのを『フラグ』と呼ぶらしい。

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