第9話 酒夢と成仏

カランカラン

涼しげな鈴の音が聞こえて、華里奈は目を開いた。

「……ここ、が、『酒夢』」

華里奈は内装をグルリと見回した。

暖かみのある赤茶色で壁やテーブルは統一されており、淡い光が優しく店内を照らしていた。

奥行きも広く大人数が入れそうだが、今は客はいないようだ。

そして。

「いらっしゃい、紫暗くん。そちらのお嬢さんははじめましてかな?」

柔らかく微笑んだのは、センター分けにしたくすんだ赤髪と、爛々と輝く橙色の瞳が特徴的な美青年だった。

「……はじめまして、坂口華里奈です。……えっと……憐呑さん、ですよね?」

青年はふわりと微笑んだ。

「気軽に憐呑と呼んでくれて構わないよ。瀬廉嬢たちは僕を『協力者』だと嘯くけど、実際は奴隷みたいなものだから」

柔らかな口調で物騒なことを言う。

「ど、奴隷⁈」

「僕がもし君を害そうとでもしたら、瀬廉嬢と紫暗くんが瞬く間に僕を祓うだろうさ」

憐呑はサラリと笑って、首元を彩るチョーカーを引っ張った。

よく見ると、紅い紋様が施されており、氷の結晶の形を模したチャームが付いている。

「……お前は俺らを裏切ることはしない」

紫暗は薄ら笑いを浮かべて言った。

まるで、憐呑に言い聞かせるように。

「分かってるよ。僕は君たちを裏切らないし、惜しみない協力を捧ぐと約束した。───さて、今日はどんな御用でしょうか、お客様」

憐呑は優雅に礼をして微笑みを浮かべる。

「ここ半月で、未成年の女はどれくらいここを訪れた?」

「女……ですか」

憐呑は眉を顰めて顎に手を当てた。

「…………まあ、何人かは来ましたが、もう全員浄化してしまいましたね。特段変わった様子もなかったかと」

紫暗は盛大に舌打ちした。

「役に立たない奴隷だな」

「そんな悲しいことを言わないでください。もっと詳しく伺っても?」

「未成年の女が悪妖に喰われる事件が相次いでる。地道に探すのも面倒だから、直接話を聞きたかったんだが」

「悪妖に喰われたのなら、魂ごと喰われていると考えた方が自然でしょう。可哀想ですが」

「千本木の奴は、喰われた奴の身体の一部は見つかったと言っていた。多少魂の欠片は残っているんじゃないか?」

「多少の欠片では生前の記憶は残っていないでしょう。とっくに成仏していますよ」

華里奈を置いてけぼりにして、二人は淡々と議論を重ねていく。

「……仕方ない、地道に探すか」

「それが一番早いと思います」

紫暗はため息を吐いて華里奈に向き直った。

「悪い、華里奈さん。どこかの無能な奴隷のせいで、手掛かりが何も手に入らなかった」

辛辣な物言いに華里奈は苦笑するしかない。

そんな華里奈に、憐呑は補足するように言った。

「そもそも僕の仕事は霊が悪霊化する前に成仏させることであって、霊から情報を得ることではないんですよ」

「成仏させる……?そんなことができるんですか?」

憐呑はニンマリ笑った。

「できますよ。……あぁ、そうでした。華里奈嬢、何か飲み物でもいかがです?」

そう言って、憐呑は棚からボトルを取り出した。

ラベルには文字が書いてあるが、華里奈には読めない。

華里奈は頷こうとして───ふと動きを止めた。


「もし憐呑に何か渡されても、決して口にしないように」


「……あの、えっと……」

瀬廉の忠告を思い出して、華里奈は目を泳がせた。

「……憐呑、忘却酒か衝動酒かは知らないが、華里奈さんで遊ぼうとするのはやめろ」

「……へいよ」

急に子供っぽい声を出した憐呑に、華里奈は目を丸くした。

「え、えっと……憐呑さん?」

「……せっかく面白そうなのが来てくれたさかい、もてなしたろう思ただけやのに」

早口でそう言って、憐呑はボトルを棚に戻した。気まずそうに続ける。

「……分かりました、次少女が訪ねてきたら、忘却酒を振る舞う前に紫暗くんにお知らせ───」

言い切る前に、憐呑はハッと顔を上げた。

「───あぁ、その必要はなさそうですね」


カランカラン


涼しげな鈴の音と共に、華里奈の背後の扉がわずかに開いた。ひょこっと少女が顔を出す。

「こンにちハ‼︎」

少したどたどしい口調で少女はニッコリ笑う。

かと思うと、キョトンとした顔で華里奈を見上げた。

「か……」

華里奈は数刻フリーズした後、少女の前にしゃがみ込んだ。

「可愛い‼ね、お名前は?︎」

少女はフニャッと笑う。

「いっちゃん‼︎」

「いっちゃんかぁ……。お名前言えてすごいねぇ」

華里奈は少女の頭をナデナデした。少女はえへへと笑う。

憐呑は感心したように呟いた。

「……華里奈嬢は、子供がお好きなんですね」

紫暗も共感したように呟く。

「……俺も今初めて知った。……けど、好都合だな」

「ですね。無理矢理、回想酒を飲ませなくても済みそうです」

「流石兄貴の花嫁だ」

華里奈は少女を撫でくり回している。

ここに亜乱がいたら尊さに気絶しただろうなと思って、紫暗はこっそり動画を撮っておくことにした。

「いっちゃんはどうしてここに来たの?ママは?」

華里奈の一言に、少女は目に見えて萎れた。

「いっちゃんまいゴなノ。ママとおかイものニ行ったノに、おかしやさんみてタらまいごニなっちゃった。そしたラね、真っ黒いワンちゃん見つけテね」

そこで少女は首をカクンと傾げた。

「それデね……えっと……えっと……ワスレチャッタ」

「……そっかぁ……。お家、帰れるといいね」

「うん‼︎」

話が一段落したのを見計らって、紫暗は少女に近づいた。

「……いっちゃんは、その真っ黒いワンちゃんを見たのがどこか覚えてる?」

紫暗とは思えないほど優しい声音と表情で、紫暗は少女に話しかけた。

少女はキョトンとした後で、ニパッと笑みを浮かべた。

「おぼエてるヨ‼︎いっつモいってるパンやさんノチカくなの‼︎すっごクおっきクテこわかったナア……」

「そう。教えてくれてありがとう」

紫暗は丁寧に少女の頭を撫でた。

「……迷子になって大変だったよね。ジュースを飲まない?」

「のむ‼︎」

紫暗はヒョイと少女を持ち上げて、脚の長い椅子に座らせてあげた。

憐呑に目配せする。

「いっちゃん、好きなジュースはある?」

「リンゴジュース‼︎」

憐呑は奥に引っ込んだ後に、グラスに琥珀色の液体を入れて戻ってきた。

「はい、どうぞ」

「ありがとう‼︎」

少女は笑って、ゴクっと一気に飲み干した。

グラスが空になったのを確認して、憐呑は胸に手を当てて礼をする。


「愛らしい悲劇の姫君に、安らかな眠りが在らんことを」


「……あ」

華里奈は思わず小さく声を上げた。

少女の身体が、なんと光り始めていたのだ。

「いっちゃん⁈」


「お姉ちゃん、最期に会えて良かった‼︎」


満面の笑みを浮かべた少女は、次の瞬間光に包まれて弾け飛んだ。

「いっちゃん‼︎」

呆然とする華里奈に、憐呑は柔らかい口調で言った。

「……成仏したんですよ。僕の出す『忘却酒』は、飲んだ霊や妖の記憶を消して、この世への未練を断ち切る為にある」

紫暗が補足する。

「ああいう普通の『霊』だろうが、時が経てば怨霊化したり、悪妖に喰われて魂ごと消滅してしまったりする可能性がある。憐呑は、そういう奴らを出さない為に俺と瀬廉が復活させた古の妖だ」

憐呑は苦笑した。

「これでも昔は強かったんですよ。……瀬廉嬢に叩きのめされる前までは」

「へ、へぇ……」

華里奈は曖昧に頷いていたが、不意にジワッと目に涙を浮かべた。

紫暗と憐呑はギョッとする。

「か、華里奈さん⁈」

「だ、だって〜……いっちゃんは幽霊だったってことでしょ……?お家に帰れないで成仏しちゃった……なんて、悲しいよ」

「「…………」」

紫暗と憐呑は唖然とする。

そもそも霊にとっては成仏して天に召されることが一番の救いであって、二人はそのことが悲しいとか哀れだとかは考えたことがなかったのだ。

遺族の気持ちなども、紫暗は他人事だと思っているのであまり何も感じない。

そんなことをいちいち気に病んでいたら、紫暗は仕事を全うできないだろう。

「……華里奈嬢はお優しいんですね」

ポツリと呟いて憐呑は笑った。

「……さて、紫暗くん、華里奈嬢。用件は済みましたか?」

「……あぁ、これで今回の妖による殺人事件は終いだ。華里奈さん、帰ろうか」

華里奈は涙を拭いつつ頷いた。

「憐呑さん、ありがとうございます」

「いえいえ、愛沢家の協力者として当然のことですよ。……あ、そうだ、紫暗くん。『新しい妖酒を造ったから、ぜひ試飲しに来てほしい』って瀬廉嬢に伝えてくれるかな?」

「……分かった」

紫暗は無表情に答えて、扉を開け放った。

カランカランという涼しげな音と共に、二人は愛沢家の地下室へと帰ってきた。



階上へと向かいながら、紫暗は薄っすら笑って言った。

「……お疲れ様、華里奈さん」

「紫暗君もお疲れ様!……これから、どうするの?」

華里奈が首を傾げると、紫暗は考えるように上を向いた。

「……とりあえず、華里奈さんに着いてきてほしい分はこれで終了だな。あとはさっきの少女の記憶を頼りに、悪妖を見つけ出すだけだから」

「……大丈夫なの?」

心配げな華里奈に、紫暗は不敵な笑みを浮かべてみせた。

「俺はこれでも兄弟の中では2番目に強い。たかが下級の妖どもに、遅れを取るようなヘマはしないさ。華里奈さんは、家に帰って休むと良い。……ただし、明日の朝までは外に出ないことをお勧めするよ」

「わ、分かった。頑張ってね、紫暗君」

見慣れたリビングに辿り着いて、華里奈はパタパタと愛沢家から出て行った。



紫暗がぼんやりとリビングに突っ立っていると、ふと何よりも愛しい気配が近づいてきた。

「……その感じだと、手掛かりはちゃんと見つかったんだね」

「瀬廉っ‼︎」

紫暗が瀬廉に突撃すると、瀬廉は微笑んで紫暗を抱きしめ返した。

「よく頑張りました」

「……もっと」

「偉いねぇ、紫暗。……さあ、吸血をどうぞ?夜になったら、狩りに行くんでしょ?」

瀬廉は妖艶に笑って着ていた着物をはだけさせた。

雪のごとく白い肌に、紫暗はいつも目を奪われる。

「……吸わないの?朝、調査が終わったら好きにして良いと言ったはずだけど」

最愛の双子の妹は、いつも紫暗を魅了してやまない。

「……いただきます」

たとえそれが偽りの愛だとしても。

瀬廉の囁く愛情が、ただ紫暗を動かす為の嘘だとしても。

(……嘘だって、別に構わない。無いよりずっとマシだ)

紫暗は、瀬廉の白い首筋に思いっきり牙を突き立てた。



その夜。

「……もうこんな時間か」

瀬廉を抱き枕にして仮眠を取っていた紫暗は、自室でむくりと身体を起こした。

時計は0時を示している。

「……狩りに行ってくる」

紫暗がそう囁くと、瀬廉は薄目を開いて笑った。

最愛の妹は、まともに眠るということをあまりしない。

「……いってらっしゃい。ここで待ってるから」

ニィと顔を歪める瀬廉に見送られ、紫暗は家を出た。


外はとても暗かった。

明日は雨が降るのだろう、厚い暗雲が立ち込めている。

だが、その方が都合が良い。

何なら、街灯の灯りだって邪魔なくらいだ。

この世に光など無くて良い。

その方が、ずっと息がしやすくなる。

「……さて、あの子供が言っていた場所は───」

紫暗はバサッと翼を広げた。

蝙蝠のような、悪魔のような禍々しい翼だ。

「……読み取ったパン屋はオダマキ屋だったな。確か姉貴が好きな店だから……あっち側か」

静かに飛び上がって夜の空を舞う。

「…………確かに、禍々しい気配が近くなってる。移動していたら面倒だったが……その心配はなさそうだな」

とある路地裏に舞い降りる。

(……気持ち悪りぃ匂い)

血と汚泥が混ざった匂い。

血の匂いというのは、紫暗にとっては心地良い匂いのはずだが、これは駄目だ。

死んだ人間の匂いが混じっている。


『…………たい』


低い唸り声が聞こえて、紫暗は足を止めた。

「……お前か」

『食べたい、食べたい、食べたい食べたい食べたい食べたい食べさせろ食べさせろ食べさせろ食べさせろ食べさせろ食べさせろ食べさせろ食べさせろ食べさせろ食べさせろ』

何重にも重なった、欲に塗れた声が辺りを震わせる。

「……気持ち悪」

『食べさせろ、食べさせろ。若い女の若い血肉を寄越せ。人間の中で最も旨い若い女だ』

紫暗は深い溜め息を吐いた。

悪妖というのは、どいつもこいつもそんな奴ばかりで吐き気がする。

しかも。

「……何であの子供の魂が逃げ出せたのか疑問だったが……そういうことか。胸糞悪りぃ」

紫暗は足元をチラリと見た。

赤黒い液体が飛び散っている。

それだけならよくあることだが。


「『若い女の若い血肉』……ねぇ。ま、確かに老いれば肉は固くなるが……まだそんな歳じゃねぇだろ、そいつは」


紫暗は静かな声で言った。一歩、黒い塊に近づく。

目を凝らすと、その塊に沢山の顔が浮かんでいることが分かった。全て、若い女の顔だった。

「……お前のような屑の悪妖がいるから、瀬廉達が苦しむ羽目になるんだよ」

紫暗の声に怒りが滲んだ。

「お前らが人を苦しめるから、瀬廉達が心を痛めるんだ。あの子は、本当に優しいから」

紫暗の顔に憎悪が溢れる。

紫暗は懐からカッターを取り出して、スッと手首を切りつけた。ボタボタと血が零れる。


紫暗が持つのは吸血鬼の能力。

自身の血を操り敵を切り刻む、夜闇の支配者。


「さあ、さっさと死んでくれ」


そのまま、辺りに鮮烈な紅が咲いた。

紅い刃が辺りを舞う。

悪妖を切り刻んでも飽き足らず、それらは周辺の壁に細かい傷を多く刻んだ。

霧散した黒い塊を見届けて、紫暗はしゃがみ込んだ。合掌する。

「……大丈夫、あなたの娘は、ちゃんと成仏した。あなたの勇気が、彼女を救ったんだ」

既に彼女の魂はここにはない。

だが。

それでも、紫暗は語りかける。

「……どうかゆっくりお休みください」


あなたがたを苦しめた悪妖は、俺が祓ったのだから。



10分もせずに祓い終えた紫暗は、だがもう一つやることを残していた。

千本木に報告しなければならない。

紫暗は、警察本部へと飛んで行った。

「……明るいな」

紫暗はボソリと呟いて建物の前に降り立った。

それから、隅に建てられた銅像へと近付く。


『千本木泰永の努力と貢献に敬意を表して』


優しげな表情をした銅像の台座には、要約すればそのようなことが書かれていた。

「…………千本木。無事に事件は解決した」

紫暗が台座に触れながらそう宣言すると、一瞬眩い光が辺りに弾けた。

「……そうですか、それは良かった」

現れた千本木はニコリと笑う。

「今回の事件もありがとうございました」

「……それが仕事だからな」

そう返され、千本木は顔を曇らせた。

「……いつまで経ってもなくならないんですね。悪妖による事件は」

「そうだな。この先、何があってもなくなることはない。……憎いか?」

低い声でそう問われ、千本木は首を傾げた。

「……憎い、と思ったことはないですねぇ」

のが、悪妖の憑依した殺人犯だったとしても?」

「それでも、紫暗さんとのコネが出来たのは大きいですねぇ。お陰で、人ならざる者が関連した事件も、対処できるようになったわけですし。それに、幽霊でも人間でも───国の平穏と安寧の為にやることは変わらない」

千本木はのほほんとした顔で笑う。

そして、深く頭を下げた。

「今回の事件も、解決してくださりありがとうございます、紫暗さん」

そう言って、千本木は姿を消した。

(…………)

紫暗はボンヤリと空を見上げた。

今にも雨が降り出しそうである。

「……早く帰って、使った分の血を補給しないと。……瀬廉、まだ貧血にはならないよな?」

雪解け水のような、甘美な味を思い出し、紫暗は思わずニヤニヤした。


早く、あの子のを受け取りたい。

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