第6話 悪妖と黒塗

「どうでしたか、華里奈さん。祓い師の仕事は」

愛沢家に帰ってきた瀬廉は、華里奈に紅茶を淹れてそう尋ねた。

「なんていうか……凄いね」

華里奈は遠い目をして答える。

「鬼……っていうか、妖って本当にいるんだなって実感した。しかも皆さん良い人だったし。瀬廉ちゃんも、なんか……威厳?みたいなの感じて凄いなって思ったよ」

瀬廉はにっこり微笑んだ。

「ふふ、ありがとうございます」

「……でも、良かったの?えぇっと……『黒鬼』探さなくて」

「……そこら辺は刹邪達が何とかするでしょう。どうしても駄目なら、また連絡を寄越すでしょうし」

「へぇ〜。そういうものなの」

華里奈は紅茶を一口飲んで、小さく欠伸をした。

「……お疲れのようですね。さて、華里奈さん。これで、『花嫁修行・第一試練』はクリアです。他の兄弟の仕事も、頑張って同行してください。今日は家に帰ってどうぞお休みください」

「……うん。そうするね。ありがとう、瀬廉ちゃん」

華里奈は力なく微笑んで愛沢家を辞した。



(……華里奈さんにはああ言ったけど)

瀬廉は、華里奈が帰宅したのを見届けてすぐに縹山に戻った。

華里奈の安全を考えて一度帰ったが、悪妖を放っておくことはできない。

「……よォ、瀬廉。戻って来なかったらどうしようかと思ったぜ」

「……あり得ないと分かっているくせに」

瀬廉は欠伸を噛み殺しながら答えた。ここしばらくまともに寝ていない。

千里眼との共鳴で昔の夢を見てから、ずっと眠るのが怖いのだ。

「……お前、顔色悪くねェか?」

刹邪に顔を覗き込まれて、瀬廉は慌ててのけぞった。

「気の所為だね。私は元から色白だよ」

「……そうかよ」

「それより、さっさと悪妖を始末しよう」

強引に話を逸らすと、刹邪は小さくため息を吐いた。

「……分かった。索敵は頼めるか?」

「誰に聞いてるの?」

瀬廉はニィと笑って目を閉じた。

感覚を研ぎ澄ます。

「……彼方だね。複数の悪気を感じる。大体200かそこらかな。大方雑魚だけど…………1体だけ、とても強い奴がいる」

「ヘェ……。俺とどっちが上だ?」

瀬廉は薄目を開いて答えた。

「……流石に刹邪の方が強いと思う。相手が妖力量を誤魔化してなければ、だけど」

「……そうか」

刹邪は小さく頷いて、口角を上げた。

「お前は『結界』張って外で待機してろ。万が一、俺が負けたらすぐ逃げろよ」

「つまり外で暇してろ、と」

刹邪が負けるわけがないのだから。

ちなみに、『結界』というのは氷のドームのことだ。

刹邪の炎が燃え広がって山全体が灰になるのを防ぐために張るのである。

「じゃ、行くか」

瀬廉と刹邪は、飛び上がって悪妖の気配がする方へ向かった。



「……一応、『黒塗くろぬり』には気をつけて」

瀬廉がそう言うと、刹邪はニッと笑った。

「誰に言ってんだ?」

そう返して、悪妖の元へと降り立っていった。

瀬廉は、刹邪と悪妖達の周囲を、取りこぼしがないように氷壁で包んでいく。

(…………)


『黒塗』というのは、善妖が悪妖に堕ちることである。

そもそも、善妖と悪妖に明確な違いはない。

善妖にも人に悪戯をする者はいるし、悪妖でも人と友好関係を築こうとする者もいる。

善妖と悪妖の違いは一つだけ。

『魂の色』である。

善妖の魂は白色。

悪妖の魂は黒色。

ついでに人の魂は無色透明。

半人半妖の魂は透明な白色である。

つまり、善妖の白い魂が黒く変化するのが『黒塗』である。

だからって、性格が変わることはあまりないが。

とにかく、悪妖の種類や格次第では、格下の善妖を無理矢理堕とすこともできるのである。


(……まあ、いくらなんでも刹邪を堕とせる悪妖はいないか)

万が一いたとしたら。

───刹邪を堕とした奴も、堕ちた刹邪も、両方とも殺してやる。



一方、結界の中。

(……やっぱりな)

刹邪は、黒鬼の群れに囲まれていた。

全員、黒塗された形跡がある。

恐らく、桃鬼と紫鬼の里を襲ったのは、化けた黒鬼ではなく、悪妖化した桃鬼と紫鬼だった。

(……本当に、妖っつうのは哀しいなァ)

刹邪が言えた口ではないが、本当にそう思う。

人が外見で互いを認識するように、妖は魂の色や形で互いを認識する。

故に、悪妖化して魂の色が変わってしまったら、妖はそれが仲間だったことには気付かない。気付けない。

しかも、善妖が悪妖になることはあっても、悪妖が善妖になることはほとんどない。

「……悪りィな。俺は、お前等を救うことはできない。俺にできるのは、お前等を楽にすることだけだ」

刹邪は、一度目を瞑って深呼吸してから、薄く笑った。


「……『森羅万蒼』」


その途端、刹邪の周りを蒼い炎が包んだ。

美しい蒼が、辺りを飲み込む。

「───燃え尽きろ‼︎」

刹邪の炎は、たとえ同じ炎を扱う鬼が相手だろうとも、容易く相手を焼き殺す。

それほどの高火力だ。

「ギャアアアアアアアアアアアアアッ‼︎」

悲鳴が何重にも重なって響く。

汚い悲鳴だ。ずっと聴いていたら頭がおかしくなりそうな悲鳴。

「……怨むなら俺を怨めよ」

木々が燃え焦げる音が、命が消える音がする。

しばらくして、刹邪は声を張り上げた。

「…………さあ、出てこいよ。お前が、此奴等を黒塗した黒幕だろ?」

辺りを静寂が支配する。

ややあって、クッと笑い声がした。

「あーぁ、バレたか」

「隠す気もなかっただろ」

「はは」

笑いながら現れたのは、黒い服を着た青年だった。頭巾を被っているため、顔は見えない。

「せっかく桃鬼と紫鬼を黒塗したってのに、全員殺されるなんてね。結構時間掛かったのに残念」

一切残念がる様子を見せず、青年はからりと笑った。

「……何が目的だ」

刹邪が警戒して目を細めると、青年はますます楽しそうに笑った。

「目的は知らねーな。俺はただ主様に言われた通り、彩鬼の里を片っ端から襲ってるだけさ」

青年は掌から黒炎を生み出して刹邪に放った。

(……妖力量の割に火力が弱い……?)

少なくとも、刹邪には痛くも痒くもない。

そう思って炎をそのまま受けたのが不味かった。

「───ッ⁈あ、は⁇」

刹邪はその場に頽れた。

(な、何?何をされた⁇)

身体に無理矢理入り込まれるような不快感。

「……あ、り得ない、俺、を、黒塗できる奴、なんて、いるわけ、が───ッ⁈」

青年はクツクツ笑う。

「俺はねぇ、主様から特別な力を貰ってる。火力と引き換えに、どんな善妖でも無条件に黒塗できる力が、ね」

「……そ、んな、出鱈目、な、能力が、あるわけ……」

(ヤバい、早く殺らねェと、魂が黒く侵される……)

なのに身体は動かない。

(……こんな強ェ悪妖がいたら……!)


「───刹邪ッ‼︎」


甲高い悲鳴のような、怒号のような、それでいて世界で一番美しい声が聞こえて、刹邪は辛うじて顔を上げた。

「せ、れん?」

瀬廉は、ふわりと刹邪の傍らに降り立った。

「刹邪、刹邪ッ!何があった⁉︎答えろ‼︎」

瀬廉は刹邪の顔を覗き込んだ。

「……悪妖化しかけている?……あり得ない、刹邪を黒く塗れる奴がいるわけが……!」

瀬廉はギッと青年を睨みつけた。

「……お前が、刹邪を?」

瀬廉は返事を待たずに続けた。


「許さない!今すぐ殺す!───『氷華絢爛』」


瀬廉は自身の周りに氷刃を浮かび上がらせた。

「……踊り狂え、死を贈れ」

無数の刃が青年を襲う。

「っはは、すごい剣幕。すごく怖い」

青年はカラカラ笑う。氷刃は、彼に届く前に蒸発してしまう。

瀬廉は雑に舌打ちして飛び上がった。青年に近付き手を伸ばす。

「凍れ」

「は、ようやく近づいたな」

青年はニィと笑って瀬廉に掌を差し出した。黒炎が瀬廉を覆う。

「……この程度の火で、私を殺せるとでも?」

瀬廉は黒炎を振り払って、青年に飛びかかった。

「はっ⁈ちょっと黒塗は⁈」

「───死ねよ」

両手に構えた氷剣が、青年を切り裂こうとする。

「⁈」

しかし、氷剣は青年に触れた瞬間ジュッと溶け消えた。

瀬廉はスッと飛び退る。

「早く、早く殺さないと……」

焦点の合わない目で、焦ったように呟く。

「殺せないなら……喪うくらいなら、いっそ私が……‼︎…………あぁ、違う、それは駄目、それだけは……、あぁ、だから、彼奴を、殺さなきゃ」

瀬廉はフラフラと歩みを進める。

その様子を見て、青年は薄く笑った。

「……そうか、お前……、へーぇ?」

青年は、ふと、被っていた頭巾を脱いだ。

その途端、瀬廉はピクリと肩を震わせた。

「……まさか、お前───‼︎」

「自己紹介が遅れたね。俺は───」

青年は優雅に礼をする。


「───俺は、爛影らんえい。以後よろしく」


「……何が目的?」

冷静さを取り戻した瀬廉は、掠れ声でそう問うた。

「主様の狙いは知らねーさ。けど……俺の目的はそうだな、そこの男とお前を仲間に引き入れることだよ」

瀬廉は、蹲る刹邪をそっと抱きしめた。

「……刹邪の黒塗は解除する。お前の仲間にはならない」

「……そうか、残念。じゃあ、また会える日を楽しみにしているよ」

爛影は、悪戯っぽく笑って姿を消した。

「……結界、解除」

滝のように水が降り注ぐ。

びしょ濡れになりながら、瀬廉は刹邪の顔を覗き込んだ。

「……良かった、まだ完全には悪妖化してないね」

瀬廉は優しい手つきで刹邪の頭を撫でた。

「……これなら、白塗しろぬりできる」

瀬廉は、優しく刹邪に口付けた。

また、何かが壊れる音がした。



(……ここは)

刹邪が目を開いたのは、鬼の里の館にある自室だった。

「……あ、あの悪妖は⁈」

思わず叫んで、刹邪は何があったか思い出した。

咄嗟に自分の手を見つめる。

「……魂の色……白いままか……?」

正直、あの炎を浴びてからの記憶がほとんどない。

「……ん。刹邪、起きたの?」

鈴を転がすような声が聞こえて、刹邪はそちらに顔を向けた。

部屋の隅で、瀬廉が縮こまっていた。仮眠を取っていたのだろう。

やつれて、非常に顔色が悪かった。

「……もう本調子っぽいね。良かった」

「……何時間経った?」

「二日くらいかな」

その言葉に、刹邪は目を丸くした。

「……まさか、ずっと看ててくれたのか」

「何かあったら困るからね」

瀬廉は刹邪に近付いて、そっと頬を撫でた。

「あの悪妖は逃がしたけど……刹邪が無事で良かったよ」

瀬廉は疲れたように微笑む。

「……それじゃあ、私は帰るね」

スッと離れようとした瀬廉の手首を、刹邪は咄嗟に掴んで引き寄せた。

「……何」

「……もうちょっと、傍にいろ」

瀬廉は目を泳がせた。

「……私に利点がない」

「良いだろ別に。襲いやしねェよ」

「……そんな心配はしてない」

ため息を吐いて、瀬廉は無表情のまま言った。

「……分かった、傍にいる」

刹邪の右手を、そっと握る。

瀬廉の手は、ヒンヤリしていて気持ち良かった。

「……あ、りがと……」

言い終わる前に、刹邪はまた眠りに落ちた。

「……本当、こんなことしてたら篝様には色々言われそうだけど」

とても、最適解とは言えない行動だ。

でも、今は。

もう少しだけ。


貴方の無事を喜びたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る