第3話 千里眼と愛沢家
麻鈴と香論を先に家に帰らせて、瀬廉は氷の階段を砕け散らせた。
「……さて、あとは彼らが目を覚ますまで待とうか。亜乱兄さん、身体の調子は?」
壁に寄りかかってボーッとしていた亜乱は、ややあって小さな声で返した。
「麻鈴のおかげで助かったよ」
「本当だよ」
瀬廉はかなり刺々しい声で言った。
「亜乱兄さん……確かに今日は不可抗力だったかもしれないけど……満月の日に能力を解放するのはやめて。周りの被害もだけど、亜乱兄さんの負担も計り知れないって分かってる?」
「……分かってるよ」
亜乱がその身に宿すのは、『狼男』の力だ。
その鋭い牙と爪で、あらゆる敵を喰い散らす。
基本敵なしの力だが、一つ大きな欠点があるのだ。
それは、月の満ち欠けに大きく影響を受ける、ということ。
新月の日は一切狼男としての力を振るえない。
かといって、満月の日は溢れる力を制御できず、無理に力を解放すると暴走する。この間の記憶は一切ない。
しかも、麻鈴がいるから良いとはいえ、本来なら満月の日に能力を解放した後は、三日三晩身体中の激痛に苦しむ羽目になる。
つまり、精神的にも肉体的にも負担がかかりやすい能力なのである。
「……亜乱兄さんは、死んだら駄目だからね」
瀬廉は昏い顔で薄く笑った。
「ま、死んでも無理矢理俗世に引き戻すけど。あまり家族に心配はかけないでね」
「分かってる。……お前こそ、死のうなんて思うなよ」
「大丈夫。私は……たとえどんなに死にたくても死なないから。そんなことをしたら、知念兄様と葉音姉様が悲しむ」
「……そうか」
亜乱は静かに頷いた。
しばらく、その場を沈黙が支配した。
「むにゃむにゃ……ん?ここは……?」
生徒の一人が目を覚ましたのを見て、瀬廉はパッと纏う雰囲気を変えた。
他にも何名かが目を覚ましたのを確認して、瀬廉はにっこり微笑む。
「あっ!やっと皆さん起きてくれましたね!」
「〜〜っ」
あまりにも明るい声に、亜乱は思わず笑いそうになった。
咄嗟に手で口を塞ぐが、瀬廉には軽く睨まれてしまった。
「え……あんたまさか、天才女優の愛沢瀬廉⁈」
「あ、愛沢の妹か⁈」
「て、天才だなんて、そんな」
頬を赤らめて瀬廉は笑う。
(……撮影現場でもこんな感じなんだろうな)
普段との差を見たら、人間不信になりそうなレベルである。
「そうですね、私は亜乱兄さんの妹です。だから、本当にビックリしたんですよ?次の映画の撮影に来てみれば、兄さんとその同級生らしき人達がウロウロしてるんですもの!」
大袈裟に、驚いたような顔をしてみせる。
「え、映画の撮影……?」
「あ、はい。ここ、ホラー系の映画の撮影現場なんですよ。ロケ地がどこか知られると色々面倒なので公表はしてなかったんですけど」
(よくそんな嘘をツラツラ言えるよな)
瀬廉の演技力は、本当に悍ましい。
「ついに満月の夜になったからいざ撮影!……って思ってたのに、学生が来てて始められないからちょっと脅かしてやろう!……てことになりまして」
そこで少し項垂れる。
「だから機材を動かして……あの泥の化け物で襲ってみたんですけど、こんなに怖がられると思ってなくて……すみません」
萎れてウルウルした目で生徒達を見つめる瀬廉。
亜乱は笑いを堪えるのに必死だった。
そんな亜乱はスルーして、瀬廉はしおらしい演技を続ける。
「……怖がらせてしまってごめんなさい。反省します……」
その様子を見て生徒達は慌て始めた。
「あ、瀬廉ちゃん、泣かないで!勝手に入ってきた俺らが悪いんで‼︎」
「そうそう、ほら皆、早く帰ろう」
「瀬廉ちゃん、お仕事頑張ってね」
瀬廉はパッと太陽の笑みを浮かべた。
「はい!ありがとうございます!……他の皆さんも、目を覚まし次第帰すのでご心配なく」
にこやかに生徒達を見送る瀬廉。
「さて、と……これで、記憶の上書きは充分できたはず」
ほとんどの生徒を帰し、いまだに眠っているのは、華里奈だけになった。
「……おい、何でカリナはまだ寝てんだ?」
その問いに、瀬廉は雰囲気を元に戻した。
冷たく、大人びた印象に変わる。
(本当それどうなってんだ……?)
「……気絶させる時に加減をミスったのかもしれません」
「……」
視線を逸らしてそう言う瀬廉に少し怒りも湧いたが、亜乱が言えた口ではないので代わりにため息をついた。
そもそも亜乱が華里奈を守りきれなかったのが悪いのであって、瀬廉はむしろ助けてくれた側だ。
「……ん、んん……。こ、こは……?」
華里奈が目を覚まし、瀬廉は優しく微笑んだ。
「良かった、目を覚ましたんですね。すみません、さっきの化け物は映画用の創作物で───」
そこで瀬廉は口を閉じた。
「……瀬廉?どうした?」
瀬廉はキョロキョロと辺りを見回す。
「……さっき亜乱兄さんが全部祓ったはず……いや、さっきのとは別個体か?何でこんな何回も……?」
瀬廉はふと華里奈に視線を向けた。小さく息を呑む。
「華里奈さん、もしかして───」
瀬廉は警戒するように鋭く目を細めた。
「───記憶、残ってます?」
華里奈は戸惑ったように頷いた。
「え……と、うん、亜乱君が狼に変身した……のと、その後に瀬廉ちゃんが来てくれたとこまでは……」
「……はあっ⁉︎」
亜乱は素っ頓狂な声を上げた。
「香論のヤツ、ちゃんと仕事しろよな……」
「……いや、これは……香論は悪くないと思う」
「はあ?何でだよ。アイツが改竄し損ねたんだろ?」
「え、あの、瀬廉ちゃん、亜乱君、改竄って何のこと⁇」
華里奈の困惑はスルーして、瀬廉は天を仰いだ。
「……亜乱兄さん、華里奈さんを家に連れて帰るから、道中護ってあげて」
亜乱は戸惑ったように返す。
「は?何で」
「……私がうっかり華里奈さんを氷漬けにしたら、亜乱兄さん怒るだろうし」
その時。
「キャアッ⁈何⁈」
工場内に、黒い霧が広がった。
「……凍れ」
瀬廉の呟きと共に、黒い霧が消滅する。
代わりに、地面には氷が張り、天井からは氷柱が垂れ、冷気が辺りを漂い始めた。
だが、ピンポイントで華里奈と、それを抱きしめる亜乱の周りは避けている。
「瀬廉ちゃん……?」
「華里奈さん、詳しい説明は今度こそ後でします。なので、今は黙って亜乱兄さんの側にいてください。貴方の身の安全は、絶対に私が護ります」
そう叫んで、瀬廉は勢いよく窓から飛び出した。
「瀬廉ちゃんっ⁈」
「……カリナ、しっかり掴まってろよ」
「え、えっ⁇」
困惑する華里奈を抱き抱えて、亜乱も窓から飛び出す。
「え、ちょっ⁈死にたくない!」
「大丈夫だから黙ってろ。舌、噛むぞ」
「⁈」
亜乱が勢いよく着地する頃には、華里奈は涙目になっていた。
「あ、亜乱君……これ、本当、何が……」
「悪りぃ。話は後だ」
亜乱はチラリと上空を見た。
空中を浮遊する瀬廉が、空を飛ぶ異形を氷漬けにしている。
「……行くぞ」
森の中を駆け抜ける。
何度か異形に襲われかけたが、その度に全て瀬廉が凍らせて祓っていた。
(流石、愛沢家最強の雪女だな)
哀しいかな、愛沢家で一番強いのは亜乱ではなく瀬廉である。ちなみにその次は紫暗。
しかも、瀬廉と亜乱とでは色々な側面でスペックの差が大きい。
仮に戦闘になったとして、亜乱が勝てるとしたらスピードと筋力くらいだろうか。
(……こんなんじゃ、カリナを護れっこないよな)
やはり、祓い屋の仕事に華里奈を巻き込むことはできない。
(……のに、何で瀬廉はそんな堂々と能力見せつけてんだよ‼︎)
後で、香論には念入りに記憶消去を頼まなくてはいけない。
そんなことを思っているうちに、無事に亜乱は華里奈を家まで連れ帰ることができた。
瀬廉の姿が見えないが、そのうち帰って来るだろう。
「ただいま……。ほら、カリナも入って良いぞ」
「……お邪魔します」
家に入ると、リビングには麻鈴と紫暗がいた。
「あら、華里奈さん、こんばんは」
「こんばんは、麻鈴ちゃん、紫暗君」
麻鈴はニコリと微笑んだ。紫暗は仏頂面だが、恐らく瀬廉がいないせいで機嫌が悪いのだろう。
「……兄貴。瀬廉は?」
「知らねぇ。……大量の悪妖の群れに襲われたから、まだ祓ってんじゃねぇか?」
紫暗は雑に舌打ちをした。
「……そうか、今日は兄貴がポンコツの日だったな」
「お前ら……揃いも揃って同じことを……!」
紫暗は鼻で嗤った。
「事実だろ」
「うぐ……」
亜乱を言い負かして気が晴れたのか、紫暗はソファから立ち上がって華里奈に近づいた。
と、思うと。
「ヒャッ」
紫暗は、華里奈の前髪をかきあげた。
「あ、おい紫暗‼︎」
ムッとして紫暗を退かそうとした亜乱の手を左手で器用に捻り上げたまま、紫暗は薄く笑った。
「すげぇな。実在すんのか」
「は?」
紫暗はしばらく華里奈の額を見つめていたが、ややあって離れた。
「紫暗のヤツ後で殺す」
「心の声漏れてんぞ兄貴」
紫暗は愉しげに笑う。
「悪いね、華里奈さん、ビックリさせて」
「あ、うん、大丈夫」
華里奈はポーッとしながら呟いた。
絶対後で紫暗は殺す。
「紫暗、どうしたの?あなたが、瀬廉以外に興味を持つなんて珍しいじゃない」
「……姉貴も視てみれば分かるよ」
「……?…………えっ⁈」
麻鈴はガタンと音を立てて立ち上がった。
「え、本当に?」
「らしいね」
勝手に話を進める麻鈴と紫暗に、亜乱はイライラを募らせる。
「おい、麻鈴、紫暗。勝手に話を進めるな」
「流石兄貴。察しも悪いね」
「うるせぇ、黙れ。……良いから教えろ」
「『千里眼』……ってやつだな」
その言葉に、亜乱の脳はショートした。
「……せ?」
「だから、『千里眼』だよ」
「待て待て待て待て」
亜乱は目を閉じて深呼吸した。
「……悪い、紫暗。もう一回言ってくれ」
「『千里眼』だって。何回言わせんだよ」
呆れた声で言う紫暗に、亜乱は逆ギレした。
「むしろお前何でそんなに冷静なんだよ‼︎」
しばし逡巡してから、紫暗はあっけらかんと言った。
「だって……関係ないしな」
亜乱は拳を握りしめた。
「…………この瀬廉至上主義怠惰吸血鬼が‼︎」
「……そうだな?」
「ちょっとは否定しろよ!!!!!!!」
クワッと目を剥く亜乱と、飄々と躱す紫暗。
それに挟まれる華里奈。
流石に見かねたのか、麻鈴が仲裁に入った。
「まあ……落ち着いて、二人とも。華里奈さんが可哀想だわ」
目を白黒させている華里奈を見て、亜乱は少し平静になった。
「……悪い、カリナ」
「あ、え、ううん、大丈夫」
全然大丈夫ではなさそうだが、華里奈はとりあえずといった感じで頷いた後に首を傾げた。
「そ、それで……その、『センリガン』って何なの?」
麻鈴と紫暗は顔を見合わせる。
「……千里眼は千里眼だよな?」
「そうね。……ま、詳しい説明は瀬廉にしてもらいましょう」
そう言って麻鈴は空いている椅子を指差した。
「とりあえず座ってください、華里奈さん。お茶を淹れてくるわ」
「あ、はい、ありがとう、麻鈴ちゃん」
華里奈はぎこちなく笑った。
一方その頃。
瀬廉は、町中を飛び回っていた。
念の為、生徒達が無事に帰宅できたか確かめるためだ。
さっき会った時、全員に『印』を付けておいたので、位置はいつでも把握できる。
「……やっぱり、華里奈さんだけか」
まあ、『千里眼』なんて大層なものを、大勢に発現されても困るが。
『千里眼』。
千里眼というのは、未来予知能力の中でも最上位の能力である。
未来予知ができる妖といえば、アマビエや
ある時、突然額に第三の目が現れ、あらゆる未来を見通せるようになるのが『千里眼』だ。
……とはいえ、使いこなすのは難しく、そう便利なものでもないらしい。
「……まあ、華里奈さんをどうするかは後々考えるとして……何故あの廃工場に大量の悪妖が集まってきたのかは分かった」
最上位の能力である千里眼を取り込んで強くなろうする悪妖は多い。
「…………」
正直、瀬廉も喉から手が出るほど欲しい。
「……きっと……この先、面倒なことが起こる」
が、瀬廉のやることは変わらない。
「さて、帰るか」
瀬廉は、どんな手を使ってでも国と家族を護る。
それだけだ。
「……ただいま」
瀬廉が帰ってきて、紫暗はパッと顔を上げた。
「瀬廉!……ようやく帰ってきた」
「ごめん、ちょっと手間取った」
瀬廉は薄く笑って紫暗を抱きしめる。
しばらくして満足した紫暗は、チラリと後ろを見て言った。
「……他の皆は寝てるよ」
全員、ソファにもたれて眠っている。
「……ま、こんな時間だからね」
もう東の空が明るむ時間帯だ。
紫暗は小さく欠伸をする。
「もう朝かよ……。眠くなってきた……」
「……そう。それじゃあ、寝ておいで。……血は後であげるから」
「……ん」
紫暗は曖昧に頷いて自室へと引っ込んでいった。
「……流石に、今華里奈さんを起こすのは酷かな」
散々酷い目に遭ったばかりだ。
(確か明日……というか、今日は土曜日だし、問題ないか)
学校がないと曜日感覚が狂って困る。
(……下手したら、明日まで起きないかもな)
とりあえず、全員ちゃんとベッドに寝かせた方が良いだろう。
華里奈には、瀬廉の部屋を貸してやれば良い。
「もう一仕事、やりますか」
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