第2話 狼男と肝試し

高校三年生初日。

始業式も無事終わり───

「よっし!誰も留年しなかったな‼︎今年もお前らと会えて俺は嬉しいぜぇっ‼︎」

クラスのムードメーカーが叫んで机に飛び乗った。

周りから歓声が上がり、彼はニンマリ笑う。

「と、いうわけで……皆で肝試しに行きたいと思いまーーーす‼︎」

「「イェーイ‼︎」」

教室全体が、楽しげな声で包まれる。

亜乱と華里奈が所属する、一ノ倉高校三年A組は、皆仲が良い賑やかなクラスである。

(……ここに瀬廉ちゃんがいたら、絶対『五月蝿いです』とか言うんだろうな……)

残念ながら華里奈も亜乱も成績は結構悪い……いや、かなり悪いので、進学校なんて夢のまた夢である。

実際、大学受験なんて考えもしないで、高三になっても遊び呆けているような生徒しかいないが、華里奈としては楽しい良い学校だ。

(……そもそも、瀬廉ちゃんと紫暗君が頭良すぎるんだよ)

微分とか積分だなんて知らない。そんなものこの世には存在しない!

「───で?具体的にはどこで肝試しすんの、斎藤?」

亜乱の声で、華里奈は我に返った。

教室全体が、水を打ったように静まりかえる。

「……どこ……?」

「場所決めてないのかよ」

キョトンとした顔で頷く斎藤に、亜乱はハア、とため息を吐いていた。

そこで、別の男子があっと声を上げた。

「じゃああそこは?」

「どこ?」

「えーとさ、3年くらい前に閉鎖された工場、あんじゃん?皆覚えてる?」

「あー……あの自転車の部品だか何だか作ってたとこか」

「確かに、幽霊が出るって噂あったよね」

「んじゃそこにするか」

そう言って、まだ机の上で仁王立ちしていた男子は声を張り上げた。

「……と、言うわけで!その工場に肝試し行こうぜ!日付は……明後日!段取りは原か上田に頼んだ!」

「「おい」」

「じゃあ、楽しもうぜぇっ‼︎」

そう言って彼は机から飛び降りた。

騒ぎを聞きつけた校長に全員まとめて叱られたが、まぁ、いつものことだ。



その日、家に帰った亜乱は、早々に瀬廉に嫌味を言われる羽目になった。

「……高校三年生にもなって、兄さんは随分呑気なんだね」

「うるせぇ。良いだろ別に」

「駄目とは一言も言ってないけど」

瀬廉はリビングのソファに座って、何か分厚い本を読んでいた。視線を逸らすことはないが、一応亜乱の話はきちんと聞いているらしい。

「……まぁ、でも、あの廃工場に妖や怨霊はいなかったと思うから、安心して楽しんで来なよ。明後日ってことは、亜乱兄さんがポンコツの日だし」

「うるせぇ黙れ」

何故瀬廉は、いつもこう饒舌なのだろうか。

外面は良いため、ドラマの撮影現場では可愛がられているらしいが、少しは家でも可愛げを見せてほしいものだ。

亜乱の考えていることを見抜いたかのように、瀬廉はさらに嫌味を重ねた。

「語彙が少ないね。それしか言えないの?」

「……うるせぇ黙れ」

「亜乱兄さんも本読めば良いのに」

「そんなの読めるお前の気が知れねぇ」

「……あー、これ?」

瀬廉はそう言って本をポイっと亜乱に投げ渡した。

「……妖図鑑?何でこんなもの?」

こんなものを読まなくても瀬廉は充分妖の知識は持っているだろうに。

「……暇なんだよ。私は高校行ってないからね。かと言って、副業である女優の仕事を増やすのもなんか違うし、祓い屋の仕事だってそうポンポン来るものじゃない。だから、ちょっと妖図鑑とか、都市伝説とかの本を読んでみてるってだけ。私達と一般社会とじゃ、だいぶ認識の齟齬もあるし、案外面白い」

「そういうものか」

申し訳程度にパラパラと流し読みをしてから、亜乱は瀬廉に図鑑を返した。

「……暇なら、刹邪にでも逢いに行けばいいんじゃないか」

そう呟くと、瀬廉はギロリと亜乱を睨みつけた。

彼女が青鈍色の瞳を冷酷に細めるのと同時に、亜乱の鼻先に、氷の刃が突き付けられる。

瀬廉がその気になれば、浮遊するそれは、瞬く間に亜乱を貫くだろう。

「……何が言いたいの?」

「……別に深い意味はないよ」

刹邪せつじゃというのは、瀬廉が仲良くしている『鬼』の青年である。

まぁ、青年といっても確か300歳くらいのはずだが。

「……刹邪と会ってどうしろっていうの?どうせしばらくしたら、彼奴から勝手に会いに来るし」

まるで自分に言い聞かせるような口調だった。

それと同時に、亜乱の鼻先にあった氷刃が砕け散る。

「……まあ、私の話はどうでも良いか。亜乱兄さん、たぶん大丈夫だとは思うけど、悪妖には気をつけて」

そう吐き捨てて、瀬廉は自室に向かった。



そして翌々日。丑三つ時。

「ははっ、良い雰囲気じゃん!ナイス幸田‼︎」

「そりゃどうも」

A組の面子が集まったのは、鬱蒼とした森の中にひっそり佇む廃工場の前だった。

どうやら三階建てのようで、思ったより大きな工場のようだ。

満月に照らされて浮かび上がる工場は、ガランとしていてとても不気味だった。

「どーするどーする?もう入っちゃう?それとも入る前に記念撮影しとく?」

ウキウキとした表情で一眼レフを構える斎藤に数名が同意して、何枚か写真を撮ることになった。


パシャッ パシャッ パシャッ


「ははっ、上手く撮れたんじゃね?……ん?」

「どした?」


「……なんか、白いの映ってる」


斎藤の一言に、周りの空気が凍りつく。

「…………なーんてね‼︎ビックリした?」

「お……お前!ビビらすなよ!」

「何〜?もしかして肝試し怖がってんの〜?佐々木くぅん」

「う、うるさい‼︎」

「まあまあ、そろそろ入ろうよ」

「「さんせ〜い‼︎」」

互いに笑い合って皆廃工場に入っていく。


「……気のせいだよな」


斎藤の呟きは、誰にも届くことはなかった。



「うっひょ〜‼︎雰囲気あるぅ〜!」

「ほんとほんと。来て良かったわ」

そんな賑やかな会話が、ガランとした工場内にこだまする。

ホラーが苦手な華里奈も、この状況を楽しんでいた。

……最初のうちは。

「……ねぇ……ナミとワカナがいないんだけど」

不意にそう呟いたのは、華里奈も仲良くしている女子だった。

「え……?本当だ、いない……?」

数名の女子が、震えてその場に立ち止まった。

「……いや、きっと俺らをビックリさせたいだけだろ。あの二人、サプライズとか好きだったよな、佐藤?」

「そ、そうだね。もう、ナミもワカナも意地悪いんだから」

早口でそう言って、佐藤は歩き出した。

この時は、まだ大半の女子と、ほとんどの男子には余裕があった。

なのに。

足音が減っていく。

どんどんどんどん、静かになっていく。

「ねぇ、こんなのおかしいって!戻ろうぜ……」

「そ、そうだな……皆外で待ってるかもしれないしな」

「あ、そうだ……!手、繋いでおかない?」

「……そうしよう」

残った皆で手を繋いで、不恰好な形でゾロゾロと入り口に急ぐ。

「な、なぁ……。入り口ってこんな遠かったか?」

「そ、そうなんじゃない……?ほら、話してたから時間感覚が狂ってただけで」

「そ、そうだよな!」

あぁ、どんどん減っていく。

もう半分もきってしまった。


「……ループしてるな」


そうポツリと呟いたのは、亜乱だった。

「るーぷ?」

「さっきから三階と二階をループしてる」

妙に淡々とした声音だった。

「あ、愛沢!お、お前そんなタチ悪い冗談言うなよな!」

「そ、そうよ!ビックリさせないで!」

亜乱は眉を顰めた。

「冗談じゃねぇけど……ッ⁈」

ハッとして、亜乱は廊下の奥の方に目をやった。

「……あ、亜乱君……。どうしたの?」

華里奈にそう問われ、忌々しげに舌打ちする。

「……瀬廉の奴……話が違ぇぞ」

「え?」


「逃げんぞ‼︎」


そう叫んで、亜乱は華里奈の腕を掴みながら来た道を引き返した。

「お前らも早く来い!呑まれるぞ‼︎」

その時、ようやく華里奈達にも、『それ』が認識できた。


泥のような何かの塊のような、異臭を放つ何かが、ズルズルと音を立てながらこちらへ向かってきているのを。


華里奈達は、ようやく認識した。

「き…………きゃあああああああああああっ!」

そう悲鳴を上げたのは、一体誰だったか。

パニックになった全員が、一目散に駆け出した。

いや……全員だったのだろうか。

腰が抜けて座り込んだ人もいたはずだ。

だが、亜乱に連れられた華里奈には、誰が無事に走り出せたのか、見ることはできなかった。



(……どうなってんだよ‼︎)

この状況を打破できるとしたら、それは亜乱しかいないのに、咄嗟に華里奈を連れて逃げ出してしまった。

「あっ、亜乱君っ!!︎ どこ、に、逃げるの⁈」

息を切らしてそう問う華里奈に、亜乱は何も返せなかった。

(……何で、よりによって今日なんだよ‼︎)

せめて昨日か明日だったならば、どうとでもできたのに。

「───キャァッ‼︎」

甲高い悲鳴と共に、亜乱はバランスを崩した。倒れ込んできた華里奈を、咄嗟に支える。

「カリナッ⁈」

「だ、大丈夫…………」

そう返す華里奈の顔は、真っ青だった。

「立てる、か?」

「…………」

華里奈は青い顔のまま、ふるふると首を横に振った。

「腰、抜けちゃった……みたい。足も、捻っちゃった」

泣きそうな顔で華里奈は続ける。

「ごめんね、亜乱君。私は大丈夫だから、置いてって。亜乱君は逃げて」

「バカッ‼︎お前を置いていけって?無理に決まってんだろ‼︎」

「……だって、亜乱君には生きてほしいから」

もう、辺りは悍ましい音と異臭とで満ちていた。


「……好きな人には、生きててほしいな」


「……カリナ……?」

亜乱の呼びかけに、華里奈は泣き笑いで応えた。

「亜乱君は足速いから、きっと逃げ切れるよ」

「……」

「だから、生きてね」

そこで、亜乱は腹を括った。

「……本当は、見てほしくなかったんだけどな」

亜乱はポツリと呟いて、優しく華里奈を床に横たえた。

「カリナ」

亜乱は歯を見せて笑った。

「さっきの言葉、そのまま返すぜ」

亜乱は、不意に側の窓に近づき、思いっきり開け放った。

勢いよく風が吹き込む。


「オレだって、好きな人には生きてほしいんだよ」


その窓は、人が出られる大きさではなかったが、亜乱には充分だった。

泥のような不気味な悪霊は、もうすぐそこまで迫っている。

月の明かりを受けながら、亜乱は鋭く目を細めた。


「……今日は月が綺麗だな。───『月下狼人‼︎』」



その瞬間。

華里奈が瞬きしたその一瞬の間に、亜乱は姿を消した。

「……亜乱、君?」

その代わりに、信じられないものが映った。

「……おお、か、み?」

そう。

華里奈の目の前にいたのは、巨大な狼だった。

漆黒の毛並みの、とても恐ろしく、気高く、美しい狼。

「……亜乱君、なの?」

その呼びかけに応えるように、狼は一つ遠吠えした。

そして。

華里奈を飛び越えるようにして、化け物に向かっていく。

「───ッ⁈」

華里奈は咄嗟に耳を塞いだ。

グチャグチャと、泥の流れる音のような、咀嚼音のような気味の悪い音が辺りに響く。

何秒だったか、何分だったか、何時間だったか。

「……終わった?」

いつの間にか、気味の悪い音は止んでいた。

「……亜乱、君は…………」

華里奈はゆっくりと身体を起こした。

「痛ッ……。うぅ……」

左足首がジンジン痛む。

「でも……行かなきゃ」

壁伝いに、狼が向かった方へと歩き出す。

(……どうか、無事でいて)



黒い狼は、案外すぐに見つかった。

「……こ、れは……‼︎」

華里奈は咄嗟に口を押さえた。

ある広い一室で、狼は何かを喰らっていた。

鈍い華里奈にでも分かる。この鉄錆のような匂いの正体は───

「……亜乱、君、やめて」

吐き気に耐えてそう言っても、狼は反応しなかった。

まるで、華里奈などいないかのように。


「…………馬鹿な人達だこと」


聞き覚えのある声と共に、狼は氷に包まれた。

「え……」

「よりによって、どうして満月の日にこんなことをするんだか」

華里奈はカラカラに渇いた声で呟いた。

「瀬廉、ちゃん?」

「えぇ、愛沢亜乱の妹の愛沢瀬廉ですよ。麻鈴姉さんと香論も、外で待機させてます」

瀬廉は妖しく微笑んだ。

「……何が、起きてるの?どうして、そんな恰好しているの?」

瀬廉は、真っ白い着物を着ていた。

「詳しい説明は後でしますよ。ですから───少し眠っていてください?」

そこで、華里奈は気を失った。



華里奈をソッと床に寝かせながら、瀬廉はポツリと呟いた。

「あぁ……。なかなかエグいことをする」

瀬廉は凍りついた兄の周りをグルリと見回した。

「……まあ、誰一人殺していないのは褒めるべきか。理性が消えた状態で、よく誰も殺さなかったね」

その場に無残に転がるのは、手足がもげていたり裂けていたりする亜乱の同級生達。

だが、皆気絶しているだけで、誰も死んではいなかった。

「……悪霊は全部亜乱兄さんが始末したか。この人達は麻鈴姉さんに治してもらうとして、香論もいるから記憶の改竄も問題ないね。……私が来る必要はなかったかな」

瀬廉は小さくため息を吐く。

「……私が、一度チェックしていれば」

せめて、昨日確認に来ていれば。

「……私のせいで、また人が死にかけた」

瀬廉は小さく首を振った。

そして窓の外に呼びかける。

「……麻鈴姉さん!死にかけが約40名、治せますか?」

「……40⁈……まあ、大丈夫よ」

瀬廉は窓を大きく開け放って氷の階段を敷いた。

下から、麻鈴と香論が上ってくる。

愛沢麻鈴。豪奢な金髪と碧眼、豊満な体つきが特徴的な美女だ。

瀬廉にとっては、この世で一番の美女は麻鈴である。

「……なかなか酷いわね」

麻鈴はそう呟いて顔を顰めた。

「まあ、でも、これくらいなら麻鈴には簡単よ」

「流石です、麻鈴姉さん。ついでに、亜乱兄さんのことも正気に直してください」

「分かったわ。───『海潮風月』」

その瞬間、部屋内が水で満たされた。

生徒達や狼が、無数の泡に包まれる。

(本当……いつ見ても麻鈴姉さんの治癒は素晴らしい)

水の中と言っても、息ができないわけではなく、神秘的で不思議な空間なのである。

やがて、水が引く頃には、満身創痍だったはずの生徒達は、皆安らかな寝息を立てていた。

狼も姿を消し、人の姿に戻っている。

「……亜乱兄さん、起きて」

瀬廉に強く揺すられ、亜乱は薄目を開いた。

「……?」

ぼんやりとした目で瀬廉を見つめていた亜乱は、不意に覚醒したのかガバッと起き上がった。

「……か、カリナは‼︎無事かっ⁈」

「……さあ?無事とは言い難い気もするけど」

瀬廉はそう言って肩をすくめた。

「友達が狼に変身して、しかも暴れて同級生を喰い散らかしてるともなれば、精神的にはかなりのダメージを負うのでは」

亜乱は分かりやすく項垂れる。

「……じゃあどうすりゃ良かったんだよ」

「……いえ、亜乱兄さんは間違いなく最適行動を取りました。『月下狼人』を使うリスクはあれど、そうしなければ皆死んでいたでしょう。今回は、事前に確認しなかった私の落ち度です」

淡々と瀬廉は言っていた。

自覚があるのかないのかは知らないが、瀬廉には、妙に自分を責めすぎるきらいがある。

「……香論。この人達の記憶を改竄できる?今日、彼らはここには来なかった」

瀬廉に問われ、香論はプクと膨れた。

「……すごく不服だけど、アタシの妖力量じゃ、そんな大きく改竄するのはムリ‼︎……ラミならできると思うけど」

瀬廉は天を仰いだ。

「……じゃあ、工場に来てからの記憶を曖昧にして。あとは私が辻褄を合わせるから」

「……はーい」

「あぁ、あとは華里奈さんの記憶は重点的に消去して。たぶん一番心的ダメージが大きいから」

「はいはい、分かってるよ。───『千幻万化』」

途端、生徒達を淡い光が覆った。

「───はい、完了。あとは瀬廉が何とかしてよね」

「言われなくても分かってる」

瀬廉は皮肉っぽく口を歪めた。

「こんな事態を引き起こした責任は、取るのが最適解だから、ね」

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