第9話 狂剣士
闇の中に、黒い閃光がみえた。
光はなによりも暗く、黒く、世界を切り裂いていった。
矛盾している感覚に、俺は、生まれてこのかた味わったことのない感情をおぼえる。
そうだ。
これが――「怖い」ということだ。
「グゥオオオオオオオ!」
灰狼の雄叫びが、腹の底から伝わってくる。
うるさいなんてものじゃない。
音の波を、直接体に注ぎ込まれているようだった。
やかましい絶叫が永遠に続くと思われたとき――……不意に、闇が晴れた。
「――うっ!」
嵐に揉まれた帆布よりもぼろぼろになった俺の身体は、冷たい地面の上に落下した。
「ミレートさん!」
横たわる俺のそばに、泥まみれになったジュジュが駆け寄って来る。
「よかった、ジュジュ……無事だったんだ」
「あなたのおかげですわ……でも、あなたは……もう……」
涙を目に一杯にためるジュジュに、俺は頷く。
「俺は大丈夫だ。ほら、もう治っている」
「そんな、そんなはずが……え?」
俺はすくっと立ち上がり、両肩を三回ずつ回して見せた。
ぴょんぴょんと両足で跳ね、深呼吸。
手で触れて確かめるが、傷口はすべて塞がっている。
「あ、あなた……しかし、さきほどの傷は、どこへ……!?」
驚きに目を剥くジュジュの目の端から涙がこぼれ落ちた。
「ああ、言ってなかったな。これも回復術のひとつ、『自動再生』だよ。俺の心臓にはあらかじめ超高度の回復術式を仕込んであるんだ。俺の心臓が止まらない限りは、この術が自動的にすべての傷を回復してくれる。ちょっとした擦り傷もすぐに治るから便利なんだ」
「し、心配して損しましたわ! 乙女の涙は宝石ほどの価値があるとご存知なくって!?」
「ははは、悪い悪い……さて」
俺は呻きもがく灰狼のほうへ向く。
老いた王は今、首の皮一枚でどうにか胴体と頭部を繋げている。
それでも咆哮を喉の奥から絞りだす様は、恐ろしいとしか言いようがない。
――しかし。
それよりも怖ろしいものが――ヒト、らしきものが。
俺とジュジュの前に背を向けて立っていた。
「――おねえさま」
やはり、そうなのか。
俺はひとり得心する。
目の前で剣を握るのは、さきほどジュジュの腕のなかにいた眠れる森の姫――ロシナそのひとだった。王族であることを示す赤髪の少女はその髪を燃えるようにたなびかせ、剣の切っ先を狼の王に向けていた。
しかし、様子がおかしい。
付き人であるジュジュの声に反応することもなければ、こちらに逃げるよう促すような一言もない。
まるで、気を失ったまま立っているような超人の感がある。
「ついに、目覚めてしまわれたのですね」
「ジュジュ……これが姫のジョブなんだな」
ジュジュはゆっくりと頷いた。
「――『狂剣士』か。見るのは初めてだ」
騎士、戦士、剣士、盗賊、忍、侍……剣を使用するジョブは数あれど、狂剣士はまさにレア中のレア。
おそらくだが、SSSクラスの狂剣士は、歴史上初めてのジョブなのではないだろうか。
「私が――呪術士である私がロシナさまの付き人をさせていただいているのは、まさしくそのジョブが理由なのです。ふだんは温厚でとても優しいお方なのですが……スイッチが入ってしまうと、人が変わったように、凶暴な戦い方をされてしまうのです。それこそ、ご自身すらもめちゃくちゃに壊してしまうような……」
「それで、きみが呪術で抑えていたってことか」
「ええ。ですが、SSSクラスの呪術による拘束を免れることができるのが、SSSクラスの『狂剣士』なのです。私にできることといえば、日常生活でその自己破滅的な凶暴さが表に出ないように抑えこむ程度のこと。いざ戦闘になってしまえば、生まれたときから彼女のなかに棲む、もうひとりのロシナさま――『狂剣士』としてのロシナさまが、卵の殻を破るように現れてしまうのです」
そう語るジュジュの手が震え、銀色の腕輪がカタカタと音を立てた。
「そして、優しくて温厚なロシナさまを、殺してしまうのです――」
その意味はすぐにわかった。
その必要もないのに。
その意味もないのに。
ロシナは俺たちの目の前で、自分のふとももに剣を突きさした。
それも、何度も、何度も、その無意味な自傷を繰り返した。
「ッ……!」
自分のことのように痛みを感じてしまう。
「ジュジュ、あれはなにを――!?」
「意味なんてありませんわ。ただ、ああすると戦闘意欲が向上するのでしょう」
「なるほど――まさに、狂剣士だな」
理屈などないのだ。
凶暴さを増したロシナは、深く屈み――地面が爆ぜるような勢いで脚を踏み込み、灰狼の懐に飛び込んだ。
あきらかな悪手だ。
灰狼は首をもがれそうになりながらも、まるでおかまいなしにその頭を振り回して暴れまわっている。
棒の先に鎖でくくりつけた鉄球のように頭が動き回り――ロシナの体に横から命中した。
「――!」
しかし。
がっしりと、その頭部を受け止めたロシナは微動だにしなかった。
頭部を失いかけていても狂うことで生命を保つバケモノに対して、己の狂気のほうが勝っていることを示すかのように、剣を振り回した。
本当にそれは、ただ振り回しているだけだった。およそ剣術とも呼べないような動きであり、いうなれば、野生の本能のままに、どう動けば相手の命を狩ることができるのか――それだけの動きだった。
切っ先が狼の鼻先を裂き、眉間を走り、首元へ駆け抜ける。
ロシナは宙を舞い、まるで剣に導かれるかのように踊り、やがてその首元に達した。
「――死ね」
ようやく発した声は、おどろおどろしいものだった。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!!!!」
言葉を発するたびに剣で切りつける。
まるで正確さに欠ける動きだった。
相手を切りつけながら、その半分は己の身体を切りつけていたのだ。
めちゃくちゃすぎる。
めちゃくちゃすぎて、もう両手が悲鳴を上げたのだろう、力が籠らなくなってきているのが見てわかる。肩の骨が折れたのではないだろうか。おそらく負荷がかかりすぎたせいで、腕の筋肉がすべて伸び切ってしまっているに違いない。
自身の体の限界を狂気で越え、限界以上の戦闘力を引き出す。
それが、狂剣士のスキル『バーサーク』なのだった。
「――――死ねっ!!!!」
最後に。
ロシナは剣の柄を口に咥えると、暴れ狂う狼の体の上で、上半身を思い切り反らした。
「二度と、生き返るなぁぁぁぁぁあーーーーッ!」
切っ先が、狼の首の皮に刺さり。
ぷつり。
ごとん、と。
古い魔獣の王は、その生命を落とした。
「―――――ハァ、ハァ、ハァ……」
静寂が森に訪れた。
あとには、横たわった狼の体の上で息を荒くする姫騎士――いや、狂剣士ロシナと。
それを呆然と見つめる俺とジュジュだけが残った。
ジュジュはロシナのぼろぼろの体から悲しそうに眼を逸らすばかりだった。
しかし、俺は――彼女に釘付けだった。
俺なら。
俺ならきっと。
ロシナにもっと良い戦い方をさせられる。
そう確信していた。
「俺の回復術なら、彼女の戦い方をもっと良く――」
「――――ジュジュから離れろ!」
が、それどころではなかった。
俺の腹に、剣が生えていた。
-----------------------------------------------------
お時間いただき誠にありがとうございます!
フォロー&応援をして下さると、読んで下さる人がいるんだ!と思ってとても嬉しいです。
もしよろしければ、お願いします!
執筆頑張ります!
(山田人類)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます