その修羅場、光に満ちて

阿炎快空

その修羅場、光に満ちて

「たっくん、この『ゆかり』って誰?」

「……勝手に俺のスマホ見てんじゃねえよ」

「質問に答えて!」


 夜。

 とあるアパートの一室。

 椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合った大学生のカップル——孝則たかのり真奈美まなみの間には、重たく、険悪な空気が漂っていた。

 真奈美の手には、孝則のスマホが握られている。

 孝則に向けられたその画面には、真奈美以外の女との楽しそうなLINEのやり取りが表示されていた。

 一方の孝則は、煩わしそうに顔を背け、決して真奈美と顔を合わせようとはしない。

 いわゆる、修羅場というやつである。


「……友達だよ」


 溜め息混じりに答える孝則を、真奈美が怒鳴りつける。


「嘘!嘘よ!」

「うるせえなあ、大声出すなって」

「信じてたのに……たっくんだって、結局は他の男と同じ……」


 真奈美はそこで一旦言葉を区切ると、孝則をキッと睨みつけて叫んだ。


「どうせ——どうせ、!」


「……はあ?」


 ようやく真奈美の方を向き、呆れたような表情をつくる孝則だったが、


「とぼけないでよ!」


 真奈美は手にしたスマホを、真横へ放り投げた。

 スマホが壁にぶつかり床に落ちる音と、孝則の「おいっ!」という声が重なる。


「わかってるんだからね!たっくんが私のこと、まったくいやらしい目で見てないことくらい!」

「お前なあ、さっきから何言って——」

「たっくんはどうせ、私の体なんて全く興味ないんでしょ!?最初っから、私の清らかな心だけが目的だったんでしょ!?」


 少しの沈黙の後——孝則はチッと舌打ちして答えた。


「——ああ、そうだよ!俺は最初ッから、お前の人間性にしか興味ねえよ!」

「……そう。認めるんだ?」

「ハッ!当然だろ!?まさかお前、俺が本当にお前でムラムラしてるとでも思ったのか?」


 完全に開き直った孝則は、顔に歪んだ笑みを浮かべて、自らのへそう言い放った。




 幼い頃から、真奈美は輝いていた。

 比喩ではない。

 真奈美の全身は常に、眩い金色の光に包まれているのだ。

 孝則がずっと顔を背けていたのも、〝浮気をしていた後ろめたさ〟が原因ではない。

 単純に、眩しいからだ。


 何故光っているのかといえば、それは彼女自身の心が、光となって体外に漏れ出てしまっているからである。

 医師曰く、数百万人に一人の希少な体質らしい。


 彼女は、所謂〝いい人〟であった。

 バスや電車では、積極的にお年寄りに席を譲った。

 映画を観れば、難病に苦しむ主人公の姿に綺麗な涙を一筋流した。

 裏表のない性格で友人も多く、ベランダで歌を口ずさめば、どこからか小鳥達が飛んできて彼女の指へと止まった。

 だが。

 そんな真奈美の放つ光は、眩さ故に、彼女の外見を視認不可能にしてしまってもいた。


 光は、多くの男達を電灯に群がる蛾のように惹きつけた。

 大抵の男は、真奈美の目の前に立つと、その光の——心の美しさに目を奪われてしまう。

「こんな人と幸せな家庭を築けたらなあ」と思ってしまう。


 しかし——そこに性欲は伴わない。

 姿が見えないということもあるが、何より「そういう気持ち」を抱くことを躊躇わせる何かが、その光にはあった。


 とは言え、真奈美だって健康的な女子大生である。

 そういった行為への欲求は、人並みに——いや、はっきり言えば、人並み以上にあった。

 性欲は生きるための三大欲求の一つ。

 それ自体は恥ずべきものではないし、加えて、真奈美は理性で己を律し、決して誰から構わず体を許すような真似はしなかった。

 当然その分、その溜まりに溜まった欲求は、付き合っている男へと向かうことになる。


 相手の男達も皆、付き合いたての頃は義務感から、真奈美を満足させようと頑張った。

 しかし、どんな絶倫だろうと真奈美の要求に応え続けるのは難しく、夜の営みも段々と億劫になってくる。

 そして、ベッドでくたくたになりながら思う。

 

——くそっ、面倒くさい!

——明日は一限から授業だってのに!!

——俺は別に、こんなことの為にこいつと付き合ってるわけじゃねえ!!!

——あと、やっぱり眩しい!!!!


 そうした不満は徐々に膨らんでいき、やがて彼らの気持ちは、徐々に真奈美から離れていった。

 ある者は、真奈美に隠れてわかりやすく可愛い後輩と、心の合流などはなから求めない、肉欲のみの割り切った関係に没頭し。

 またある者は、そこそこの性格の良さと、そこそこの外見の良さと、そこそこの性欲の強さを併せ持つパートナーに乗り換え、「やっぱ何事もそこそこが一番だよなあ」としみじみ呟いた。

 真奈美にとって恋愛は、常にそんな事の繰り返しであった。




「お前と付き合ったのはなあ、単に、休みの日に公園で手ぇ繋いで歩いてたり、お互いの誕生日にプレゼント送り合ったり、お前が病気で寝込んだ時に、温かいおかゆを作って食わせてやったりしたかっただけだっつうの!」

「……最低」

「へっ——何とでも言えよ」


 悪びれる様子の全くない孝則に対し、真奈美は床に転がるスマホを指差し尋ねた。


「この子とは?」

「あ?」

「ゆかりちゃんとは、どこまでいったの?たまに実家の借金肩代わりしてあげたりとか、その程度のプラトニックな関係?それとも——」

「どうでもいいだろ」


 再び顔を背け、孝則が答える。


「一回や二回、トラックから身を挺して命を救ってやったぐらいで恋人面してんじゃねえよ」


 その悪ぶった表情の中に微かに浮かんだバツの悪さを、真奈美は見逃さなかった。

 二人には既に、体の関係があるのだ。


——なんやかんや理由をつけて、私のことは抱かないくせに。


 その瞬間、真奈美の中で、張りつめた糸がぷつりと切れた。


「そっか……わかった」


 呟き、ゆっくりと椅子から立ち上がる。


「おかげで、目が覚めたわ……」

「……真奈美?」


 孝則の呼びかけを無視し、ふらふらとした足取りでキッチンへと向かう。

 彼女が引き出しから取り出したのは、一本の大きな出刃包丁だった。

 

「お、おい——なんだよそれ!しまえよ!」


 慌てた様子で、孝則が椅子から腰を浮かせた。


「たっくんを殺して、私も死ぬ」

「よ、よせよ——冗談、冗談だって!な?な?」


 後ずさった孝則が、足をもつれさせ、床に尻餅をつく。


「外見もちゃんと好きだって!い、いや——むしろ、内面とかどうでもいいわマジで!真奈美は、めちゃくちゃ美人だし——」

「見えてない癖に」

「い、いや、わかるんだって、俺くらいになると!それにほら、体つきだってめちゃくちゃエロいし!胸も大きいし、尻だって——」

「どうせ、ゆかりちゃんにも同じこと言ってるんでしょ?」


 ゆっくり近づいてくる真奈美の体からは、徐々に光が失われ始めている。


「ち、違うって!ゆかりはマジで、ただの友達なんだよ!」


 孝則は必死に弁明した。

 対応を誤れば死ぬ——そんな確信があった。


「さっきは、スマホ投げ捨てられて腹が立っただけでさ!あいつとは、海辺の教会で愛を誓いあったり、お互いのイニシャルを腕にタトゥーでいれあったりしたけど——ただ、それだけだって!」

「……本当に?」

「ホント、ホント!」


 真奈美はもう、すぐ目の前まで近づいていた。

 光量はいつになく微弱で、普段は視認できない体のラインがはっきりと見えている。


「『よく見たら可愛いな』、とか思ったりしてない?」

「思ってない、思ってない!ゆかりはただ、優しくて、気が利いて、俺のことを世界一大切に思ってくれてるだけで、本当に、そういうんじゃないんだよ!」

「……そっか。なら、いいよ」

「よ、よかった!」


「——なあんて言うと思った?」


 真奈美が冷たく告げるのと同時に、その体を包んでいた光が完全に消失した。


「ひ、ひいっ——あれ?普通にめっちゃタイプ——うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 孝則の絶叫が、夜のアパートに響き渡る。

 ——それは人の心の光が引き起こした、哀しい事件だった。

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