スピリトーゾ
くうき
第1話 アッラ・マルチャ
桃色の桜が一片、ひらりと風に揺られ、地に舞い落ちる。みなは木に咲く立派な桜に夢中で、落ちた花びらのことなんか気にせず、それを悪意なく残虐に踏みつける。桃園あかねはそれが嫌いだった。
はぁ、息を吐く。せっかくの中学校の入学式なのに、とぼとぼと歩くあかねの耳に1つの音色が飛んでくる。
美しい軽やかなリズム。それを完璧に吹き切る1つの楽器。細かな音の粒が心地よい。繊細で、それでいて芯のある力強い旋律。高い音は澄み切っており、低い音は奥深くてしっとりとしている。
「きれいな音色、、。」
あかねの呟きは誰にも聞こえないままコツンとアスファルトに跳ねてそのまま力なく横たわった。あかねはそれをぐりぐりと踏み潰し、そのまま校舎へと向かった。新品のローファーはアスファルトで少し削れてしまった。
「吉野の川はー澄んでいてー 阿讃の峰はー雄々しくてー」
あかねの入学した第一中学校は入学式に校歌をうたう。しかし、校舎に入って数時間しかたっていない1年生は初めて聞く校歌を歌えない。目の前に気持ちばかりの歌詞の書かれた紙が移動式黒板に貼られるが、リズムがわからないため、ぼそぼそと歌詞をつぶやいて終わる。打算的すぎる。
「はあ、つかれたー!」
「それなー」
机に突っ伏したあかねに1人の少女が声を掛ける。
三浦まお。保育園からずっと一緒のあかねの幼馴染だ。活発的でチャレンジャー。眉より上に切られたぱっつんの前髪は彼女の大きな瞳をよく強調させた。後ろで輪っか状にまとめられた髪は彼女の動きに合わせてたぷんと揺れている。
「ほのは呼名で緊張したよ。ちゃんとできてた?」
次にやってきたのは同じく幼馴染の山本ほの。緊張しいでよく顔を赤くする。まおとは対照的で引っ込み思案で臆病だ。かみは一つにまとめられており、髪ゴムの上には真っ赤なリボンが不安そうにくっついていた。
「あぁ、あれは緊張するよねー。ね!まお。」
「ええ!?ぜーんぜん!2人ったら怖がりだなあ」
腰に手を置き、はあとため息を吐く。
「まおちゃんは声、一番大きかったよね。すごいなあ。私は3回ぐらい呼ばれた。声、小さすぎて。」
ほのは人を思いやれるいい子だがいかんせん声が小さい。よく耳を澄まさないと聞こえないため彼女との会話はテンポよく進まない。
「確かに小さかった。もっと息吸ったら?」
そう言って、まおが息をたっぷりと吸う。ほっぺがサンタクロースのもつ白い袋のように膨らむ。それを見て、ほのも息を吸う。ほっぺが大きく膨らんだ。
「山本ほのさん!」
あかねの声にほのが応える。
「は、はい!!!」
「「ち、ちいさぁ、、」」
まおとあかねの声が重なる。ほのは怒りをあらわにするようにぷっくりと頬を膨らませた。ふと、教室中にガラリという乾いた音が響いた。その音と同時に一人の女性が教室に入ってくる。
「皆さん、着席してください。」
「あれ、もしかして」
まおが声を上げる。教卓の前に立ったその女性はにこりと笑みを深めた。
「私は音坂恵美子と言います。今年は1年A組の担任を、そして吹奏楽部の顧問をしています。よろしくお願いしますね。」
優しそうな声の奥には中学校の厳しさがちらりと覗いていた。
「やぁっとおわったぁ!」
カバンを乱雑に持ったまおが声をかけてきた。帰りの学活が終わった今はもう放課後だ。どっ、と今日の疲れが出る。それはまおも同じなのだろう。新品のカバンの持ち手には深いシワが寄っていた。
「じゃ、ほのもつれていくかあ!」
にまっと笑うまおにあかねは困惑の色を浮かべた。
「吹奏楽部の部活体験、行くんでしょ!」
第一中学校では入学式の日に部活紹介と部活体験が各部室で行われる。例えばダンス部は部室でダンスを披露したりサッカー部は持ち前のグラウンドでどのような練習をしているのかを部長の楽しい司会を織り交ぜながら紹介する。吹奏楽部は音楽室で一曲、演奏するとのことだ。一体どんなパフォーマンスが行われるのか。あかねは聞く側なのに少しドキドキしてしまった。
音楽室は小学校とあまり変わらなかった。3階にあること、上下に動く黒板があること、白くてポツポツと穴の空いた壁があること、そして後ろには少しくすんだ音楽家たちが隊列を作るようにずらりと並んでいること。代わり映えがなさすぎて少し面白くない。唯一変わっているところといえば19人の2、3年生が楽器を持って半楕円型に並んでいるところだ。それに向かい合うように座る1年生の横に腰掛けると、隣にいる1年生があかねに数枚のプリントを手渡した。どうやら吹奏楽部にある楽器の名前とイラストの載っている紙のようだ。自作なのだろう。安っぽいコピー紙は少しかさついていた。
それを合図に1人の先輩が立ち上がった。手には黒いリコーダーのような楽器、クラリネットを持っている。小さな口が大きく開いて、たっぷりの息を吸う。それは先程のまおやほのとは比べ物にならなかった。
「それでは、時間になったので部活紹介を始めます。私は部長の佐藤 真と言います。今日は来ませんが顧問に音坂 恵美子先生がいます。」
彼女の声は部長だからだろうか、ハキハキとしていて心地よかった。黒髪を1つにまとめていて、黒縁メガネをかけている。なんだか部長らしい部長だ。
「今日は皆さんのために銀河鉄道999を演奏します。しっかりと聴いて下さいね。」
銀河鉄道999。松本 零士作のSF漫画を原作としたアニメ映画の主題歌で、ワクワクをぽっけにぎゅっと詰め込んだようなリズムが特徴的だ。
まるで夜空の銀河のような旋律があかねは大好きだった。
ドラムを担当している生徒がバチをかん、と1回弾いた。先輩たちがさっと素早く楽器を構える。あかねの心臓はドキドキしすぎて爆発してしまいそうだ。バチが4回弾かれる。すると、分厚い音の圧があかねたちを襲いかかった。
演奏が終わり、盛大な拍手が巻き起こった。何よりも楽しくて何よりもわくわくする演奏だった。美しい音の旋律同士が絡み合って心地よく響き、美しいハーモニーが生まれていた。音が大きいのに美しさは損なわれていない。楽しい演奏を世界中から集めて煮詰めたらきっとこうなるだろうと思わせるような演奏だった。1つの雫が、笑う部長の頬を優しく撫でた。肩も上下に揺れている。楽しかったのだろう。それがよく感じ取られた。
「それでは部活体験を始めます。してみたい楽器のところに集まってください。」
凛としている声が教室中に響き渡った。その声を合図に1年生がざわつく。まおとほのがキラキラとした目でこちらを覗き込んだ。
「すごかったねー!!あかねちゃんとまおちゃんはどこいく?」
「あたしはトランペットかなあ!!それかサックス!」
「トランペットかぁ!ほのはユーフォニアムかクラリネットかな。あかねちゃんは?」
2人はとっくにお目当ての楽器を見出しているようだ。一方、あかねは朝聞いた楽器が何かわからないため、決まらないでいた。フルート、グロッケン、トロンボーン、チューバ。紙に書かれたそれらはあかねを困らせようとしているように見えた。
「、、悩み中?」
「まぁ楽器、多いしねー。とりま行ってくるわー!!じゃね!」
そういってまおとほのがとたとたと背を向けて走っていった。その後ろ姿が羨ましくてつい目を背けてしまった。他の1年生もあかねを置いていくようにバラバラの方向に前へ進んでいた。
ふと、逆行するかのように1人の男の人がやってきた。身長があかねの3回りくらい大きいことから先輩だということが察せられた。バサバサと髪がいろんな方向に逆だっている。いかにもチャラい陽キャだ。
「お前、1年生だよな!チューバ、どう!!?」
チューバとはユーフォニアムをそのまま大きくしたかのような大きな楽器だ。大きいがあまり目立たない気がする。音はどっしりと低くて朝聞いた音とはかけ離れていた。絶対にチューバではない。ついあかねはしかめっ面をしてしまった。
「いやー、、私は他のがいいかなーって、、。」
その言葉に先輩は拗ねるような顔をした。人懐っこい顔。なんだか大人っぽい女の人に好かれそうだった。
「頼むよー。チューバ、俺だけで暇なんだよー。」
ぱんっ、と手を打ち合わせ、そのまま上下にすりすりと手をすり合わせる。そこまで言われるとつい負けてしまいそうになる。まあ、体験だし。そう考えていたあかねのもとにまた1人、先輩がやってた。
「こら、なつ。そんなに無理強いさせちゃだめでしょ。」
その人の柔らかそうな長い茶色の髪はひじまで伸びており、触角は内側にくるりんと巻かれていた。アイドルのような前髪は彼女の穏やかそうな性格をよく表していた。
「1年生の子だよね。何かやってみたい楽器とかある?」
「あ、えっと朝の登校中に聞いた楽器探してて、、。」
その言葉に2人の先輩は顔を見合わせた。
「朝はみんな集まってたよね。誰だろう」
「時間あるし全部の楽器試してみましょーよ!まずはチューバから!!!」
結局、チューバとよろしくとなった。今だけだぞ、そう思いながらあかねは大きなチューバを覗き込んだ。
今思い返してみれば金管楽器を吹くのはこれが初めてだ。あかねは少し緊張してしまった。先輩に渡された椅子は美術室用のもので背もたれがなくて不安定だった。なつが大きな分厚い銀色のワイングラスのようなものを持ってくる。
「これがマウスピース。これを振動させて音を鳴らすわけ。やってみて」
雑に渡されたマウスピースは傷まみれだった。鈍い銀色はあかねの不安をそのまんま表しているみたいだった。口に当て、勢いよく息を吐く。しかし、
すかーーーっというへなちょこな弱々しい音がでた。何度やっても音は出ず、息の切れたあかねの顔はすこし赤くなった。そんなあかねの姿になつはなにか懐かしいものを見るように目を細めた。彼も昔はこうだったのかもしれない。なつがチューバからマウスピースを手慣れた手つきでぬき出す。大きくてゴツゴツとした手に握られるそれは使い古されていて少し歪だ。
「これはこーすんの!」
そう言って、腹一杯に空気を吸い、マウスピースに吹き込んだ。ブーッという図太い音はあかねのものとはかけ離れていてずっしりと重みのある良い音だった。
「息を吐くんじゃなくて“吹く”の。俺ら、吹奏楽部だし。」
その言葉にあかねは感動した。頭の弱そうな人だと思っていたがまともなことが言えるみたいだ。
「あ、さっきの子!どう?あった?」
あかねが最後に来たのはホルンのところだ。どうやらホルン担当は先程なつと共にあかねの話を聞いてくれた茶髪先輩のようだ。
「あ、いや、なくて、、。ホルン以外体験してきました。」
「じゃあホルンかも!早速吹いてみよっか!」
ウキウキとしたその表情からまだ1年生は1人も来なかったことがうすうすと察せられた。マイナーなんだな。彼女のもつホルンが寂しそうに鈍く光った。先輩が差し出してくれた椅子に座る。
「まずこれがホルンね。左手こんな感じにできる?」
先輩が左手を突き出すように見せる。親指を上の薄い金属板に乗せ、人さし指から薬指までを表のさっきと似たようなところに当て、下向きのCのようなところに小指を引っ掛ける。なんだかさっきまでの楽器とは勝手が違って難しい。
「重かったら膝に置いてくれていいからね。あとはベルに右手を入れて完成!金管楽器の吹き方は大体わかるよね。まず思うように吹いてみて。」
ホルンは他の金管楽器よりもマウスピースが小さい。チューバやユーフォニアムとは吹き方がぜんぜん違う。
ぷすーっぷすーーっ心もとない音とも呼べない音が鳴る。肺いっぱいに吸った息はか弱いなにかとなって消えた。
「息をしっかり管に送るようにしてみて。マウスピースにつながるこの細い管を意識するのを」
ぽん、と彼女の細い指があかねのもつホルンを指差す。ぽきっと折れてしまいそうな細い管と小さいマウスピース。ユーフォニアムやトランペット、チューバにあってホルンにないピストン。なんだか金管楽器の中でも少し異質な楽器に思えた。
なんだこれ!!!そんな思いをぶつけるかのように精一杯の息を吹き込む。しかし音はすかーっと
ずっこけてしまった。
「今日は部活体験最終日です。まだ迷っている人は今日中には決めるようにしましょう。それでは、してみたい楽器のところに集まってください。」
あかねが真っ先に向かったのはもちろんホルンだった。
すかーっ、すかーっ弱々しい音が鳴る。まだまだ音はうまく出ず、もやもやする。しかし、あと少しでコツが掴めそうだった。底の深いプールの中でふわふわと舞う紐を手に入れようとするような、モワモワとする感じ。きっかけさえあれば簡単に掴めるようなもどかしさ。難しいのにそれが少し楽しい。
「あ惜しい!!そういう感じ!!」
みきが楽しげに声を上げる。なんだかいける気がする!
ぶっぶーっ
汚い音が出た。それはおならみたいに汚くてずっこけてしまいそうだったがそれでも音はでた。でた。でた!
「やったあ!!でたあ!」
それがすごく楽しくてとっても楽しかった。
「まず、1年生の皆さん、入部おめでとうございます。これから吹奏楽部員としての活動が始まります。慣れないこともたくさんあると思いますが皆さんなら乗り切れると信じています。これからよろしくお願いします。」
部長の堂々とした声が音楽室いっぱいに響き渡る。結局、あかねはほのとまおと共に吹奏楽部の部員となることになった。当然、楽器はホルンだ。あのとき聞いた楽器の正体もわからないため少しもやもやするが、パートが決まっただけで少し気が引き締まる。
「第一中学校では主に金管楽器、木管楽器、打楽器の3つで活動をします。先輩の名前、学年、担当楽器を覚えておいてください。それでは顧問から一言。」
その一言に、顧問が1つ頷き、教卓の前に立った。凛と伸びた背は彼女に似合っていてかっこいい。
「皆さん、吹奏楽部に入部を決めてくださりありがとうございます。2、3年生で話し合った結果、今年の目標は“吹奏楽コンクール 全国大会金賞”です。この目標を達成するため、部員一同頑張りましょう!」
ぱん、と手を打ち合わせにこりと笑みを深める。
「これから1年間、よろしくお願いします。」
その言葉に部員一同が返事をした。もちろん、その中にあかねも含まれていた。
スピリトーゾ くうき @kuuuuuki
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