第8話 王妃様と呼ばないでください
とりあえず人に話を聞こう、うんそうしよう。
私はティエルが言っていた『侍女』を呼ぶために、机に置いてあったベルを鳴らした。するとほどなくして扉から控えめなノック音。
「どうぞお入りください」
ガチャリと扉が開かれる。現れたのは、メイド服を身に纏った、私と同い年位の女性だった。
ヘーゼルの瞳に、亜麻色の髪を一つにして結わえている。どこかおっとりとした垂れ目が印象的だ。
「貴女は……」
「リーンと申します、王妃様。身の回りのお世話をさせていただきますわ。どうぞよしなに」
「お、王妃様て。あのリーンさん、それはティエルが勝手に言い出したことでして――」
「まぁ、リーンさんだなんて! どうぞ、ただリーンとお呼びくださいまし。陛下に怒られてしまいます」
おほほ……と上品に口に手を当てて笑うリーンさん。出会って間もない人を呼び捨てになんて気が引けるけれど、郷に入っては郷に従えだ。彼女に迷惑をかけてはいけない。
「ではリーン、質問があります。魔王を討伐したティエル・レ・アズノールは、現国王と同一人物ですか?」
突拍子もない質問だと思う。けれどもティエルの変わりようを見れば、とてもあのティエルと同一人物だとは思えなかったのだ。
リーンが私の質問に僅かに目を見開く。だがすぐに表情を元に戻した。
「はい、間違いなく同一人物ですわ。あのお方が魔王を討伐し、その功績をたたえられたがゆえに、国王となられたのです」
「そうですか……」
どうやら、かつての塩対応だったティエルと、今のティエルは同一人物で間違いないらしい。
青天の霹靂、寝耳に水とはこのことだろう。
なにせ彼は今まで一切、こちらへ好意を抱いている素振りを見せたことがなかったからだ。むしろ嫌われていると思っていた。
だって三年かけて話しかけ続けたのに、一度も笑顔を見たことがなかったのよ?
「ティ……陛下がいつお戻りになられるかわかりますか?」
同一人物だとわかった所で、改めてティエルには色々聞きたいことがある。
「申し訳ございません、私からはなんとも……。しかし王妃様がご退屈なされないよう、陛下は様々な退屈しのぎをご用意しておいでです。手始めに、こちらのお部屋の模様替えをされてはいかがでしょう? すぐにでも商人をこちらにお呼びできますわ」
なんだそのとんでもなくお金がかかりそうな退屈しのぎは。
「いえ、結構です。ここで陛下を待ちます。リーンさんも退出していただいて結構です」
「……左様でございますか? かしこまりました。では私は下がらせていただきますね、何かありましたらいつでもお呼びください」
リーンは少し残念そうにしていたが、一礼した後に部屋から去っていった。
そしてまた、だだっ広い部屋に一人となる。
「……とりあえず、待つかぁ」
ふかふかすぎるソファに脱力してもたれかかる。『待つ』とはいったものの、リーンが言った通り静かな部屋で何もすることがないと確かに退屈だ。
ぼんやりしていると、ある衝撃的なことを思い出した。
「ハッ! そういえば日本に戻される時、マリエッタ嬢に殺されかけたんだった! 彼女、いまどこで何をしているんだろう……。私が戻って来たのを知ったらまた殺しに来るんじゃ……。これもティエルに相談しよう」
何をしようにも、まずはティエルと会わなければならない。
しかしただ座っているうちだんだんと眠くなり、私はいつの間にかソファで寝入ってしまったのだった。
*
「……ん」
僅かに瞼を開けると、辺りがすっかり暗いことに気が付く。
どうやら熟睡してしまっていたようだ。11連勤の体が休息を求めていたのだろう。身じろぎすると、カタン、と物音がした。
物音がした正面の方を見ると、暗闇にぼんやりと人型のシルエットが浮かび上がった。自分以外に人が居る事にびっくりして、勢いよくソファから身を起こす。
「誰?」
「ごめん、起こしちゃったかな」
暗闇でよく見えないが、その声はティエルのものだった。
「ティエル! 良かった、会いたかったの」
実は私命を狙われてるの――。と続けようとしたが、急に部屋が明るくなったので眩しさに言葉が遮られてしまう。
「――俺も、レーナに会いたかったよ」
嬉しそうな声。
驚いていると、急に座っているソファがずしりと沈んだ。パッと隣を見ると、そこには笑顔のティエルの姿。
すると彼はつい、と私の髪を一房すくい、それに口づけを落とした。
「……っ!?」
かあ、と頬が熱くなる。
彼氏いない歴=年齢の私に、突然のイケメンタッチは髪であっても心臓に悪いのですが……っ。
「一人にしてごめんね。退屈しのぎは気に入ってもらえた?」
まさかそれが『篭絡するための手段』!? 美しい顔がにじり寄ってきて、思わずのけ反ってしまう。
「あああああの、会いたかったのはそうなんだけど、恋愛的な意味じゃなくて!」
私が慌ててそう言うと、ティエルの目がすぅっと細くなった。
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