第2話 異世界が恋しいです

「ううっ……もう少しで王様から魔王討伐のご褒美である、『異世界での永住権』を貰えるはずだったのに……」


 私は涙目になりつつ、久方ぶりのカップラーメンをすすった。何これめちゃくちゃ美味しい。

 しかし本当に、本当に無念である。


 実は私、あの異世界の事が存外に気に入ってしまっていたのだ。――できれば永住したいと思うほどには。


 そう望む理由は、私の生い立ちにも関係する。

 

 ……私には家族がいない。


 幼い時両親とも事故で亡くってしまったためだ。その後祖父母に引き取られたが、その祖父母も私が高校を卒業する前に亡くなってしまった。そのため私は天涯孤独の身なのである。


 それでいて勤め先は超がつくほどのブラック企業。

 朝早くから夜中の終電ギリギリまで働かされ、身を粉にする日々。そんなうつうつとした日常を送っていたある日、私は異世界へと召喚された。


 異世界でいきなり『魔王を倒せ! やらなきゃ死刑!』なんて脅された日には驚いたけれど。それでも、旅は楽しかったと思う。辛いことも多かったけれど、あの時の私は自由だった。


 驚いたのは行く先々の村人たちがみんなが親切だったこと。いつしか私は異世界の人々の、屈託のない笑顔が大好きになった。聖女としてそんな彼らの役に立てたことが、今となっても誇らしい。


 少なくともあの世界での私は孤独じゃなかった。日本で埋められなかったどうしようも無い孤独を、異世界は優しく包んでくれた。

 ――だから、あそこに骨を埋めたいと思っていたのに。


「今までの苦労が水の泡じゃない」

 

 凱旋前の滞在先にツイーズミュア公爵家邸宅を選んだのがそもそもの間違いだった。マリエッタ嬢は勇者に恋をしていたのだ。そのために、ずっと共に旅をしてきた私の存在が邪魔だったのだろう。


 私はカップラーメンを食べ終え、割り箸を容器の縁に置いた。ふと脳裏に浮かぶのは、旅の仲間――ティエル・レ・アズノール第三王子の姿だ。


 彼を一言で言い表すとすれば、鍛え上げられた一振りの美しい剣。


 豊かな麦穂を思わせる艶やかな金の髪。夕焼けのような瞳は目が覚めるほど真っ赤で、まるで宝石がはめ込まれているようだった。


 顔立ちは現実離れした美しさで、どのパーツもすべてが完璧。絶世の美丈夫という風情だったが、私は彼の笑ったところを見たことがない。

 

 見た目は絵物語から飛び出してきた王子様そのもの。しかしとにかくティエルは不愛想な人だった。出会った初めの頃は一言も喋ってくれなかったし。機械仕掛けの人形なんじゃないかと一時期は本当に疑ってた。でも野営の時、寝息を立てるティエルを見て人間だと思い直したけど。


 重い空気が嫌で、私は必死でティエルに構い倒した。

 すぐ終わるような旅じゃないのが分かっていたから。で、三年間構い倒したらやっと少しは話すようになってくれた。


 『俺に関われば呪われるぞ』と。


 ……うん。

 ずっと一緒に旅してきたけど呪われてる感じしなかったよ? それを伝えたら『この世界で赤い瞳は不吉を呼ぶと信じられている』と返された。

 えーっ!? って感じだったよね。だってティエルの赤い瞳ルビーみたいですごく綺麗だったから。正直、異世界の風習とかよく知らないし、呪いとか何それ美味しいの? である。


 私は正直に『貴方の瞳は綺麗だと思う』と彼へ伝えた。そしたら物凄くびっくりされてしまって。そんなティエルの表情が珍しくて、それから私は事あるごとにティエルを褒めるようになった。『今日も顔が良いね』とか『剣裁きがカッコいいね』と言った具合に。


 きっと彼は、今まで『関わると呪われる』からと辛い目に遭って来たに違いない。だからせめて私だけは彼の味方になってあげたかった。


 しかしそんな私の努力むなしく。ティエルは、たまに「そうか」と返事してくれるくらいで、結局全然仲良くなれなかった。ゆるぎない塩対応。


 今思えば、変な女に構い倒されてすんごいウザかったんだろうなぁ……。

 元の世界に戻った今となれば本当に申し訳なく思う。しかし当時はいろいろと必死だったのだ、許してくれティエルよ。


 とにかく私とティエルの関係は知り合い以上友達未満である。

 マリエッタの恋路の邪魔にはならないはずなのに。

 

「ま、異世界の事を考えてもしょうがない! 明日から仕事だし寝よう」


 時計の針は夜十一時を指している。

 あ、そういえば。最後の最後で兵士たちに囲まれて何もできなかったのはとても悔しい。

 もう戦う機会はないかもしれないけど、ああいった、魔法に頼れない場面でも対処できるくらいには鍛えておきたい。


「そうと決まれば頑張って稼いで、そのお金で護身術でも習おうかな!」


 異世界が恋しいけれど、しょうがない。

 けれど悔しくて、私は心の中でひそかに涙を流した。そしてベッドに思いっきり飛び込み目を閉じる。未練たらしく、かつて旅で見た、田園風景にたたずむ赤レンガの屋根を思いながら。

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