第10話

 目を覚ましたら神社でお参りをしている最中だった。


 あたりには人がいる。けっこう繁盛している神社のようで、夏休みのクソ暑い中だっていうのに、まばらにいくらかの人が存在した。

 広い境内。向こう側に鳥居。散歩をしているおじさん、毎日来ている感じの老婆が社務所の人と雑談していた。


 異世界転移の前には当然お守りが光ったわけだが、その光なんか誰にも見えていないように、世界は普通に進んでいる。


 今度は時間を確認してからお参りしたが、お参り前から1分も経っていなかった。時間を確認するまでのタイムラグをふまえれば、異世界転移して過ごした時間は、こっちの世界では流れていないのだろう。


「……やっぱ『俺が寝て目覚めること』が元の世界に帰るための条件なのか」


 首をさする。

 アオは打撃による昏倒を想定していたのだが、002がとった『アオを気絶させるための手段』は、頸部圧迫だった。

 つまり首絞め。


 首絞めというのは、アオが小さいころ、アオにとっての上級生たちのあいだでちょっと流行った『ゲーム』だった。

 確か問題視されてニュースになり禁止された。なのでアオたちにもその当時の名残で『首絞めゲームなどしないように』という、知らない人が聞けばまったく意味のわからない注意がされることもある。歴史、というやつだ。


「おはようございますご主人様。002はそういうプレイにも対応しておりますので、気持ちのいい眠りを提供できたという自負があります」


「あー……うーん……まあ……」


 落ちる一瞬、経験したことのない気持ちよさ、みたいなものは確かにあった。

 首絞めというセンセーショナルな、刑事ドラマの殺害方法でしか聞かないようなものは、確かにこうしてやられてみると、気持ちがいい。

 今後『首絞め』という単語を聞いてこの感覚を思い出さない自信はない。また一つ人生に本来の用途と違う印象を受ける単語が増えてしまった。これもまた歴史の一つかもしれない。


 ……気付いてしまったことがあって。

 アオがもし『俺は殴られたり首絞められたりすると興奮するマゾなんだ』と告白していたら、ご主人様登録解除とかいう危険な橋を渡らなくてもよかったんじゃないか、って。

 しかし今後マゾとして扱われても困るので、結果的によかったことにした。


 アオが1人で勝手に複雑な心境になっていると、002がキリッと姿勢を正し、相変わらずの無表情で語り始める。


「002より使用上の注意点を申し上げます」

「うん?」

「002は愛玩用に作製された人形です。肉体は人間の10代前半をモデルにしており、初期に搭載されているデータ、パーツのみでも様々なプレイに対応可能ですが、弊社で発売されているアタッチメントを購入していたくことにより、より一層お客様のニーズにお応えすることが可能です」

「ちょっと、ちょっとちょっと。いきなりどうした? 世間体破壊爆弾か?」

「ですが本社はこの世界になく、002はこの状態が完成品となります。以降、機能の拡張、ソフトのアップデートなどのサポートが受けられないことをお詫び申し上げます」

「はあ」

「以上の点をご了承くださった場合のみ、ユーザー登録が可能です。あなたの名前と、当機のニックネームを口頭で入力してください」

「…………あー」


 アオはそこで困った。

 なるほど要求されているのだ。名前を。そういえば最初の最初にかわいい名前をつけてくれと言われていたことも思い出す。

 しかもプチ脅迫つきだった。ようするに『名前をつけなければ〝機能説明〟を続けるぞ、この衆人環視の中で』ということであり、002はこの世界のことと、この世界で生きる人の価値感をだいぶ学習している様子だった。


「ソフトのアップデートはないかもしれないけど、学習していろんなことを学ぶのはできるんだよな」

「ポジティブ。受けた刺激に対応し、ご主人様によりよい奉仕をする機能が002には搭載されています」

「名前、つけろと言われると困る……こっちは名前つけられるゲームでもデフォルトネームで進行するタイプだぞ……じゃあそうだな、ロボット……アンドロイドからとって、『アン』とかにしよう」

「002よりかわいいと申し上げます」

「そりゃあまあ、002よりはな……」

「これからもご主人様にいただいた名前をもとに、愛玩人形として……」

「いやいや。ぁぃ……が……ん……人形としてっていうか、そういうのはいいから、好きに生きてくれよ。人形扱いがいいなら努力するけど、こだわる必要はないから」

「アンドロイドを望むからアンドロイドから名前をとったのでは?」

「人間に『人間からとって〝ニン〟にしよう』とかいうネーミングしねーだろ」


 アンドロイドからとったのは、『そうじゃない』から。

 そもそも深い意味などない。困り果てて由来を探したすえに見つかったものから引っ張って、どうにかこうにか、それっぽい名前をひねり出したと、そういう苦心の痕跡があるのみだった。


「で、俺の名前は…………そういや俺、君らに名乗ったっけ?」


「名前とプロフィールを聞かれたことはございます」

 これは聖女ルクシア。


「うかがっておりません」

 002改めアン。


「聞いてない」

 ナニカ。


「……うっわ……名前も名乗らずよく今まで……ああいや、うん」


 そこでアオは『そういえば呼称に困る事態にならなかったな』と思い出した。

 主あるいは神と呼ばれたり、ご主人様呼ばわりされたり、あるいは同胞扱いされたりした。


「中村碧です。よろしく」

「ユーザー登録を完了しました。これより002改めアンは、ナカムラアオをマスターとし、マスターの命令と身命を慮って快適な性のライフを提供いたします」

「お断りします」

「返品は受付先がこの世界にありません」

「もっとこう、さあ……お友達から始めるとか、できないかな……」

「今のアンはインターネットに接続が可能です。型式が古いので接続形式の作成に苦労しましたが、セキュリティが甘いので接続自体は簡単でした」

「フリーWi-Fi拾えるのか……」

「そこでご主人様の生活県内の言語やプレイをあらかたインストールしたところ、『セックスフレンド』という概念に」

「やめなさい」

「すべてわかりました」

「それはルクシアがよくやる『わかってないヤツ』」

「ご安心ください。ソフトウェアのアップデートはありませんが、アンは学習機能がデフォルトで備わっておりますので。お友達から始めましょう」


 アオは疑わしいという感情を隠すことなくアンを見た。

 白髪の無表情な少女は、信頼できない笑みを口元に浮かべて言葉を続けた。


「いずれ『そこ』に至る過程を楽しむのも、プレイの一環ですので」


 そうじゃねぇよ、と言おうと思った。

 でも、じゃあどうなんだ、と返されると困るなと理解した。

 だから、こう言うしかなかった。


「ヨロシクオネガイシマス」


 登録はこうして完了した。 

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