第9話
「002の妹たちはレジスタンスの持ち物として、今も戦闘用に調整・製造されているようですね」
「妹たちが戦いに使われてるってこと? それはなんていうか……助けたかったり……」
「別に。製造ラインが同じというだけなので」
マジで興味なさそうでアオは言葉を失ってしまった。
002は倒れた『妹』のぴったりボディスーツを脱がせ、腹部をめくり、コンソールみたいなものを操作した。
そのあと指先から細長い金属の何かを伸ばして『妹』の腹のコンソールに刺す。
すると『妹』の薄く小さい体がビクンッと跳ねて、意識を失ったまま『妹』がガクガク体を跳ねさせ、口から何かの液体が舞い、下半身がバタついた。
「うわ」
なんだかすごくイケナイものを見せられているような感じがして、アオは目を逸らすべきかどうか悩んだ。
だが悩んでいるうちに状況は終わってしまったらしい。
002が顔を上げて、アオを見た。
「ネガティブ。レジスタンスは002が政府に鹵獲されたものと判断し、『妹』たちに002の破壊命令を出しています」
「政府からはレジスタンスと思われて、レジスタンスからは政府だって思われてるってこと?」
「ポジティブ」
「この状況で俺が眠るまでこの世界で過ごすのか……どうしよ、早く眠ろうと思うと逆にぜんぜん眠くなくなってくる」
そもそも、アオが眠ることが異世界転移解除の条件とも限らない。
まあ直前のデータから判断するしかなく、直前では少なくとも『寝て起きたら戻っていた』という感じだったので、その方針で行動するしかないわけだが。
機能としてご主人様に攻撃できない002、力加減の問題で攻撃できないナニカ。
唯一宗教的事情で攻撃できないルクシアは、現代日本で暮らしているアオの感覚としては、『宗教なら、今はちょっと我慢してもらって、攻撃してくれないかな』と思ってしまうのだが……
(まあ、無理なんだろうな)
ルクシアにとって神は絶対だ。
神として命じれば思想をある程度まげることもできるかもしれないが……
(それは、やっちゃいけない干渉だ)
アオはそう思った。
そこへの干渉は莫大なエネルギーを必要とするだろうし、そのエネルギーを支払ってルクシアをまげても、代わりに何をすればいいのかがさっぱりわからない。つまり、省エネじゃないし、バランスもとれない。だから、しない。
だからアオは、こう提案した。
「わかった。じゃあ、こういうのはどうだろう? 002のご主人様をやめる」
「え」
「だから俺をぶん殴って寝かしつけてくれ」
「覚悟キマってるな同胞」
ナニカが嬉しそうだった。
002は戸惑っていた。
だが、それ以外に手段もなさそうなので、「……ポジティブ」と返事をした。
そういうことに、なった。
◆
「一時的に、空白になった『ご主人様』に前のご主人様か、あるいは政府が滑り込んでくる可能性があることを忠告します。そのさいには、あなたたちに攻撃をする可能性があります」
「でも、俺の世界に帰れたら、来た時みたいにまたご主人様が空白になる」
「……002は考え直しを提案します。ご主人様が普通に眠るまで、安全を確保し続けることは可能です」
「でもそれは危険だと思う」
「002が敵に回るほどには危険ではない可能性があります」
「それなんだけど、『ご主人様』登録って俺の承認いるの? 最初してたっけ」
「説明を聞いているのに拒否がないことを肯定だと判断しました」
「『サービスの利用をもって規約への同意とみなします』かあ……」
「しかしご主人様を気絶させたあとでは、さすがに不可能だと進言します」
「同意の先置きは?」
「不可能です。出荷時であれば可能です」
「じゃあ、俺が寝て異世界転移が終わるまでがんばってもらうしかないか」
「それ以前に」
002がその時に沈黙したのは、ためらいが理由だった。
もともとAIにはバグがあり、初期不良がある。愛玩人形としてさえまともではない002だ。その思考、感情は人間に近い。近い、というか。002の心が人間ではなくって、ほかの人間の心が人間であると、そんなふうに見分けられる者など存在しないだろう。
002が出力する感情表現は間違いなく人間のものだった。
だから002の挟んだ沈黙には、無言なのだけれど、たっぷりの感情が乗っていた。
あらゆる感情とあらゆる計算の果てに、言語に乗せて放つことが選ばれた感情は、
「なぜ、あえて乱暴な手段を選ぶのですか?」
疑問だった。
それはそうだろう。002は人間のことをインストールされている。
人間は自分が傷つく選択はとらない。人間は確実と思われないことをしたくない。
レジスタンスも政府も変わらない。人間は自分が矢面には立ちたくないもので、無数のアンドロイドが破壊されてもなんとも思わないが、自分の指にちょっとした切り傷がついただけで大騒ぎする、そういう生き物だ。
だから『ご主人様』には、自分を傷つけずとも、眠くなるまで002やルクシアに自分を守らせて、守られながらぐっすり眠るという選択肢もあった。
確かに早急にして確実な『寝かしつける手段』は、002がぶん殴ることだ。力加減は間違えない。002は人体のデータをインストールさせており、あらゆる性的嗜好に対応し、なおかつご主人様を危険な状態にしないためのスキルが初期から入っている。
だが、あえて痛い選択をする必要はないはずだ。
「ご主人様は痛みに興奮する嗜好をお持ちなのでしょうか」
これは002なりにまじめな問いかけだった。
でもご主人様は「そんなわけねぇだろ」と『心外だ』みたいな顔をした。
「だって002がさ、あんまりここにいたくなさそうだから」
「002は奉仕を基本理念として設計された愛玩人形です」
「だからなんだよ」
「002が尽くす側であり、あなたが002に尽くす必要はありません。それとも、」
「そういう性的嗜好ではないです」
「アンノウン」
「さっき守ってもらったからお返し」
あまりにも端的にして明瞭な答えだった。
だが002にとっては不可解で混乱を誘発する答えだった。
「002は愛玩人形です」
「それがなんだよ」
言葉に詰まってしまった。
愛玩人形です。だから、なんだ。
「……愛玩人形は、購入者への奉仕が存在意義であり、購入者はこれに『お返し』をすると考えることはありません」
「購入者ではないです。金払ってねぇもん」
「…………」
「助けられておいて助け返さないのはバランスが悪い。それとも、俺をこの世界に転移させてあの集団に囲ませたのはアンタ?」
「否定します」
「じゃあなんも悪くないしなんの責任もないのに俺を助けてくれたってことじゃん。返しておかないと気持ち悪い借りだよ。だから次は俺が痛い思いをする。納得した? 納得したなら早めにやってほしい。そもそもだけど、俺が寝て起きたら元の世界に戻るってのも、あんま確実な手段じゃねぇからな? 今のところそうっぽい、ぐらいのヤツなんで、下手すると次の可能性を探さないといけないかもしんないから、早めに済まそうって」
「002は痛い思いをしてはいません。無傷で制圧しましたので」
「アンタ、ロボットなんだろ? ロボットがロボットを倒して心が痛くないわけないだろ」
「……」
「早く済まそう。もういいだろ?」
002の思考速度は遅くない。
だが、自分に対する『ご主人様』の態度について言語化するのに、30秒もの時間が必要だった。
それは会話中に挟むには不自然なほど長い沈黙で、ご主人様は「もしもし?」とフリーズしている002に呼びかけていた。
愛玩人形は主人からの呼びかけを無視して考え込んで、ようやく、言葉を見つけた。
「ありがとうございます」
見つかったのはあまりにも単純なお礼の言葉だった。
しかし、尽くすことが当然の愛玩人形には、お礼の言葉を述べる機会はない。
『はい、わかりました』『了解しました』『仰せのままに』。愛玩人形の人生はそうやって重なっていき、それだけで終わっていく。
愛玩人形の稼働中にもっともかけることも、かけられることもない言葉こそが、『ありがとうございます』。
心に寄り添ってもらった思いやりに対する当たり前の言葉だった。
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