第19話 協会と襲撃

 翌朝、ジャスミンさんにいつものようにお化粧をしてもらう時、心配そうな顔で見つめられた。


「お嬢様、平気ですか?」

「え、な、何がですか?」

「今日は目の隈が濃くて……昨夜は、よく眠れませんでしたか?」

「う」


 鏡の中の自分の表情がはっきりと強張るのを意識してしまう。

 昨日はヨハネのことで頭がいっぱいになり、よく眠れなかった。

 アリシアさんが言う。


「仕方ないわ、ジャスミン。昨日は悪人を捕らえるために張り込みをしていたんだから。いくら旦那様が一緒だったとはいえ、怖い思いをされたのかもしれないし」

「あ、私ったら。申し訳ございません。配慮に欠けていました」


 申し訳ない顔をさせてしまって、私こそ申し訳ない。


「いいんです。心配してくださって嬉しかったです」

「うう~! お嬢様は本当にお優しいですぅ~!」


 そこにノックの音がした。アリシアさんが出ると、「これは旦那様」という声がした。


(ヨハネ!?)


 びくっと反応してしまうと、ジャスミンさんが首をかしげる。


「ユリアの身支度は?」

「ただいま済みました」

「そうか。二人とも、下がってくれ」

「失礼いたします」


 アリシアさんとジャスミンさんが下がっていくけれど、「いかないで!」という言葉が喉までこみあげた。

 もちろんヨハネと一緒にいたくないとかそういうことではない。

 ただ、昨日の今日で二人きりになるのが気まずいだけ。

 鏡台に座ったままの私の背後に、ヨハネが近づいてくる。


「おはよう、ユリア」

「……おはよう」


 鏡ごしに挨拶を交わした。

 彼の長い指が私の髪をすくいあげ、そっと口づけを落とす。

 鏡ごしにもかかわらず、私は見ていられず、目を反らしてしまう。


(朝から心臓に悪すぎる!)


 ヨハネは私の髪から手を離したかと思うと、今度は背後から抱きしめてくる。

 強い力ではなく、簡単にふりほどけてしまいそうな力だけど、今の私は高鳴る鼓動ともあいまって胸がいっぱいになっているせいか、ふりほどけない。


「……そうやって、私をからかって楽しい?」


 思わず恨み言を漏らしてしまう。


「悪かった」


 柔らかな声で謝罪を口にしながら、抱きしめる腕を外そうとはしなかった。


「昨夜はうまく眠れなかったみたいだな」

「どうして……」


 ジャスミンさんの化粧の腕前は、よく分かっている。今回だってバッチリ濃いくまをしっかりと隠してくれたし、寝不足気味の青白かった顔色も頬紅で健康的に仕立て直してくれている。


「気付かないわけないだろ。悪かった。寝不足になったのは、俺のせいだな」


 口では謝っているけど、どこか優越感みたいなのが滲んでいるように聞こえるのは、気のせい……じゃないと思う。

 私はうまく返せず、口ごもった。


「昨日も言ったが、返事を急かすつもりはない。ただ、俺がどういう気持ちでお前と一緒にいるかを伝えたかったんだ」


 だからそんな風に囁かないで!


「そろそろ朝食ができる頃だ。行こう」

「さ、先に行ってて。私もすぐに行くから……」

「分かった」


 ヨハネが出ていくと、私は顔の火照りを取ろうと無駄な足搔きと知りながら手で顔を仰ぐのだった。



 朝食を済ませると、「今日、どこかに出かけないか?」とヨハネが誘ってきた。


「せっかくいい天気なんだ。屋敷に閉じこもってるのはもったいない」

「ふ、二人きり……?」

「当然だろ。ま、護衛の騎士は連れて行くが」


 即答。

 恥ずかしいけど、昨夜のことを理由に避けるのは悔しい。

 寝不足であることを知られているのだから今さらかもしれないけど、意識しすぎているとはこれ以上、思われたくない。


「いいよ、行こうっ」

「決まりだな」


 ヨハネはすぐに馬車の支度をさせ、出かけることになった。

 アリシアさんたちに見送られ、屋敷を出る。

 向かいの席にヨハネは座っているのだけど、つい意識して見てしまう。


「どうかしたか?」


 ヨハネは口元を緩めて聞いてくる。


「べ、別に」

「そうか」

「ニヤニヤしないで」

「ユリアと一緒にいるだけで楽しいからつい」


(またそんなことをさらりと言って、恥ずかしくないの!?)


 そんな私の反応が好ましいのか、ヨハネはますます笑みを大きくするのだった。

 とはいえ今日は雲一つない快晴で、気持ちがいい。


「カフェにでも行くか?」


 私は馬車の窓から大通りの様子を見る。

 魔物が出現して十年以上。

 ヨハネたち騎士団の活躍により街道の安全性は劇的に向上し、街や村の物資輸送は少しずつ回復しつつあり、カフェだけでなく、その他のお店も通常営業している。

 ただ私はそういうものにあまり魅力を感じなかった。

 通い慣れていないということもあるんだけど。


「……教会に行きたい」

「教会? 大聖堂か?」

「違う。私の生まれ育った教会。十五年も経っているでしょ。私にとって大切な場所だから、今どうなっているか確かめたいの」

「分かったが、期待はするな。魔物が徘徊してるんだ。ひどい有り様かもしれない」

「それでも確認したいの」


 ヨハネはすぐに御者に命じた。

 馬車は街を出て、街道を進んでいく。

 丘の麓で馬車は停車し、騎士たちが斥候に出る。

 すぐに戻って来て、「教会は無事です。魔物もいないようです」と報告してくれた。


「本当ですか!?」

「もちろん風雨にさらされてひどい状況であることに変わりはないようですが」

「良かったな」

「うん!」


 再び動き始めた馬車は小高い丘を登り、教会の前で停まった。

 気持ちが急いて、ヨハネのエスコートはとても待っていられず、飛び出すように馬車から降りた。

 騎士の言う通り。

 ただでさえおんぼろな教会は風雨にさらされ、管理する人もおらず、ボロボロ具合に拍車がかかっていたけど、窓も扉も外壁も元の形を保てている。


「ヨハネ、中には入れる?」

「ああ」


 玄関から中に入ると、締め切った室内特有の湿気と埃と黴臭さを感じた。

 念の為にヨハネが先を行き、安全を確認した上で私を導いてくれた。


「足元に気を付けろ」


 自然な形で手を取られる。


「……うん」


 外から差し込んだ日射しに、舞い上がった埃がきらめく。


「あぁ、神様、ありがとうございます! 感謝いたしますっ!」


 私は思わずという風に、そう言っていた。

 正直、私は信心深いとは言えない。

 シスターが口うるさく言ってようやくお祈りの時間を過ごしていたくらいだし、シスターが真面目くさった顔で神様の話をしても、「また物語の話かぁ」くらいな感想を持つばかりだった。

 なにせ、孤児だ。

 神様の存在を信じられなくなる程度の過酷な現実を、幼い頃から大なり小なり誰もが経験している。

 神様だかなんだか知らないけど、その人が私たちに一体何をしてくれるの?

 パンでもくれるの? 雨露をしのぐ家は? 寒い日の毛布はどう?

 何もしてくれないじゃない。

 神様なんて知らないし、仮に存在していたとしてもそれは私たちとは無縁な存在だと想い続けていた。

 でも今回ばかりはどこにいるかも分からない神様に感謝を捧げたかった。


「荷物はほとんど残ってるのね」

「最低限の貴重品だけ持って出るよう言ったからな」

「お屋敷に持ち帰りたいものがあるんだけど、いい?」

「問題ない」


 私は子どもたちの部屋で動物のぬいぐるみや、らくがき帳、木の実をつなげたネックレスをせっせと拾い上げ、同行してくれていた騎士の人に預ける。

 すっかり大人に成長したみんなからしたら、使い道はないがらくただ。

 でもここで過ごした想いでは決して忘れていいものではない。

 決して楽しいことばかりではなかっただろうけど、生まれた場所も血筋もまったくバラバラな私たちはここで出会い、『家族』として過ごした。

 幼い頃の思い出の品々は、それを思い出させてくれるはず。

 本当の親兄弟の顔を知らなくても、彼らが自分たちを必要としなくても、自分たちは決して一人ではない、本当に必要としてくれる家族とここで出会った、ということを。

 シスターの部屋からは埃をかぶったボロボロの祈祷書を回収する。


「そんなものも持ちかえるのか? シスターには新しい祈祷書を与えたが」

「やっぱりシスターにはこれでなくちゃ」


 ボロボロなのは歳月のせいじゃなくて、私たちが子どもの頃から同じような状態だった。 シスターは物持ちがいいし、子どもたちに物を大切にすることを説く時には必ずと言っていいほど、この祈祷書を持ち出した。

 シスターが修道院に入る時にご両親から餞別として受け取った、大切なものだと常々言っていた。

 ヨハネにそう説明すると、目を細めて微笑んだ。


「血は繋がらなくても、家族なんだな、お前たちは」

「当然じゃない。私たちは大切なのは血縁じゃないことをよく分かってるんだもの。赤の他人でも家族になれるし、信頼しあえる。だからこそ、家族を助けてくれたヨハネには感謝してもしきれないの」

「大切なのは血縁じゃない、か。確かにその通りだな」

「分かってもらえて嬉しい」

「もう行くか?」

「あと一カ所だけ付き合って」

「いくらでも付き合う」


 その姿はまるで忠犬。

 私は馴れた廊下を進み、とある部屋に入った。

 通常、教会の部屋は五人、六人部屋なんだけど、そこは貴重な二人部屋。


「ここは?」

「私とトレイシーの部屋。外で働く子にはこうして特別な部屋がもらえるのよ」

「どっちがユリアのだ?」

「こっち」


 私は手前を指さす。それからベッドと一体化している収納の引き出しを探る。

 公爵家に引き取られる時に荷物は持ち出せなかったから、貴重品は隠しスペースに遺したままのはず。


「あった!」


 二重底になっているスペースには、小川で見かけた綺麗な石を繋げたネックレスが入っていた。あの時はすごく楽しくて夢中で集めた石だけど、本物の宝石を見た今だとやっぱり色褪せて見える。

 だけどその首飾りを見るだけで、あの時の楽しかった思い出が鮮やかに蘇る。

 本物以上の価値が、この首飾りにはある。


「このネックレスを作りながら、トレイシーと一緒に、将来、白馬の王子様が迎えにきてくれたらいいねって夜通し話してたの」

「可愛いな」

「子どもの頃のことだけど」

「それでも可愛い」


 そんな真剣な顔で言わないで欲しい……。


「も、もう。そんなにじっと見ないで」


 それでも笑みを含んだ眼差しで見つめるのをやめようとはしなかった。

 心臓が早鐘を打ってしまう。本当にすぐに反応してしまうのは困る。

 その時、外が騒がしくなった。


「何?」


 扉が開き、外で待機していた騎士が入って来る。


「魔物が現れました。聖女様は馬車へ!」

「出るぞ」

「は、はい」


 ヨハネに手を引かれ、私は外に出る。

 空を見れば、黒い鱗を光らせた小型のドラゴンが二匹、私たちを見下ろしながら旋回していた。まるで獲物である私たちを値踏みするかのように。


「ワイバーンか」


 それだけじゃない。二足歩行をしているトカゲ型の魔物の群が丘の裾野から、こちらに向かって這い上がってきているところだった。

 私はヨハネに背中を押され、馬車に乗り込んだ。


「ここにいろ。いいな?」

「うんっ」

「ユリアを守れ!」


 ヨハネは剣を抜き、襲いかかってくるトカゲの魔物を斬り捨てていく。他の騎士たちも馬車に近づいてくる魔物を斬り裂くが、数が多くてきりがない。

 さらに頭上から襲いかかってくるワイバーンの相手もしなければならないせいで、思ったように動けないようだ。


 ヒヒィィィィィン!


 騎士たちの隙間をかいくすぐり、トカゲの魔物が馬車へ急接近する。

 パニックになった馬が前足を上げて暴れ回った。

 御者が手綱を締めても言うことを聞かず、ついには暴走して走り出してしまう。


「っ!?」


 私は振り回される車内で扉の戸に思いっきり背中を打ち付けてしまう。

 その拍子に扉が開き、外に投げ出されてしまう。


「あ……」


 世界がゆっくりと動く。


「ユリア……!」


 地面と体がぶつかる寸前、ヨハネが飛びつくように私を抱きしめ、身代わりのように地面に叩きつけられた。かすかな呻きを漏らすが、私を抱きしめる腕の力は変わらない。

 私たちは絡まり合いながらゴロゴロと丘を転がっていく。

 ようやく止まったかと思うと、私を見つめる鮮やかなルビーの瞳に私を映す。


「……へ、平気か?」

「ヨハネ……!」

「俺は頑丈だからな、問題ない……く……」

「どうしてあんな無茶を!」

「白馬の王子って奴は自分の身も顧みず、姫を救うもんだろ」


 心配させまいと必死に笑顔をつくる。


「何を言ってるのよ! あなたにもしものことがあったら、私は――」

「危ない!」


 私は左腕で抱き寄せたヨハネが、私の背後から襲いかかってきた魔物を真っ二つにした。

 さらにワイバーンが頭上から襲いかかってくる。

 ひどい怪我を負っているはずのヨハネは私を守るために、剣を振るった。


「やめて、ヨハネ! 無理をしたらっ!」


 ワイバーンの翼を斬り落とし、地面に叩きつけたその首筋に刃を突き立てる。

 私は彼の肩越しにもう一匹のワイバーンが肉迫してくるのを見た。


「後ろ!」


 痛みのせいか、ヨハネの動きが一瞬遅れる。

 しかしワイバーンはどこからか飛んできた剣に頭を貫かれ、地面に叩きつけられた。

 騎士が助けてくれたのかと思って見ると、白銀の甲冑をまとった騎士がこちらへ馬を駆けさせてくるところだった。

 私たちの面前で馬を飛び降りると、ワイバーンの頭を貫いた剣を回収し、返す刀で襲いかかってくる魔物の群を瞬く間に斬り伏せてしまう。

 ヨハネは私をしっかりと抱き寄せたまま、騎士に向かって剣を突きつけた。


「落ち着けよ。立ってるだけでも辛いくせに無理をするな」


 声の主は男性だ。

 兜を取ると、鮮やかな青い髪に、灰色がかった瞳の甘い雰囲気の顔立ちが明るみに出る。

 私に向けて白い歯と爽やかな笑みを向けてきた。


「余計な真似を」

「勘違いするな。お前を助けた訳じゃない。そちらの聖女様を助けたんだよ。お前はおまけだ」

「……知り合い?」

「マルケスの私兵だ」


 私は内心の動揺を意識しながらも、頭を下げた。


「――助けて頂き、ありがとうございます」


 たとえ彼が、王国を蝕むマルケス侯爵の部下だったとしても彼が来なければ、私もヨハネもどうなっていたか分からない。

 私が感謝を述べたことに、騎士は爽やかに微笑む。


「――なんて可愛げのある人なんだ。うちの聖女様とは大違いだ。アーヴァン・トレール伯爵と申します、聖女ユリア。演習中でしたが、魔物の気配に助太刀に参った次第でございます」


 アーヴィンさんがうやうやしく頭をさげると自然な動作で私の右手を取り、口づけをしようとする。

 しかしヨハネがすごい勢いで手を弾いてやめさせた。


「触れるなッ」


 まるで猛獣が餌を奪われまいと威嚇するように、唸った。

 アーヴァンさんは「おお、怖い怖い」と少しも怖がっていない顔でうそぶく。

 そこへヨハネの部下の騎士たち、そしてアーヴィンさんと同じように白銀の甲冑をまとった騎士たちが合流してくる。

 魔物を一掃したにもかかわらず、重苦しい緊張感に包まれた。

 どうやらヨハネと、アーヴィンさんは犬猿の仲のよう。


「聖女ユリア。またお会いする時もあるかと思います。その時はじっくりお話をいたしましょう。では」


 アーヴィンさんはそう言って部下の騎士をまとめあげると、走り去っていった。


「くそ、あいつ……」


 ヨハネが荒い息を吐き出し、がくっと右膝をつく。


「ヨハネ!」

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