第20話 看病

 その日の夜、ヨハネは傷のために熱を出した。

 お医者様から解熱剤を頂いて、つきっきりで看病をした。

 カトレアのように回復魔法さえ使えればと何度頭を過ぎったか分からなかったが、出来ないことに思いを巡らせても意味は無いと自分にできることを専念した。

 回復魔法は使えないけれど、傷が化膿しないよう、傷口を浄化することはできる。

 苦しそうだった息遣いが段々とまってきたので額に手をあてると、熱がだいぶ下がってきた。

 やがて息遣いも静かな寝息に変わると、ほっと胸を撫で下ろす。


「お嬢様、少し休まれたほうがよろしいかと。お世話なら私たちもできますから」


 新しいお湯と布の補充をしにきたアリシアさんとジャスミンさんが言ってくれるが、私は「大丈夫」と断った。


「私を助けるために、ヨハンは大怪我を負ったんです。だから……」

「かしこまりました。いつでもお呼びくださいね」

「ありがとうございます」


 日付が変わると、さすがに眠気を覚えた。


(いけないいけない)


 私は眠気を覚ますために、ヨハネを起こさないよう細心の注意を払ってバルコニーに出る。

 肌を撫でる秋風の冷たさのおかげで、眠気が吹き飛ぶ。

 綺麗な満月の晩。

 空に見える月がいつもより大きいような気がした。

 ギッ、とバルコニーの出入り口の戸が軋む音に振り返ろうとして、背後から抱きしめられた。


「っ! よ、ヨハネ……」

「風邪を引くぞ」


 優しい声と息遣いが耳をかすめた。

 私はすっかり馴れた(?)鼓動のやかましさを意識しながらも、「気を付けるのはあなたでしょ。ベッドへ戻って」とヨハネの腕を掴んで部屋に戻った。


「分かってるの? 大怪我を負ったのよ。動いたら駄目じゃない」

「看病させた上に、風邪まで引かせるわけにはいかないだろ」

「これはただ、眠気を覚ましてただけだから」


 私はヨハネをベッドに寝かせようとするが、彼は言うことをきかず、私の手をしっかり握る。


「こんなに手が冷たい。俺のことなんかよりも自分をいたわってくれ。俺のせいで体調を崩すようなことがあったら、何の為に守ったか分からないだろ」


 ヨハネは真剣な顔で言った。


「これくらい大丈夫。ヨハネがしてくれたことにくらべたら、一日二日の徹夜くらいどうってことないもの。教会にいたころは、一徹、二徹くらいどうってことなかったのよ?」

「駄目だ。無理はするな、絶対に」


 このままでは平行線になりそうだと私は話を変えた。


「……傷の具合は? 痛むならお薬を」

「平気だ」


 ヨハネのことだ。はいそうですかで済ますわけにはいかない。

 ベッドを抜け出していいような傷でもない。

 私は彼の上位のボタンを一つ一つ外す。


「おい、何を……」


 ヨハネが驚きに目を瞠る。


「勘違いしないで。包帯の具合を見るだけだから……」


 私は頬の火照りを自覚しながら上位をはだけさせる。

 盛り上がった筋肉に包まれたしなやかな体。

 そこに何重にも巻かれた包帯が痛々しいけれど、包帯がほどけたり、血が滲んでいる様子はなかったので安心した。

 その時、彼のたくましい両腕が、私を絡め取るように抱き寄せた。

 温もりと、硬く引き締まった筋肉を意識する。


「な、なにして……っ」

「油断しているのが悪い。そんなにそばに寄られたら抱きしめてくれと言ってるのも同じだろ」

「わ、私はそんなこと一言も言ってないから……っ」

「そうだな。俺が抱きしめたかっただけだ。許してくれ」


 驚きはあったけど、嫌な気持ちは少しもない。

 それどころか彼に抱きしめられると、まるで魔物たちから守ってきた時と同じように安堵の息が自然とこぼれた。

 静かな夜。

 私の少し早めの鼓動と、彼の、やっぱり早い鼓動――互いの鼓動が混ざり合う。


(どうしてヨハネの鼓動まで早いの?)


 上目遣いで見ると、ヨハネは微笑する。


(余裕のある笑顔だけど、ヨハネもこの状況に緊張してるのかな)


 もしそうだったら嬉しい――そう思いかけて、はっとする。


(う、嬉しいってなによ……)


 自分で自分に突っ込んでしまう。


「しばらくこのままでいさせてくれ。少しでいいぁら」

「でも」

「そうしたら後はちゃんと言うことを聞くから」


 そんな優しい、遠慮がちな声で頼まれて断れないよ。


「……約束よ」

「ああ」


 私はしばし彼の胸板に顔を押しつけるように密着する。


(これって考えてみれば、かなり恥ずかしい格好よね)


 未婚の女性が、半裸の男性にひっしと抱きついているのだから。


(ヨハネって結構、体温が高いんだ)


 筋肉って見た目はとても硬そうなのに、意外に柔らかかったりするのも驚きだ。

 もういいかな。いいよね?


「ヨハネ、そろそろ――」


 すぅー……すぅー……。


「へっ」


 間の抜けた声がこぼれた。


(う、嘘でしょぉ!? 寝ちゃったの!?)


 眠った怪我人を叩き起こす訳にはいかない。

 もしかして最初からこれが目的!?


(……けど、起こせない)


 私は葛藤の末に、諦めて脱力した。

 ヨハネの寝顔を盗み見る。

 精悍な顔立ちなのにどこか、あどけなさが残る。


(寝顔、可愛いのね)


 穏やかな寝息と、落ち着いた鼓動が、穏やかに私の中に入り込んでくるような気がして、とても居心地が良かった。

 まるで私と彼が元々一つの存在だったかのように、しっくりきた。


(今日だけ特別よ)


 ぽつりと私は呟いた。



 温かな日射しを感じた私は、はっとして目覚めた。

 いつの間にか眠ってしまったみたいだ。

 室内に陽だまりが出来ている。

 顔を上げると、ヨハネのにこやかな眼差しを眼が合った。


「おはよう」

「っ!?」

「寝顔も可愛いんだな」

「~~~~~っ!」


 無防備な寝顔を見られた恥ずかしさに何も言えず、俯くことしかできない。

 どうしようどうしよう。今さらどうしようとか考えても意味ないけど!


「も、もういい加減離して」


 モジモジするけど、腕はがっちりと私を抱きしめて離してくれなかった。


「嫌だ」

「嫌だってそんな子どもみたいな……!」

「これを逃したら当分はこんなに機会はないだろ」

「決まってるでしょ――」


 その時、ガチャと扉が開く。


「おはようございます、お嬢様。ヨハネ様の具合は――」


 部屋に入ってきたアリシアさんと、ジャスミンさんと眼が、思いっきり合う。


「………………」

「………………」


 二人が、呆然と私たちを見つめる。


「あ、あのこれは……!」


 二人は「キャアアアアッ!」と黄色い声を上げながら、部屋を飛び出して行く。


「勘違いさせたかもな」


 ヨハネは愉快そうに笑う。


「かも、じゃなくて、勘違いさせるためにやったんでしょ……!」

「ユリアが眠ったのは俺のせいじゃないだろ」

「う」


 それを言われちゃうと。


「と、とにかくもう手を離して。包帯だって替えないと」

「追いかけて説明しなくてもいいのか」

「……それよりも包帯を替えるのが先」


 優先順位は間違えられない。

 包帯を替えた私は全速力でアリシアさんたちを探して誤解がないように説明をした。


「誤解なんですね。分かりました~」


 にこやかに微笑む彼女たちはぜんぜん分かってくれていなかった。

 トレイシーたちからも「おめでとう!」と言われてしまって。

 誤解は屋敷中に広まってしまった……。

 それはともかく。

 ヨハネの傷の治りは劇的で、お医者様もびっくりするほどだった。

 さすがは騎士団団長を務めるだけのことはある。

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