第18話 張り込み

 真夜中。私たちは物陰に隠れ、息を潜めている。

 曇り空のせいで月明かりが地上に届かないせいか、闇が深い。

 ここは王都からそれほど離れていない廃村。

 チンピラはどうやら、いつもここで男爵と会うらしい。

 チンピラを脅しつけ、男爵と会う場面を押さえようと計画を立てたのだ。

 それにしても夜はやっぱり冷える。

 私は手を擦りあわせ、息を吐きかける。


「もっとこっちに寄れ」

「私なら大丈夫だから……」

「寒いんだろ。無理するな」


 肩に腕を回され、少し強引に抱き寄せられた。

 ガッチリとした体格を意識すると、ドキドキしてしまう。

 ……ヨハネに伝わってないよね?


「まだ寒いか?」


 密着しているせいで、艶のある声をより近くで聞こえた。

 かすかな息遣いが耳をかすめるたび、ゾクゾクして鳥肌が立つ。


「……ううん」


 恥ずかしさのせいでヨハネの顔が見られず、私は爪先をじっと見つめながらどうにか答えた。


「嘘つくな」

「え、嘘じゃ」

「震えているだろ」


 ヨハネが私の手を握ると、はっとした。

 ただ手を握るだけじゃない。指を絡めてしっかりと。

 ヨハネの手はびっくりするくらい大きくて、私の小さな手は包み込まれるとすっぽり隠れてしまう。

 私は声を上げそうになるのを必死にこらえた。

 どうして声が出そうになるのかは分からない。

 恥ずかしさからか、それとも別の理由からなのか、自分でも分からなかった。

 鼓動も高鳴りっぱなし。


「これだけすれば平気だろ」


 ヨハネの声はどこか満足げ。


「……ありがと」


 正直寒さを感じるとかそれどころの話ではない。

 風に流された雲が切れ、うっすらとだが月明かりが廃村に差し込み、私たちの姿を照らし出す。

 私の手を包み込む、ヨハネの手が闇の中にぼんやりと浮かぶ。

 子どもの頃とはまったく違う、節くれ立って、細やかな傷跡の走った大人の手。

 絡まり合った指先ごしにも潰れた剣ダコや、石のように硬い手の平を意識する。

 子どもの頃とはまるで別人だ。

 あの頃のヨハネは歩幅も肩幅も小さかったし、声変わりだってまだだった。

 十五年という、私の失った歳月を意識する。

 私にとっては一瞬の出来事であっても、ヨハネはたしかに十五年という歳月を生きて来たことが伝わる。


「温かいわ」


 私はヨハネを仰ぐ。

 月明かりに照らされた一片の曇りもない漆黒の髪と、ルビーのように鮮やかな深紅の瞳。

 尖った顎に、彫りの深い端正な細面。

 理知的な光をたたえながら、研ぎ澄まされた猛々しさを含んだ双眸。

 芸術的なバランスの上で成り立った美しい顔立ちが青白い月明かりの下、びっくりするくらいの色気を漂わせている。


「っ!」


 私はすぐに俯く。

 そうしないと、一生見つめてしまいそうだったから。


「耳が真っ赤だ。俺のことをようやく意識するようになってくれたのか?」

「! い、意識って……わ、私たちは……」

「本当の姉弟じゃない。ユリア。お前のことを想っている」

「わ、私だって」

「家族じゃなく、一人の女性としてお前のことが好きなんだよ」


 これまでにないくらい鼓動が激しく脈打った。


「え……」


 体が熱い。


「お前はどうだ?」

「ど、どうって……こ、こんな時にする話じゃ」

「まだ男爵は来てないんだ。いいだろ? それに、屋敷だとのらりくらりと逃げられそうだ。ここなら、逃げようがないだろ?」


 何と答えるのが正解なの?

 一人の女性として好きだって言われても、分からない。

 私よりも年上になったヨハネから見つめられてドキドキしたりしてはいるけど、でもヨハネと同じ気持ちなのかどうかなんて、初恋だって知らない私には分からない。

 そんなことが許されるような環境にいなかったから。

 恋人がいる話を他の子がしているのを聞いて羨ましいとは思っても、自分がそんなに激しく愛し合うなんて、今まで一度も想像したこともなかった……。

 うまく答えられずにいるその時、話し声が聞こえて来た。

 ヨハネが舌打ちをする。


「……邪魔しやがって」


 私もはっと我に返る。


「邪魔じゃなくて、本題でしょ……」


 ほっと胸を撫で下ろす。


「申し訳ございません、旦那。急遽来て頂いて……」


 チンピラが媚びを売るように声をかける。


「私とお前では立場が違うんだぞ。まったく。で、私に直接言わなければならないことだと手紙にはあったが、一体なんだ?」


 男爵は不満を隠さなかった。


「浄化の聖女をご存じですか? そう名乗る女が貧民街に炊き出しに現れて……」

「なんだと!?」

「いかがいたしましょうか。このままでは男爵様の件が連中にバレるのも時間の問題かと」

「どうもこうもない。暴力はお前らの得意とするところだろ。始末しろ。お前らにだって甘い蜜を吸わせてやってきたのは、こういうトラブルを処理するためだ。聖女と言ってもただの小娘だろう!」

「む、無理です。あの聖女のそばにはヨハネとかいう騎士がいて……」

「ヨハネ……?」

「シュローデル伯爵です」

「し、知るかっ! 私は帰るっ!」

「――どこへ帰るつもりなんだ?」


 踵を返した男爵の逃げ場を封じるように、私たちは飛び出した。

 男爵の顔色に焦りの色が過ぎったかと思うと、チンピラを振り返る。


「私をハメたのか!?」

「わ、悪く思わないでください。旦那。こっちだって自分の身が可愛いいんだ」

「き、貴様ぁっ!」


 男爵がチンピラに殴りかかろうとするのを、ヨハネが羽交い締めにしてやめさせる。


「剛胆なやつだな。マフィアと手を組んでいたどころか、王室の金を横領するとは」

「ち、違う! これは私が好きでしているのでは……!」

「では、一体誰の指示なのですか?」


 私が訪ねると、男爵は露骨に口ごもる。


「ヨハネ」

「ああ、そうだな」


 ヨハネに突き飛ばされた男爵は無様に四つん這いの格好になった。

 ヨハネがおもむろに剣を抜く。


「ひ! わ、私を殺すのか!? 貴族を殺せばただでは……」

「マフィアとつるんでいることが発覚した貴族が逆上して襲いかかってきた。聖女ユリアを守るためには仕方がなかった。いくらでも理由はつけられる」


 男爵は顔を青ざめさせ、ブルブルと震えた。


「ま、マルケス侯爵様に命じられたんだ。資金を侯爵家へ流せと! 聖女カトレアの擁護者に逆らえるはずがない! 睨まれたら回復魔法の恩恵を受けられなくなってしまう! 仕方なかったんだ!」


 男爵は情けなく泣き出した。

 世の中にこんなに汚い涙もそうはないだろう。一切の同情の余地もない。


「それを証言してもらえますか?」

「む、無理だ。そんなことをしたら、家族もろとも殺されてしまうっ!」

「だったら、どうするべきか、牢屋で考えるんだな」

「そんな!」


 男爵はがっくりとうな垂れた。



 捕らえた男爵を衛兵に引き渡すと、私たちは屋敷へ戻った。

 男爵は黙秘を続けている。

 仮に男爵が告白しても直接的な証拠がなければ、侯爵を追求するのは難しいだろう。


 ――マルケス侯爵という人は、想像以上の悪党ね。


 魔物に日々脅かされている現状、人同士で争っているような場合ではないはずなのに。

 私は貴族の浅ましさに呆れ果ててしまう。

 もちろん貴族全員がどうしようもないわけじゃないことも分かっているけど。


「疲れたか?」


 ヨハネが気遣ってくれる。


「ううん。大丈夫」

「今日はゆっくり休め」


 耳元で囁かれると、さっきのことをどうしたって思い出してしまう。


『家族じゃなく、一人の女性としてお前のことが好きなんだよ』


 今はもうあれほど肩を寄せ合っていたり、指を絡め合わせて手を繋いでいるわけでもないというのに、ヨハネの顔をみるとそれだけで鼓動が高鳴ってしまう。

 部屋まで送ってもらう。

 とにかく今日はもう眠ろう。

 悩んでいる時にはいっそ、何もかも忘れてしまったほうが、案外、いい答えが見つかるものだから。


「さっきの答えだが。答えはいつでもいい」

「さ、さっき……?」


 思わずとぼけてしまう。


「告白への返事だ」


 ごくりと唾を飲み込んでしまう。


「お前の中で答えが出るまで、じっくり考えてくれ。俺は答えを急かしたりしない」

「そう、なの……?」

「ああ。だって、お前はずっと俺のそばにいてくれるんだろ?」


 それはいつかした会話だ。


『そばにいてくれるだけでいい。他は何も望まない』

『それだけで、いいの……?』


 ヨハネは「おやすみ」と涼やかな笑みを浮かべ、踵を返して歩き去って行った。


「……おやすみ」


 私はぽつりと言った。


(ど、どうしたらいいんだろ)



 俺は鼻歌を歌いたいくらい浮かれていた。


(さっきのユリアはヤバかったな……)


 告白した時の赤面する彼女。

 あんな顔を見せられて本能の手綱を絞れた自分を褒めてやりたかった。

 戸惑いながらも、俺のことを意識してくれている顔。

 眼差しは潤み、頬を桜色に染めているユリアを思い出すだけで、体が熱くなる。

 今の彼女の心は俺のことで一杯のはずだ。

 張り込みの最中、俺が肩を抱き寄せ、手を握ると、はっきりと脈拍が早くなってもいた。

 何も想っていない相手に、あんな反応はさすがに見せないだろう。


(ユリア、このまま俺を意識して、毎日のように俺のことを考えてくれ)


 俺に溺れて欲しい。

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