第23話
キッチンからはまきの爆ぜるパチッパキッという音が聞こえる。
テーブルにはお茶の支度が整い、カップからは湯気とともに甘い香りが漂う。
「さ、落ち着いたところで明日からの予定を聞いておきましょうか」
家族が席についたところでお母様が口火を切る。
キアラさんも秘密を守る契約を結んでいるので席には着かないけれど聞こえる距離。今後のことも考えると知っておいてもらった方がいいしね。
「とりあえずですね、明日の朝、わたしも叔母様と一緒に敷地内を一周見て回ってきます。敷地といっても境界線をわたしも確認しておいた方が後が楽なので。それでですね、次のダンジョンの最初の範囲としては、この建物と、納屋を含む敷地全体、それから森に入るところからのここまでの道ですね、そこまでを含んで設定しようと思っています」
「道も含めるの?」
「はい。境界線はあの立て看板のところというのが分かりやすかったのでそこで。それで道を整えます」
「あら、きれいになるのね?」
「まかせてください」
ぐっと親指を立てて宣言する。もうあんなお尻の痛い思いは嫌なのだ。
「建物と、敷地と、というのは家でやっているのと同じよね。そこから先は? どう考えているの?」
そう、その先だ。
本格的なダンジョンを作る前の、そのダンジョンを作る場所と、公開した後の環境を整備することを目的としたダンジョン。
「2号ダンジョンは最終的に、この森全体を範囲とした屋外型を考えています。四季、時間、天候が刻々と変わる、木と石と草と土と、豊かな生態系をそのまま生かした屋外型です」
「‥‥僕はダンジョンというものはこう洞窟というか、そういうものしか知らないのだけれど」
「そうよね。私も聞いたことがないわね。たぶん集めた資料にもなかったと思うわよ」
「そうですよね。恐らくないのだろうと思っています。というよりも、たとえあったとしても気がつかないだろうな、ということでもあるのですが。でも家の庭がダンジョンになったのですから森だっていけますよ」
ね。最初から想定はしていたものね、屋外型。
『それ自体は大丈夫でしょう。問題は森とそれ以外との境界線をどう明らかにするかでしょうね』
そうなのよね。大ざっぱになら地図だけでいいんだろうけれど、それだと判定がね、難しいような気がするんだよね。
『ここからここまで、という明示が必要になるでしょう。道沿いは良いのですが、それ以外ですね。木の生え始める森に切り替わる場所の確認、少なくともマスターがここからと判断できる要因を確定したい。それと山沿いでは地図に等高線を入れる必要があるかもしれません』
「お母様、この辺りの地図ってありましたか」
「ああ、あるわよ。用意してきたけれど、でもそこまで正確なものではないわよ。道を整備したときのものだけれど、道は良いけれどどうしてもそれ以外がね」
お母様が言うとキアラさんがささっと棚まで地図を取りに行ってくれる。その地図をお母様に渡した手はわたしとこれまでずっと遊んでくれていた手だ。
わたしは横からそっと両手を差し出してキアラさんの両手と合わせ、軽くにぎって上下にふりふり。これからもよろしくお願いしますのふりふりー。
これにはキアラさんもにっこにこだ。
「あなたまた‥‥、はい地図よ」
おっと続き続き。
「ええっとですね。道沿いは良いですよね。それで西側は、それほど広がっていない、と。東側は広いですね。北側は山までいっぱいに広がる。ざっくりとした予定で言うと、道沿い、この曲がる辺りの土地に建物が並ぶのかなと考えています。それでそこから少し森に入ったところに普通の、地下に潜っていくようなダンジョンを作りたいなと。森のダンジョン化というのはその土地とか、ダンジョンを作る森自体を管理しておきたいからなのですよね」
「ああー、なるほどね。ダンジョンを作ることが目的って言うよりは、その環境を整えることが目的なのね」
「そういうことですね。ダンジョンがあっても、その周辺の環境が厳しいと人ってあまり来なさそうじゃないですか。それで森を押さえて安全とか確保して。ついでに入り口になる土地も全部押さえて、出入りする人とか物とかを管理したいなと」
「森をダンジョンにすると、森の中の魔物だとか動物だとかを管理できるということなのね?」
「できます。家でも出入りするネズミやネコまで管理できたのですから森でもできるでしょう。そうすればわざわざ開発の手間や資金を掛けなくても簡単に安全にダンジョン探索を始められるようになりますから」
「驚いたな。僕はダンジョンを作るといっても森の中にただ作って、それを見つけたと報告するくらいのことしか考えていなかったよ」
それでも良かったのだけれど、でもそれだとよそ様の開発の手ががっつり入ってしまって時間もかかるし利権の確保も面倒になりそうだし、そういうことを全部放り投げていきなり自分の満足できる形で整えたかったのよね。
「それにですね、森の安全を確保するというのはわたしにも都合が良かったのです。わたしも森の中を一人でうろうろできるくらいにはなりたかったので」
「ん? どういうこと? 私もステラには武器防具の扱い方だとかひととおりの指導はするつもりだったけれど」
「はい。それはもちろんお願いしたいのですが、あのですね、わたしスキルだとかがないじゃないですか。あれ、将来的にもたぶんずっと何もないのです。そうすると、わたしは武器を振り回すことはできてもその先の戦技だとかには絶対につなががらないわけで、そうすると基礎の体力とか足腰の強さとか素早さとか器用さとか、そういった部分を鍛えておかないと駄目なのではないかなと考えていてですね」
そこなのよね、結局。スキルがないなら基礎の能力を上げておくしかないのよ。
叔母様が目を閉じてペチペチとおでこを手のひらでたたく。
「なるほどね、それで森の安全を確保しておきたいという話なのね」
「はい。森を駆け回るのって良さそうじゃないですか」
「確かにね。それで安全にはなるのね?」
「なります。ダンジョンの中であればわたしは無敵ですよ。お母様はちょっとだけご存じですけれど、わたしはわたしのダンジョンの中でさえあれば、わりと何でもできますし、わりと何でもどうにでもできるのです」
「‥‥、あれでちょっとだけなのね」
「ただですね、たぶん最初の内は叔母様に一緒に回っていただかないとそもそものダンジョン化もうまくできないのではと思っていてですね」
「あら良かった、私の活躍の場ね」
「はい、それはもう。とにかく森はここからここまでというのを見て回る必要がある場所は基本的に叔母様にも一緒に見ていただかないと、と」
「分かった。僕にも分かったよ。そうか境界線がはっきりしていないと駄目なんだね。それで地図だけでは無理なんだね」
「そういうことですねえ。ダンジョンでは無敵でもダンジョンの外ではわたしは何もできないので」
「いいね、方向性がはっきりしてきたよ。よし、僕も時間を見て君の訓練に付き合うよ。将来の領地の重要な案件だからね。僕も何かしら関わりたいと思っていたんだ」
おお、それはうれしい。やっぱり年齢が近いぶんわたしの訓練にもなりやすいだろうから。叔母様だと身長の問題でね、武器の取り扱いだとかの練習がね。
それにお兄様は跡継ぎだものね。最初の段階から積極的に関わってもらえるのは良いことだと思う。
「私は森の周りの測量を考えようかしら。あなたが見て回ると言ってもこの辺りからでしょう。東側はかなり遠くまで広がっているわよ。セラータ地区の測量という建前も立つことだし、依頼を出してみるわ」
お母様は測量か。そうね、いずれ開発もするのだしその準備段階としては良いかも。
と、そうだ。
「一つお聞きしたいのですが、この森は何という名で呼ばれているのでしょう。地図にも書いてありませんし、考えてみたらわたし、知らないのですよね。何か名前はありますか?」
「ここの森のこと? ノッテよ。ノッテの森、あるいはノッテ森林と呼ばれているわ。セラータ[宵]の先にある、ノッテ[夜]よ」
良いことを聞きました。
できるかな? できるよね?
『準備はできています。いつでもどうぞ』
では失礼して。
わたしはテーブルの中央に置かれた小さなデイジーの花鉢を見る。
そっと手を伸ばし、コアちゃんがわたしの中に用意してくれていたダンジョンコアを送り込む。
指先を通ってすぅっと花鉢に吸い込まれていく2号ちゃん。
【ダンジョン:ノッテの森が誕生しました】
わたしにだけ聞こえる声が告げる。
「今、この建物を対象に新しいダンジョンが誕生しました。ダンジョン、ノッテの森と言います。明日の朝敷地の確認を済ませたら、範囲を敷地と道とに拡大させます。何か必要なことがあったら、このデイジーの鉢が中心になりますので、この子に伝えてください」
お母様、お兄様、叔母様、それからキアラさんの視線がデイジーの花鉢に集まる。
これからよろしくね2号ちゃん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます