11─2:クラウス視点

 ──これは……。


 ゲートをくぐった先で眼下に広がった魔国は、瘴気などが充満している気配はなく、街は活気づき賑わいを見せていた。


 ──どういうことだ……魔国が劣悪な環境と言うのは王国の誰しもが周知していることのはず。


 街を見渡せば、酒場や冒険者ギルドの看板をはじめとした様々な所要施設が立ち並んでいる。

 信じられない気持ちを抱えたまま街の入り口まで足を運び、呆然と街並みを眺めていると不意に横から声をかけられた。


「そこの美形なにーちゃん!これ食べて行きな!」


 すぐ傍で出店を出していた店員に串に通された肉を差し出される。


「? 私のことか……?いや、私は─」

「遠慮するなって!今日はマオラ様の生誕祭の日だ、金はとらねーからよ!」


 ──マオラ様?


 半ば押し付けられる形で肉を受け取る。

 生まれてこのかた買い食いなどしたことがないと言うのに……。


 ──これをどうやって食べろと。


 手元の肉に視線を落としながら悶々としている私の傍を魔人達がすれ違って行く。


 ──皆、理性があるのか。襲ってくる気配はないようだ。


 最悪戦闘になることも視野に入れていたのだが、現状危険性が無いと分かって安堵の息を漏らす。


 ──さて……。


 立ち尽くしていても得る者は無いと、特に目的も無く街中を歩いてみることにした。




 ***




 街中を歩いていて気付いたことだが、魔人達は皆一様に明るい表情で自らの置かれている環境を悲観している様子はない。


 ──理解が追い付かない。聞いていた魔国の情報が誤りだとでも言うのか。


「俺、昨日マオラ様にお会いしたぜ!」

「あ!ずりー!お前何したんだよ」


 ──またその名か。


 すれ違う魔人達は決まって「マオラ様」という名前を口にする。

 どんな人物のことを指しているのか少なからず気になった私は、当人に会ったという魔人の話に耳を傾けることにした。


「巨大樹の丘の湖と地下道を繋いで地下水道を作ろうとしていらっしゃるだろ?」


 ──魔国は深刻な水不足だと聞いていたが地下水道?あり得ない話だ。


「俺、その地下道の掘削を仰せつかってるんだ。今日は非番だが、昨日マオラ様にいつもありがとう助かってるわってお手製のクッキー貰ったんだぜ!もったいなくて食べられねーよ!」

「気持ちは分かるがお前昨日からそれ持ち歩いてるのかよ。寄越せ、俺が食べてやる!」

「あー!そのラッピング、マオラ様のクッキーだー!」

「おじさん、一人だけずるーい!」


 掘削をしているという魔人の傍にわらわらと子供達が集まってくる。

 皆「私も欲しい」と件のクッキーを欲しがっているようだ。


 ──ただの菓子だろう?何が違うと言うのだ。


「あらあら、この子たちは……先生からも、孤児院のおやつにマオラ様のクッキー提供していただけるよう進言してあげるから、今日は我慢なさい」

「わあい!」


 ──孤児院……?


「孤児院を立ててくれたマオラ様には感謝しかないわね。路上でその日暮らしをしていた子供達が今じゃこんなに幸せそうなんだから」

「違いねえや」

「彼女ほど魔国の英雄って言葉が似合う人はいねえよ」

「年に一度のマオラ様の生誕祭、本当に喜ばしい日だわ」


「……」


 魔人達の話によると、マオラという人物が魔国をここまで変えたと言う。

 思い返してみれば、父上の話にも出ていたことがある。魔国の情勢はこの五年で激変したと。

 てっきり環境がさらに悪くなったものだと思っていたが……逆に発展しているとは夢にも思わなかった。


 ──五年で……。


 私は王国でまだ何も成し遂げていないと言うのに、彼の者はたった五年で魔国を再建させたと言うのか。


「……一目、魔国の改革者を見たい」


 マオラと言う人物は魔王城に住んでいるという話を聞き、その足で魔王城に向かうことにした。




 ***




「来たは良いが、どうやってお目通り願おうか……」


 勢いで魔王城にまで来たが、扉を叩くことを躊躇してしまい面会への一歩が踏み出せない。

 魔国と対立する王国から来た者など、門前払いなのではないだろうかと考えてしまうのだ。


「やはり正式な面会の手続きが必要か」


 肩を落とし来た道を戻ろうと踵を返した瞬間、扉の向こうから「マオラ様」という声が聞こえた。


 ──この扉の向こうから聞こえた……。

 ──勝手に入ってしまっては失礼にあたるのでは……いや、でも……。


 せっかくここまで足を運んだのだ。

 何か聞かれれば、意図せず魔国に迷い込んでしまったため王国への帰り方を教えて欲しいと願い出れば不自然ではないだろう。


 扉は施錠されていないようで、少し力を込めて押しただけで人一人分の隙間が開いた。

 盗み見するようで多少の罪悪感を抱えながら中の様子を窺うと、幾人かの人影を見つけた。




「!」




 その中に未だ見たこともない綺麗な白髪の少女の姿が目に留まり、その可憐な姿に一目で胸が高鳴った。


 ──なんて綺麗な白い髪の乙女だ……。


「マオラ様。今日は生誕祭なのですから、公務はこの辺にして街の様子を見に城下に降りられてはいかがですか?」

「これを書き上げてしまわないと落ち着かないから、書き終わってから見に行くわね。アンナ、あなたも一緒について来てくれる?」


「私ですか!?そのお役目はヴィル様がいらっしゃると思うのですが……」


「アンナ、あなたはよく働いてくれるわ。でも、あなたにも気分転換は必要よ。そうね、ヴィーには一国のご令嬢が買い食いなどはしたない!なんて言われて出店を巡れないのだけど、アンナ、あなたなら見逃してくれるでしょう?ね?年に一度の生誕祭を楽しみたい私のためにお願いよ」

「マオラ様……また上手いことをおっしゃるんですから。分かりました、私で良ければお供します」

「ありがとう、さすがアンナね。また一つ仕事を終えた時の楽しみが出来たわ」


 ──小鳥がさえずるように心地の良い声だ。

 ──それに、私と同じ歳くらいに見えるのに……信じられない、あの乙女がこの国を豊かにしたというのか。


「マオラ様!」


 その場にまた別の者が現れる。


「ロイス、お帰りなさい。戻っていたのね。休暇はどうだった?」

「ありがとうございました、家族そろって巨大樹の丘で久しぶりにのんびり出来ました。マオラ様が立案されたリゾート施設とやら、大変快適でしたよ。それで、これは妻からお礼の品なのですが……」

「そう、良かった。これを私に?ありがとう。あなたの奥様が作ったジャム、私大好きなの。ありがとうって伝えてくれる?……そうだわ、今朝焼いたビスケットがまだ残っているはずよ。皆を集めて一度お茶にしましょうか」

「それなら私がお茶の準備をいたしますね。街で買い食いをされるおつもりのようですから、間食はほどほどにしてくださいね」

「アンナは手厳しいわね。分かったわ、二枚……いや、三枚なら許してくれる?ロイスの奥様のジャム、本当に大好きなの。一枚じゃ足りないわ」


「マオラ様の胃袋を掴めたとあれば妻も喜びますよ。それにしても、マオラ様の人心掌握術には頭が上がりませんな。話せば話すほど、お仕えしているはずの私達の方が救われた気持ちになっているのですから」

「本当に。私もマオラ様のお傍は居心地が良くて、つい長居してしまうわ」


「そんなつもりじゃないのだけど……どれだけでも傍に居て頂戴。貴方達なら大歓迎よ」


 マオラと言う可憐な少女と使用人と思わしき魔人達は談笑に花を咲かせている。


 ──魔国を再建させた手腕だけでなく、側近にも慕われているのか。

 ──私はどうだろうか……高圧的な態度をとってはいないと思うが、彼女のように慕われていると言えるだろうか。


 視線を落とし数秒思案するも答えは出ず、「無意味な思考は止めだ」とばかりに頭を振るう。

 様子を窺っていることを気付かれる可能性を微塵も考えず、何の気なしに再度視線を上げると─


「?」

「!」


 意図せず彼女と目が合ってしまった。

 驚きのあまり心臓が跳ね上がり、膝から崩れ落ちそうになったところをすんでのところで踏み止まる。

 自身の顔に血が上っていくのを感じる。その一瞬の出来事で未だかつてないほど心臓が早鐘を打っている。


「っ」


 濁りを知らない無垢な赤い瞳にあてられて、私は恥ずかしさのあまりその場を走って逃げ去ってしまうのだった。




 ***




「逃げ帰ってしまった……。あの目に見つめられると、何故か落ち着いていられなかった」


 ゲートを通り王国に帰ってきた。


 魔国に向かった時と同様に王国の空には星が輝いている。あれからさほど時間が経っていないようだ。

 胸の辺りに手を添えれば、まだ自身の心臓が早鐘を打っていることが分かる。

 走ったことが原因であるのか、白髪の少女が原因であるのか、混乱している頭では判断がつかない。


 近くの木に背を預け、混乱した頭を落ち着けようと夜空を仰ぎ見た。


 己の年齢さえも言い訳にならない程に、彼の者はその若さで魔国の再建を成し遂げていた。


「あのような可憐な乙女にも国を変える力があるというなら、私は……私が成すべきことは……」


 言うまでもなく、魔国に向かう前と今では心境に大きな変化があった。

 私は希望を目にしたのだ、未来には可能性が広がっているのだと。




「マオラ……私の、希望」




 ──私の女神。




 この時の白髪の少女との出会いを機に、私は心を入れ替えて王位継承者としての責務を果たすようになったのだ。

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