9─2:出立の日

 ──玉座の間。




「魔王陛下におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます」


 玉座に腰を据える魔王の前で跪き頭を垂れる。


「形式じみた挨拶など良い。マオラ、分かっておるな。」

「王国との不可侵、和平条約を必ずや締結させて来るのだ」


「は!」


 玉座から腰を上げ、眼前まで距離を詰めた魔王の手の上に自身の両手を乗せ、誓いの言葉を述べる。


「不肖、マオラ。必ずや魔王陛下のご期待に応えてみせます」


 ヴィーも傍らで頭を垂れている中、言葉少なに、しかし滞りなく出立前の誓いの儀式を終えることが出来た。

 これでもう後戻りはできない。前世のゲームの世界で破滅の一途をたどった祖国を救うために、泣いても笑っても王国で成果をあげなければならないのである。


 ──王国ではこれ以上に無礼は許されないわ、気を引き締めなきゃ。


 僅かに思案する私を余所に、魔王はわざとらしく数回の咳払いをした。


「マオラ。これは父親として言いたいことなのだが、本当に行くのか?」


「?」


「だって、パパ心配で!我の娘すぐに人心誑かすから、王国で婿候補たくさん作ってきちゃったらどうしようって!」


 王の威厳はどこに行ってしまったのだろうか。

 そう、普段は表に出さないものの魔王はこの十年の間に親バカになっていたのだ。


「パパ、まだマオラには結婚は早いと思ってるから!お見合いの申し出も全部断ってるんだから、我の知らない所でお婿さん作ってこないで!」


 ──だから、そんな心配いらないんだけど……。


 こんな調子でたまに親バカを発症する魔王に、我こそはとヴィーが名乗りをあげる。


「魔王様!私が常に目を光らせますのでどうかご安心ください!不埒な野郎をお嬢様に近づけさせたり致しません!」

「ヴィル……」


 二人は数秒視線を交差させたかと思うと私の目の前で固い握手を交わした。

 何事かを結託した二人の様子を生暖かい目で見つめていると、不意に「お嬢様」と声をかけられる。


「お誕生日おめでとうございます」

「マオラ、おめでとう」


「! ありがとう、二人とも」


 この二人は毎年欠かさず私の誕生日を祝ってくれている。

 私の誕生日には魔国で大々的に生誕祭が開かれもするが、見知った顔の身内に祝われるというのは実家にいるような安心感があって、それとは別に良いものである。


 ──実家……前世の皆、元気にしてるかしら。

 ──お父さん、お母さん、妹よ。私、計四十年以上生きてるわ。


 実年齢に打ちひしがれそうになっていると、「これは私からです」とヴィーからラッピングされた小包を手渡される。


「新しい革手袋です。私がお嬢様につけてしまった手の甲の傷跡、これで償えるとは思っておりませんが……」

「大丈夫よ。ありがとう、大事に使うわね」


 その言葉に感極まったという様子で目を潤ませ、不意に肩に手を伸ばされる。「いつものが来るわ」と内心身構えたが、何を思ったのか触れるか触れないかというところでヴィーは力なくその手を下ろしてしまった。

 私が十六歳になってからというものの、どうにもヴィーの様子がおかしい。いつもなら言うが早いか抱きすくめられて頬ずりをされている頃だ。

 視線を泳がせているヴィーの様子に首をかしげていると、代わりに魔王が私の肩にそっと手を置き、前を見るように促された。


「我からは、これだ」


 魔王が前方に手をかざすと一瞬で魔法陣が錬成され、漆黒の毛並みを持つ馬が姿を現した。


「王国では騎士団の任に就くのであろう。遠征時そやつをこき使うと良い」


 ──またスケールが大きいこと……。


 魔王の誕生日プレゼントは毎年スケールが大きい。

 これまでにも私が欲しいと思った所要施設の建造物を毎年魔国に錬成してくれている。一から建設するのが馬鹿らしいと思う程に、完璧な建造物が一瞬で錬成陣から築かれてしまうのだから職人は涙目である。

 そういうわけで、もはや私の誕生日は所要施設のオープン記念祭も兼ねていると魔国の住民に周知されている。魔王の力に甘えている私も私なのだが、世界的に見て形は違えどこれも誕生日プレゼントではあるのだし、そのおかげで魔国は急激な発展を遂げたと言えるのだから大目に見て欲しい。


 ──今年は馬か……生き物まで錬成出来るなんて、いよいよ魔王に不可能なことが無いわね。


 錬成された馬はこれから共に過ごすことを分かっているのか、「ブルル」と鼻を鳴らし鼻先を自身の額にこすりつけてくる。


「良い子ね。これからよろしくね」


 毛並みに沿ってその体を撫でてやると、黒毛の馬はどこか嬉しそうに尻尾を揺らした。


 馬を召喚する際に使うという魔導具の指輪を「身に着けておきなさい」と指に嵌められる。魔王曰く、私が指輪に口づけすることでこの馬が召喚、収容されるようになっているらしい。


 私が馬の毛並みを撫で続けるその様子が内心羨ましいと思っているのか、ハンカチを噛みしめながら見守っていたヴィーが文字通り「ハッ」と我に返り、気を取り直すかのように「ゴホン」と咳払いをした。


「魔王様、本日をもって私にかけられている呪術を解いていただきたく」

「そうであったな」

「?」


 ヴィーに何か魔術がかけられているなんて初耳である。

「何のこと?」と尋ねると、ヴィーは少し気恥ずかしげに視線を逸らした。


「こやつはお前が独り立ちする時まで己の成長を止めたいと申しておった。我にかかっている不老不死の一端を授けておったのだ」

「あなた、全く老けないと思っていたらそんな交渉していたのね」

「……お嬢様がご立派になられた時に三十の代に入っていたら(私が)悲しいじゃないですか」



 再度膝をついて跪くヴィーの頭上に魔王の手が翳される。

 ヴィーの体から黒煙が発生し、それらは魔王の手の中に吸われていった。


「魔王様。私めの願いを聞き入れてくださり、ありがとうございました」

「同じ時を過ごせないことをお許しください」


「良い。我の人生に娘がいるというだけで十分だ」

「それに、何だ……心配せずとも、最悪アンデットにでもしてしまえば無限の時を共に過ごせるではないか」


 本気なのだろうか……いや、本気なのだろう。魔王が冗談を言っている姿を見たことがない。

 よくよく考えれば闇魔法の使い手なのである。魔王の手にかかれば生きとし生ける者をアンデットにすることくらい朝飯前なのだろう。


 ──そう言えば、ゲームの世界でも魔王はアンデットの兵を従えていたわ。

 ──そうなる前に魔人達で警備隊を作っておいて良かった……リアルゾンビを拝んだら、いくら私でも失神してしまいそう。




 黒煙を吸い尽くした魔王はヴィーの頭上に翳していた手を下ろし、私の方を振り返ると「マオラ、良いか」と言葉を続ける。


「トレントが居るとはいえ、我の魔力量は民に毒だ。三日に一度……いや、一週間に一度は帰ってくるのだぞ」

「その間、巨大樹の丘の湖の水を満たす役目は我が引き受けた」


「ありがとう、パパ。分かっているわ」

「王国で必ずパパの悩みを解決する方法を見つけてくるわね」




「お嬢様、そろそろ……」


 王国と魔国を繋ぐゲート前に王国からの迎えが到着したようだ。

 ヴィーには感知の能力がある。主に私の身に迫っている悪意を察知できる能力らしいが、今回のように必要に応じて人の気配も感知してもらっている。


 私を見つめるヴィーと視線を交わし、片手を差し出す。

 その手の意味を察したのか、ヴィーもその手をそっと掴んでくれた。


「ヴィー、世話をかけるけど王国でもよろしくね?」

「もちろんでございます。私はお嬢様のものです、いつまでもご一緒いたします」




「それじゃあ……行ってきます!」




 こうして十七歳を迎えた私は、祖国である魔国を離れ、攻略対象が蔓延る王国に出立するのであった。

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