7─2:魔国編

「……今日も駄目だった」


 今朝も一人ベッドの上で項垂れる。


 ──寝坊が、出来ない!


 根付いてしまっている己の社畜根性が恨めしい。前世では、出社しなければいけないという使命感でアラームが鳴る前に目覚めていたのだが、完全にその弊害が起こっている。

 転生した幼女の体であれば積み上げた使命感がリセットされ、寝過ごすことが出来るかもしれないと胸躍らせた魔国での初日が懐かしい。


「目が覚めてしまったものはしょうがないわよね……支度しますか」


 ゲームの中の聖女や貴族は身支度をメイドにさせていたが、私は自分のことは自分でしなければ落ち着かない。水浴びも着替えも誰の手を借りることなく済ますようにしている。


 顔を洗い櫛で髪をといた後、黒一色の衣装の中から今日の気分でワンピースを一枚手に取る。


「このワンピース、肩がガッツリ出ていることを除けば案外普通の洋服よね」


 衣服や城の食料は、王国から来た行商人と城の宝物庫の財宝をいくらか売り買いして備蓄している。

 私がそうするように指示したのだが、私の新しい洋服はヴィーがそのお金で見繕ってきたものだ。


 ──とんでもない洋服を用意されたらどうしようかと思っていたけど……。


 漆黒のワンピースに自身の白髪が映えている。審美眼は悪くないようだ。

 意図せず魔力を吸収してしまわないようその手には革製の手袋を身に着け、鏡の前でくるりと回ってみせる。


「よし」


 着替えを済ませ、廊下に出たところで幾人かの使用人と挨拶を交わす。

 城内を掃除する人手として元々雇用していたが、彼女らたっての希望で今では城に勤めてもらっている。

 皆よく働いてくれているが、私としてはお給料を渡せないことが心苦しい。


「一日三食付きで雨風凌げる屋根の下に寝泊まりできる仕事、と言うだけでも私らにはありがたいのです」


 そう言ってくれてはいるが、やはりお給料は働く上でのモチベーションになり得る。

 瘴気の問題が解消されたら、正式な通貨を流通させる政策に取り掛かろうと思う。


 ──私って本当に七歳に見えてるのかしら……やってることがもはや改革者か何かよね。


 自分の年齢についても「鑑定」スキルを持った行商人から「七歳である」とお墨付きを頂いている。

 年齢の割にもっと幼く見えるのだが、ストリートチルドレン時代に栄養失調か何かで成長が止まっていたのだろうか。

 なんにせよ、自称幼女、この見た目で実は……なんてこともなく、ホッとしたのは言うまでもない。


 そんなことを考えながら一階へと下りる階段に足を踏み出すと、踊り場にいたヴィーと目が合った。


「あーーーーーー!駄目じゃないですか、お嬢様!私が起こしに行くまで寝ていてもらわなくては!」


 目にも留まらぬ速さで距離を詰められ、「何で早起きしてるんですか」と肩を揺さぶられる。

 ヴィーが起こしに来るまで寝ていなければならない理由が分からない。早起きはどの世界でも良いことのはずなのだが。


「初日以外お嬢様の寝顔を見れた試しがない……私の自慰のおかずが……」


 ぶつぶつと不穏なことを呟くヴィーを余所に、巨大樹の丘の首尾を尋ねる。


「ヴィー、巨大樹の丘の湖の様子はどう?」

「はい、お嬢様に雇用された魔人達の手により昨夜のうちに綺麗に見違えております」

「そう、皆頑張ってくれたのね。今日の賄いは豪華なものにしてもらわなきゃ」


 枯れ果て、雑草が生い茂っていた湖は魔国の住民達の手で整備された。

 新鮮な水で湖を満たす方法も会得した。


 準備は万端である。


「それにしてもお嬢様は素晴らしい方ですね!魔人を統率し、トレントの特性まで理解しているなんて、齢七歳にして頭脳明晰でいらっしゃる!」


 起こしに行けなかったことはもう良いのだろうか、ケロッとした様子でそんなことを言うヴィーに若干の後ろめたさを感じる。

 前世の知識や積み上げた三十年が無ければ、私はこうも意欲的に動けていなかったはずなのである。

 現にゲームの中のマオラは魔王の配下という立場で、命令に従順な一方でそれ以外のことに全く関心が無かったのだから。


「そんなんじゃないわ……だけよ」


 言葉の意味を分かっているのか分かっていないのか「またまたご謙遜を」と言うヴィーを連れ、トレントの下に向かうことにした。




 ***




 巨大樹の丘の湖を整備してくれた魔人達が見守る中、トレントに話しかける。


「おじい様、調子はどう?」

『ああ、お嬢さん。こんなに人に囲まれて過ごしたのは初めてだよ、みなが話し相手になってくれて、とても充実した時間を過ごせた』

「良かった。今日、約束を果たすわね」


 トレントに背を向け、湖の前で空中に手をかざす。

 それを合図にヴィーが魔人達を湖から遠ざける。


「ウォーターボウル!!」


 空中に巨大な水の塊が現出した矢先それは落下し、豪快な音を立てて湖の底に叩きつけられる。

 水しぶきを身に受けながら魔人達が固唾をのみ見守る中、次第に視界が晴れ、水で満たされた湖が眼下に広がった。


「やった……!やったぞ!」


 苦労が報われたと言わんばかりに歓声をあげる魔人達。


 いつも通り私を抱き上げたヴィーもどこか誇らしげにその様子を眺めている。

 この日のために魔法の特訓に付き合ってくれていたのだ、ヴィーにとっても苦労が報われた瞬間なのだろう。


『おお……』


 湖の底でトレントの根が踊り、のどを潤すかのように湖の水をごくごくと体内に取り込んでいく。


『美味しい……こんなに美味しい水、生まれてこのかた味わったことが無い』

『お嬢さん、約束を果たしてくれてありがとう。わしに今出来る範囲で、お嬢さんの願いを叶えてみせよう』


 不意に風も吹いていないのに巨大樹の葉が大きく揺れ動いた。

 それを合図に、巨大樹の丘を覆いつくしていた瘴気がみるみるうちにトレントに吸われていく。


 ヴィーに視線だけで「下ろしても大丈夫ですか?」と問われ「お願い」と答える。

 何をしようとしているのか意味を理解しているようで、トレントの傍に私をそっと下ろしてくれる。


「私があなたを狂人化させたりしないわ」


 革手袋を外し、トレントの幹に両手で触れる。

 瘴気は基は魔王の魔力なのだ、温かなものが体中を巡る感覚に既視感を抱いた。




 トレントが瘴気を吸い込む間、私は取り込まれた魔力が暴走しないよう努めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る