6─2:変態従者
「それで、
先ほどまでの紳士な姿はどこに行ってしまったのだろうか。
頬を染め、高揚感を隠すこともなくそう言ってのける魔人。
これは牢屋から出す際に気付いたことだが、魔人の腰の下には細い尻尾がついており、今もご機嫌な様子で左右に揺れている。
尻尾がついていることは正直誤算だったが、人の見た目をしていて意思の疎通が出来るというだけで助っ人要素は十分である。
「必要ないわ。そもそも奴隷制度は撤廃するつもりなの」
「はあん!私はこの国唯一のお嬢様の奴隷となるのですね!」
「だから契約はしな」
「私が裏切る不安要素も無くなれば、魔王様もさぞ安心なされることでしょう!」
全く話を聞かず、陶酔しきった様子で一人盛り上がる魔人の様子に思わず後ずさる。
奴隷にされることが嬉しくて仕方が無いといった感じだ。マゾヒストの素質でもあるのだろうか。
「お嬢様に所有されているという証が我が身に施されるなど、ご褒美でしかない!」
「パパ……人選を間違ったわ。もう一度選びなおしに行かない?」
「酷い!でも、そんな意地悪なことを言うお嬢様も私はたまらなく愛おしいのです!」
興奮冷めやらぬといった様子で詰め寄られ、じりじりと後退する私。
その様子をどう思っているのか、傍観していた魔王がなんてことないことのように口をはさむ。
「奴隷制度を撤廃するというお前の意見に反対する理由もないが、我はお前の保護者だ。」
「お前の身の安全が守れるなら、そやつだけでも契約するに越したことはないと思うが」
「ですよね!」
完全に二対一になってしまい、いよいよ頭を抱える。
奴隷制度を撤廃しようとする張本人が奴隷を従える話など聞いたことが無い。
長年の社会人経験でも行き当たったことのない問題に、これ以上ないくらい頭を悩ませる。
──駄目ね、一般的な思考では堂々巡りだわ。
──従属の契約をするメリットを考えなきゃ……魔王は私の身を案じているのよね?
従属の契約をすれば親の心労を減らせる。申し分ないメリットである。
しかし、死ぬまで傍に仕えられるというのは雇用主として見過ごせるものではない。
──ブラック企業じゃないんだから……。
自身の老後のことは分からないが、魔人も見た目は立派な成人男性である。いずれは家庭を持つことだってあるはずだ。
私の下を離れたいと思うようになるまでの期間限定の契約であれば、少なからず納得は出来るかもしれない。
「パパ、従属の契約は途中で解除することも出来るの?」
「出来る。お前が必要ないと判断するとき、契約を解除すれば良い」
──都合が良い契約なのね。
「それなら……あなたが私の下を離れたいと思う日までの間、これだけは譲れないから。期間限定で契約するなら私も少しは妥協するわ」
「! ありがとうございます!そんな日は未来永劫、来ないでしょうが!では、早速……」
言うが早いか唐突に伸びてきた手に火傷を負っていない方の手を取られ、指の腹を噛みちぎられる。
「いっ!?」
言葉を交わせることで、自分に害はないと完全に油断していた。
いくら理性が戻ったとは言え、相手は魔族なのである。人間は加害意識を持つことを悪として、容易に人を傷つけることがないよう努められる生き物だが、人種が違えば考え方も違うのだ。
即座に引っ込めようとする私の手を、そのやせ細った体からは想像がつかないほどの強い力で阻止される。
「少し我慢してくださいね……、これが私の最後の無礼ですから」
そう言うや否や、指の腹の血で自身の腹に模様を描き出す魔人。
何か特別な力でも使っているのだろうか、少し嚙み切られただけの指の腹からは絶えず血が溢れ続けている。
──これ……。
──何かの作品で妹に見せてもらったことがある。「魔法陣」というものに似ているわ。
円を描き終えた頃、唐突に掴まれていた手が解放される。
慌てて止血しようとするも、血はもう止まっているようだった。
「少し離れていてくださいね」という魔人の言葉に、魔王に引き寄せられる形で数歩距離を取る。
「我、汝に従うことをここに盟約する。盟約の証、ここに具現せよ!」
魔人が短く何事かを詠唱すると、描かれた模様が赤黒い光を放ち始める。
血が沸騰するかのようにボコボコと沸き立ったかと思うと、それは触手となり魔人の首に襲い掛かった。
「ちょっと……!」
異様な光景を前に、魔人の首に絡まった触手を引きちぎろうと手を伸ばす。
私だって、首を絞められている相手を前に冷静でいられるほど人の心が無いわけではないのだ。
ギリギリという不気味な音を立てながら首を絞め上げられる魔人は私の伸ばした手を取り、何を思ったのか破顔一笑した。
「心配してくださっているのですか……?嬉しいですね、私は……大丈夫ですよ」
***
どれくらいそうしていただろうか。一瞬だったのかもしれないし、十分は経過したのかもしれない。
首に絡みついた血の触手は次第に魔人の体と馴染んでいき、代わりに奇怪な模様が首に一周する形で落ち着いた。
呼吸を整え、さも何でもないことのように「ねっ大丈夫でしたでしょ!」とおどける様子に、ひとまずの安堵の息をもらす。
「ビックリさせないで……」
「すみません。いやあ、でも嬉しかったです。私なんぞの身を案じてくださるなんて、お嬢様は奇特な方だ」
絞められていた首をさすりながら、そんなことをさせた雇い主を尚も褒め称える魔人。彼の感性はどうなっているのだろうか。
「これでお前の意思に反した行動をこやつが取ろうとした際、契約違反として身に刻まれた首輪が首を締め上げるであろう」
「これが従属の契約だ」
黙ってことの経緯を見守っていた魔王が後にも先にも初耳な情報を後出ししてきた。
先に言ってほしい。命の危険がある契約だったのなら初めから選択肢から除外していた。
──これも心労をかけないための親孝行だと思うべきか。
──魔人も喜んでるみたいだし……これで間違いないわ、こいつはマゾね。
私の気苦労を知ってか知らずか、満足げな魔王と上機嫌な魔人を余所にそっとため息をこぼすのであった。
***
従属の契約も成され、当初の目的通り手となり足となる助っ人を得た私。
これからどうしようかと思案していると、「少し良いですか」と声を掛けられる。
「お嬢様の体の傷を手当しなければなりませんし、私も久しぶりの人の身で思うように体が動きません。頑張るのは明日からにして今日は休みませんか?」
そう提案する魔人の言葉に、初めて意見が一致する。
転生した直後から休みなく動いていたが、そもそもこの体は傷だらけなのである。
休めるのであればそろそろ休みたいというのが本音であった。
「そうね……いろいろなことが起きて私も疲れたわ。本当に体は大丈夫なの?」
「ひいん!我が身のように心配してくださるお嬢様……っしかしながら、私は今晩の夜伽の相手をもお勤めできますよ!」
「大丈夫そうね」
この数刻でもはや見慣れてしまった魔人の暴走を一蹴りし、地下牢を先導する。
短い脚でちょこちょこと歩く私など、魔王と魔人の脚の長さを以てすればすぐに追い越してしまいそうなものだが、二人は執拗に私の後を付いてくる。
──魔王の父親と、魔人で変態の従者……。
──私の周り、いよいよおかしなパーティーになってきたわ。
裸足二人に革靴一人。三人分の足音が地下牢に響く中、不意に魔王が足を止める気配がした。
「マオラ」
今世の名を呼ばれ、一瞬ぎくりとするも自然体を装って「なあに」と振り返ってみせる。
この世界での私の名は「マオラ」だ。三十年を共にした「根岸真緒」は前世で死んだのだ。
──早くこの名前に慣れなきゃいけないわね。
「マオ……マオラ……!」
人の気などお構いなしに、初めて聞いた主人の名前の響きに魔人は衝撃を受けている。
そんな混沌と化した状況を気にも留めず、魔王は言葉を続ける。
「父親としてこやつと話すべきことがある故、先に地上に戻るが良い」
「? 分かったわ」
その言葉の真意に首をかしげるも、とくに都合が悪いわけでもないため私は先に城内に戻ることにした。
***
娘が地下牢から出るのを見届けてから、ゆっくりと魔人に向き直る。
かつては我を害しに来た者だ。娘を預けるに値する覚悟があるか見極めねばならない。
「従属の契約は、多くの者が苦痛で意識を手放すと聞いていたが……大した度胸だ」
目の前の魔人を見据え、意識を繋ぎとめたことは称賛に値すると短く述べる。
その言葉に魔人は呆けたように数秒立ち尽くすと、おもむろに首を横に振るった。
「魔王様は何か勘違いをしていらっしゃるようです」
「ほう?では、何だというのだ」
「意識を手放すなんて惜しいこと、私には出来なかった」
「私の身を案じる可憐なお姿こそ、この目に焼き付けませんと……彼女の一挙手一投足、全て私のものにしたいのです」
飄々とした姿を見せてはいたが、苦痛は感じていたのだろう。
額から流れる汗を手で拭いつつ、不敵な笑みを湛えた彼の者はそう胸の内を明かした。
ふざけた態度をとる魔人だと思っていたが、そのおぞましい独占欲は悪くない。
「食えない奴め……」
「それだけの執着心があるのであれば、娘から目を離すこともあるまい。よかろう、娘のことはお前に一任する」
「仰せのままに」
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