5─1:魔王

 短い手足で数刻をかけて高台まで上り詰めた先で、黒いモヤに覆われたが目に留まる。


 ──黒いモヤの中に目だけ覗いてる……あれが魔王?


 街から城までの道は一本道だ。

 城下を眺めるお化けの目に見える範囲に入っているにも関わらず、お化けは微動だにせず動く様子はない。その様子は、心ここにあらずといった感じで抜け殻という表現が最も適している程である。


 反応がないことを良いことに、ひとしきり見つめてみた上で先ほどの怪物たちの言葉を思い出す。


 ──高台にはこのお化けしかいないみたいだし、魔王様って声をかけてみて反応があったら本人よね?


 さらに一歩近づき、ゲームの中で貴族の令嬢がしていた挨拶を見様見真似で実践することにした。


「ごきげんよう、魔王様」


 その一言で、黒いモヤの中に覗く瞳に一瞥を投げられる。


 ──お。魔王で間違いないみたい。

 ──就職するためには腰を据えて面接しなきゃ…。




「私もお隣に座っ…」

「──────────!!!!」




 突如絶叫した魔王の声(?)の波動で辺り一帯に突風が吹き、大地が震える。


「??」


 突風に吹かれぼさぼさになった髪をそのままに、何が起きたのか分からずその場に立ち尽くす私。


 ──隣に座られるのが叫びたくなるほど嫌だったの……?


 酷い嫌われようだと若干のショックを受けていると、所在なさげに目を泳がせた後わざとらしく数回の咳払いをされる。


「すまぬ……人の子と久方ぶりに言葉を交わす故、丁度いい声量が分からなかった」

「我が恐ろしくはないのか」


 頭の芯に響くような声でそう問われ、思わず息を吞む。少し前まで「王」だなんて浮世離れした存在だと思っていたのだが、たった今、目の前にいるのは間違いなく「魔王」なのだと否が応でも思い知らされたのだ。


 ──でも……。


 自身のことをと言う魔王の一言に、彼の長年の孤独が凝縮されているようでどうにも気の毒に感じてしまう。怪物たちの話にもあったが、魔力というものがあまりにも抜きん出ており共存が難しい立場にいるのだろう。


 どんな気持ちで城下を眺めていたのか魔王の胸中を推察し、私も感じたままを口にすることにした。


「怖いだなんて思いません」

「ですが、私には城下を眺める魔王様のお姿は元気がないように見えております」


「元気か……元気など、この数百年あるはずもない。何のためにこの世に存在しているのか分からぬのだから」

「存在を疎まれこそすれ、我を殺しに来る者共は一様に剣先を我にあてることすら叶わず散ってゆく。治癒能力のせいで自害することも出来ぬとは、この生はなんと滑稽なことか」


 最初の印象からは想像もできないほど饒舌に話す姿に、本当は誰かと話したかったのではないかとさえ思ってしまう。

 一時話せなかっただけでも人によっては「寂しい」と感じてしまうのだから、長年にわたる魔王の孤独は計り知れないものである。


 ──ゲームの中では悪者としてしか描写されていなかったけど、魔王も人並み……いや、規模が違いすぎるから魔王並みに悩んでいるのね。


 慰めようかとそっと魔王の手(?)に自身の手を重ねたその刹那、触れた指先から熱い血流が全身に流れる感覚に見舞われる。




「!?」




 魔王も何かを感じ取ったのか、驚愕といった様子で目を見開いている。


「不思議な人の子よ……我に何をした。体の気だるさが和らいだかのようだ」


 どういう訳か、最初こそ「お化け」に見えていた魔王の輪郭が幾分かハッキリと見えるようになっているではないか。何事かと魔王の周囲に視線を巡らせると、覆いつくしていた黒いモヤが薄くなっていることに気づく。


 ──これは……。


「魔王様、失礼ながら……体から出ている黒いモヤは何ですか?」

「お前には見えるのか。人の身では抱えきれず、漏れ出ている我の魔力だ。今ではこの国を覆いつくし、瘴気となって民を苦しめている」


 この一瞬で黒いモヤが薄くなり、魔力漏れが少なくなっているということは、私が魔王の魔力に干渉したということになる。

 触れた指先は熱を持ち、全身を温かなものが巡る感覚を味わいながら、ふと転生時に女神が話していたことを思い出す。私に与えたと言うは他人の魔力を吸い取る(貰い受ける)力なのではないだろうか……。


 ──それが確かなら、この温かい感覚は魔力によるものなのね。


「魔力って温かいのですね……」


 魔力を吸われたことを感じ取ったのか、魔王も僅かながら今の現象に興味を示した様子だ。


「人の子よ。お前は我の魔力をその身で受け取ったのか。人の身には耐えがたい苦痛でしかない我の魔力を」

「私には魔王様の魔力は心地よく、とても温かいもののように感じます。いえ、魔王様の魔力だからこれほどに温かいのでしょうね」


 一瞬呆気にとられた顔をするも、すぐに「そうか」と返し大きな手で頭を撫で回される。


「人の子にはこうすると良いと昔読んだ本に書いてあった」


「……」


 ──なんだ、実際に話してみたら悪い魔王じゃないのね。


 三十歳という年齢で成人した男性に頭を撫でられているという非現実感を味わいつつ、地に足をつけて今後の方針を考えてみる。


 ──うーん……案外優しい魔王の下に就職するのは良いとして、この赤黒い濃霧まみれの国で生活するのは体に悪そうよね。がんのリスクがありそう……この世界にその病気があるのか知らないけど。


 腰痛も頭痛もない、若くてぴちぴちな幼女に生き返ったのだから健康的に長生きはしたいものである。


 ──そうよね、よくよく考えたらこの国とも長い付き合いになるんだから、私が生きやすいように環境づくりから始めてしまえば良いのよね?


 幾らか自問自答した上で自らに気合を入れ、改めて魔王に向き直る。


「魔王様、提案があるのですが。発言をお許しいただけますか?」


 対権力者用の言葉遣いは前世で攻略したゲームから学んである、抜かりはない。


「構わん。申してみよ」




「私は……」

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