3:ターニングポイント
──……。
──…………?
──死んで、ない……?
「やあ」
真っ暗な空間にぽっかりと浮かぶ白い光が、意思を持つように目の前を飛び回る。
「僕は君の世界で言う、女神。心残りのある人生を送った君にチャンスをあげる」
──女神……?
突拍子もない話に疑問を抱くも、自身の身に起きた事故を改めて思い出す。
──やっぱり、私は死んでしまったの?そんな……、有給休暇もまだ消費していないのに!
「心残りは有給休暇だけなの?いくらなんでも、他にもいろいろとあるだろ?」
「だから、異世界でやり残したことを謳歌すると良いよ」
──温泉旅行に一人で行く計画をしていたの……休日だけが社畜の楽しみなのよ。異世界……?異世界で有給休暇を消費できるの?
「社畜だった君は一度死んでいるから、根底にある社畜魂はいったん忘れてほしいな?」
──そうだった……私、死んでしまったんだった……。
有給休暇は諦めようと、幾分か落ち着いてきた頭で女神(?)の話を嚙み砕いて考えてみる。
この話が本当なら、私は異世界とやらで生き返ることになる。そう、安定した仕事をまた一から探さなければならないのだ。就職活動の苦しさが身に染みて分かっている手前、生き返るのは正直気が重い。
死んでしまっても尚、仕事への不安に襲われるなんて自分の社畜根性に笑うしかない。
「転生させるにあたって何か欲しいものはあるかい?」
限りなく善意で私を生き返らせようとしてくれているのだろう。
女神(?)は私の就職活動への不安を余所に望みを聞いてくる。
──そうね……。
せっかく「くれる」と言うのだから貰っておくべきだろう。
しかし、欲しいものを給料の範囲内で全て買い揃えてきた自分としては、急に「何が欲しい?」と聞かれてもすぐに答えは出ないものである。欲しいものが湧いて出てくる彼じゃあるまいし。
──あ。
一つだけ自分の力ではどうしようもないことを思いつく。
──何でも良いのなら……もう一度やり直せるのなら、今度は恋をしない体が欲しいわ。
「女神に恋心を没収させるの?面白い子。良いよ、叶えてあげる。ただ、恋をしない体の構築は愛を司る女神の僕には無理があるから、来るべき日まで君の恋心を預かっておく、ということで勘弁してほしいな」
──破棄してもらって全然良いんだけど……分かったわ、それでろくでもない男に付き合わなくて済むのなら。
預かるという表現に少しばかり違和感を感じるものの、恋をしない体で人生を送れるのであればそれは願っていもいないことだ。そもそも恋をしなければ、私が相手の世話を焼くことををお母さんみたいなどとなぞらえられることもなく、実質傷つくリスクはないのである。
「お母さん扱いされたことを随分引きずっているんだね。君、三十歳まで生きたんだろ?もっと若い年齢から母親になる人もいると思うんだけど」
──結婚してお母さんになることと、恋人にお母さんみたいって言われるのは雲泥の差よ……。
「ふ……っ」
「ああごめんね?僕には君の乙女心が分からないみたいだ」
——今鼻で笑ったこと死ぬまで覚えとくから。
「やだなあ、君はもう死んでるよ?」
鼻で笑ったことを悪びれる様子もなく、死んだ事実を述べられる。
非現実的な空間で和やかに会話が出来ているが、実際私は車に轢かれて一度死んでいるのだ。
飛び回る白い光が「女神」だと言う話をそろそろ信じるべきかもしれない。
「そうだな……僕が個人的に君を気に入ったこともあるけど、聖女の境遇に同情していた一面があるようだから、男ども顔負けの聖女を守れる力も特別に付けてあげるね」
──私をゴリラにでもするつもり?
「あはは!君が転生する先にゴリラは存在しないよ?うーん……転生先はあの子にしよう。人生を謳歌するのに邪魔な感情を払拭出来る機会も生まれるし、あとは君の行動次第だよ」
上機嫌に浮遊していた白い光が、たちどころに暗闇に弾けて離散する。
「も…、お…別れ…みた…だ」
──あ、ちょっと……!もう消えちゃうの?
思いのほか私は心細かったのだろうか。女神が消えようとしていることを名残惜しく感じてしまう。
衝撃的な最期を迎えたというのに、死の恐怖を感じさせない女神の対話術にすっかり感化されていたようだ。
「大丈…夫、僕は……だって…を見守って…るよ」
電波の悪い通話のように、途切れ途切れになる言葉を聞き漏らすまいと必死に耳(?)をこらす。
「…の今世に…いを、君の…世に祝…を。来…るべき…にま…会おう」
女神を名乗る光のその言葉を最後に、暗闇の中で私の意識もぷつりと途切れた。
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