2─2:序章
「ただいま」
「おかえりー」
居間でテレビを見ながら片手間に返事をする彼の姿を目に入れないようにしながら、私もお決まりの決まり文句を言う。
「ご飯、もう食べた?食べてないなら簡単に作っちゃうけど……」
「あー食べてきたわ」
「そう……」
熟年夫婦かと思うぐらい素っ気ない会話を終わらせ、手早く洗濯物を取り込み、一人分の夕食を作ろうとしたところで「あ」と声を漏らす彼。
「なあ、真緒、明日仕事って言ってたよな?」
「……?うん、一人産休に入るから代理で出勤するの。明日何かあるの?」
「いやー久しぶりに二人で出かけようって誘おうと思ってたんだけど、そっかーそう言えば仕事だったよな。また誘うわ」
視線はテレビを向いたままそう言ってのけた後「風呂、先入る」と居間を出ていく彼の後ろ姿を、化け物でも見るかのように凍り付いた目で見送る私。
なんせ、私が車を出す食料品の買い出し以外、デートというものはこの三年間無縁だったのだ。
「何か良いことあったのかしら。それともただの気まぐれ?」
一緒に生活するうえで軽んじられているような気がしていただけに、気にかけてくれていたんだと、その後の一人の食卓はいつもより少し美味しく感じるのであった。
***
「行ってきま……え?いつもは寝てる時間でしょ?どうしたの?」
翌朝、職場に向かおうとすると、いつもはまだ寝ている彼がどういうわけか起きて来ていた。
「たまには見送りしようかと思って。いつも働いてくれる真緒には感謝してる」
いつものふてぶてしい姿は鳴りを潜め、しおらしい態度をとる彼の姿に一瞬言葉を失い唖然としてしまう。
「やだ……何?急にそんなこと言うなんて怖いからやめて?」
「いつも言えないだけで本心だよ。それより早く行かなくて良いのか?もう時間だろ?」
玄関に備え付けの時計を顎でしゃくり時間を知らせる仕草に私も我を取り戻し、いつもは一人空しく響くだけの単語を口にする。
「あ……うん、行ってきます」
「行ってらっしゃい、愛してるよ!」
──昨日から彼はどうしてしまったのだろうか?
出勤する間も、豹変した彼の態度について思考する。
軽んじられていると感じていたのは実は気のせいで、私は今も、今でも愛されているのだろうか。
ムズムズとした感情が湧き上がり、ちょっと良い気分になっていることに気づく。
「ふふっ私ってばチョロい女。今夜、久しぶりに一緒に外食しないか休憩時間に聞いてみようかしら」
その日の通勤時間は久しぶりに心躍るものとなるのであった。
***
「ごめんなさいねえ、せっかく出てきてもらったんだけど、産休に入るの明日からなのよお。伝達ミスしちゃってたみたいで、本当に悪いことしちゃったわあ」
「い、いえ。人手が足りているなら大丈夫です。無理なさらないようお体ご自愛下さい」
職場に着いて早々、人手は足りているという理由で帰宅を促されることになってしまった。
「困ったな。急に一日フリーになっちゃった」
せっかくここまで来たのだし、と手持無沙汰に休憩室を訪れると昨日話をしていた山本君に声をかけられる。
「根岸さん、おはようございます!僕、カバンごと財布持ってきてますよ!何か飲まれますか?」
どうやら昨日の約束を早速実行しようとしてくれている様子だ。
「おはよう、山本君。うーん……ごめんね、今日は出勤日勘違いして出社したみたいで、今から帰るところなの。また今度、お願いしても良い?」
申し訳なさそうにそう伝えると、はつらつと「承知しました!」と答えてくれる。その姿に昨日の面影は見当たらない。
──良かった、克服できたみたいね。
逞しくなった後輩の姿に微笑ましくなりつつ「そろそろ帰るね」と踵を返そうとすると「あ、ちょ、ちょっと待ってください!」と再度呼び止められる。
「?」
「休日なら尚更……これでも食べてゆっくり休まれてください!」
ビジネスバッグからくしゃくしゃになった紙袋のようなものを取り出し、へへっと気恥ずかしげにそれを差し出された。
「これは?」
「昨日、好きなものを教えてくださりましたから!プリンを二つ買ってきました!
「あ、コンビニのプリンじゃありませんよ?ちゃんと洋菓子店で、買ってきました!」
ちょっと誇らしげに「洋菓子店で」を強調する純朴な一面に、私のなけなしの母性本能がくすぐられてしまう。何より、律義に用意してくれた心遣いが素直に嬉しい。
「二つも……、ありがとう。家で美味しく頂くわね」
「賞味期限が短いので早めに食べてくださいね」と念を押す山本君と別れ、手渡されたくしゃくしゃの紙袋に視線を落とす。
「せっかくだから、彼と一緒に頂こう。昨日一緒に出掛けられるか聞かれたけど、今日は家にいるのかしら……私が急に帰ってきたら驚くでしょうね」
最近の彼は私のことを気にかけてくれている様子だし、今日くらい「やっぱり一緒に過ごしたくて帰ってきちゃった」と強気に好意を示してみても良いかもしれない。
私たちは九年間一緒に過ごした仲なのだ、それくらいのイレギュラーで今更喧嘩なんておこるわけがないんだから。
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