2004
目の前で女の子が窓の外を見るので、ぼくもつられて空を見る。ぱっくりと割れたくもり空から滝のように注ぎ込む光の束が、ぼくの目を焼く。
「なんだこれ!」
ぼくの叫び声に驚いた彼女は、慌てて持っていた紙袋を落とした。中から出てきた布の包みがほどけて、中から綺麗なカードが出てきた。
「……なんだ、これ」
「触らないで! キが混ざっちゃう!」
「なに⁉」
キってなんだろう、とぼくは考える。彼女は丁寧に、宝物を拾い集めるように、けれど素早くそれらを拾い上げると、元の通り布にくるんで紙袋の中に入れた。そして、ぼくの手をむんずとつかみ、「来て」とひとこと添えると、非常階段の方へ引っ張っていった。ほんとうに、そえただけだった。僕はあの窓際のかわいい美雨ちゃんに手を握られているということだけで、あたまがからっぽになってしまっていた。
「誰にも言わないで」
一瞬、何のことだろうと思う。
「ねえ、誰にも言わないでね」
「……な、にを?」
「カード。持ってきてたこと。ばれたらボッシューされちゃう」
「あ、」
「絶対、言わないでね」
いわないで、のたびに揺らされる手を気にしていたら、美雨は怒ったようにぼくの顔をのぞき込んできた。
彼女はどこか大人びて見えて、いつもは近寄りがたいような感じなのに、そのときだけは、ぼくとおなじ子供のようだった。ひょっとすると、そっちが美雨ちゃんの本当だったのかもしれない。
と、そのときのぼくはそんな小難しいことなんか考えてなくて、美雨ちゃんと目があっちゃった、どうしよー、とか考えていた。
これって恋かもしんね。うわードキドキしてきた。「ウンメイ」ってやつこれ? ジャジャジャジャーッ! ベートーヴェン。宙に浮いた僕は第五の指揮者だ。ジャジャジャジャーン。
「先生にも、万智にも、誰にも言わないで。お願い」
美雨の言葉に、僕はやっと現実の地面に足をつける。
「……万智?」
万智ってあの万智だろうか。ちょっとダンシィー、フザケンナヨーってうるさい万智。そのくせ男っぽくてよくわからんやつ。
「万智と友達なの?」
「ん。だけど万智はきっと、必ず、先生に言う。だからだめ」
美雨はそのきれいなカードをボッシューされることをかたくなに恐れているし、カードを学校に持ってきてしまったことを秘密にしたがっている。
「わかった。内緒にする」
その日から、ぼくと美雨と、
「その代わり、そのカード、見せてくれる?」
それから万智の関係が始まった。
図書館のイート・インスペースで、カードを広げて見せた美雨のうしろから、万智がおもむろにのぞき込んでくる。
「まーたやってんの。ていうかそれ誰」
「しんたろーくんだよ。さっき知り合った」
美雨はすこし舌足らずな声で僕の名前を呼んだ。ぼくはそれが少しこそばゆくて、肩をすぼめた。
「ふーん」
万智はその鋭い目でぼくをにらむようにして、それから、
「あ、作文に恐竜の話書いてたやつ」
とぼくを指さした。
「あっ」
美雨はきょとんとした。
「恐竜?」
「覚えてないの?」
「ていうか万智、みんなの作文リチギに読んでるの?」
「え、読まないの? 普通読まない?」
頭の上で始まった言い合いを、僕は止めることができない。あわあわと見守っているうちに、「なるほどねー」「ああそうね」などと言って決着がついている。
女子はよく分からない。
「タロット、家から持ってきたの?」
「うん」
「わざわざ?」
「うん」
「フゥーン?」
万智は美雨の言葉を聞いて口の端を曲げた。
「仕方ないな、黙っておくかー」
「ほんとに、ほんとうに家から持ってきたんだから!わざわざ!」
「はいはーい」
「あ、あの」
ぼくはたまらなくなって、口を挟んだ。
「たまたま、カードの話になって、その……見せてほしいって頼んだんだ」
「ヘエー?」
万智は一層にまにました。
「すみにおけないねえ、やるじゃん美雨」
「違うってば。本当に今日、たまたま……」
「うん、たまたま」
ぼくらは視線をかわしあい、うなずき合った。謎の共同意識が生まれていた。
「はいはい、そういうことにしておくよ。……美雨のいうところの運命的な出会いってやつね」
そうして万智は、美雨の隣の席に座り、「ライ麦畑でつかまえて」という題名の本を読み始めた。
うんめいてきなであい。
ウンメーテキナデアイ。
運命的な出会い?
一瞬また音楽室のあの厳つい巻き毛の肖像が思い浮かんだりしたけれど、その前にカードを広げて見せた美雨の手つきに見惚れた。
「これ、占いのカード。タロットカードの大アルカナっていうの」
「へえ」
「持ち主以外の人が触ってはいけないことになってるの」
「そ、そうなんだ」
「そう。キが混じってしまうから。家族もだめ」
「難しいんだね……」
隣から万智が口を挟む。
「まあ、美雨の中ではそういうことになってるのよね、ね、美雨」
「違うから! 持ち主以外が触らないことにはちゃんと効果があるし、本当に触るとだめになるの! 水晶でお清めしないといけなくなるんだから」
「って設定らしいよ」
万智はそういってそれっきり黙った。眉を八の字にした美雨は、気を取り直すことも無く、カードを一枚一枚しまい込んでしまった。
「万智のいないときにやろう」
「二人で何するつもり?」
「占い。万智のきらいな占い」
「嫌いじゃないよ。信じてないだけ」
万智は「ライ麦」にしおりをはさむと、手を広げて見せた。
「ノストラダムスの大予言も外れたのに、素人うらないで何が分かるっていうのさ」
「何か見えるかもしれないじゃない、万智のばか」
「はいはい」
女子のことは全く分からない。
その日分かったことといえば、窓際の横顔美人、美雨と、委員長気質の万智がだらだらとつるんでいること、それから、美雨がタロットカードを大事にしていることだった。
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