【06-1】卜占六壬桜子(1)

二ノ瀬公園で爆弾事件があった二日後の水曜日の夕刻。

鏡堂達哉きょうどうたつや天宮於兎子てんきゅうおとこは、再び富〇町のゲームセンター二階にある、<占いの館>を訪れていた。


装飾の施された扉を開いて中に入ると、室内は仄暗い照明でそれらしい雰囲気を醸し出しているようだった。

扉を開けた正面の壁一面に黒い緞帳が張られ、その前に置かれた頑丈そうなテーブルの向こう側に、一人の女性が静かな佇まいで腰掛けている。


女性は黒一色の洋装で、手にも黒いレースのオペラグローブを着けている。

その装いが、女性の顔の白さを際立たせていた。


「いらっしゃいませ。占いの御用でしょうか?」

女性の静かだがよく通る声は、聞く者を惹き込むような、不思議な音色を湛えていた。


「〇〇県警捜査一課の鏡堂と天宮と申します。

<ろくじん>さんですか?」

鏡堂が警察手帳を示しながら尋ねると、女性は不思議な笑顔を浮かべて答えた。


「わたくし、<りくじんさくらこ>と申します。

六壬りくじん式の占術をなりわいとする者でございます。

本日刑事様方は、どのようなご用件でお越しになられたのでしょうか?」


六壬桜子りくじんさくらこと名乗った女占い師の面立ちは、見ようによっては少女のようだった。

しかし一方で、妖しい雰囲気を湛える、成熟した女性のようにも見えた。

一瞬その美貌に見とれた鏡堂の背中を、斜め後ろから天宮が肘で突く。


「本日お伺いしたのは、私たちが携わっている事件について、少しお訊きしたいことがあるためです」

鏡堂が気を取り直して言うと、六壬は彼らに「どうぞ」と椅子を勧める。

「はて、事件の捜査とは。お役に立てればよろしいのですが」


「お仕事中恐縮です。

なるべく早く切り上げますので、ご協力下さい」

席に着いた鏡堂は、そう言って早速訊き込みを始めた。


「私たちがお訊きしたいのは、こちらに占いに来られた客についてです」

「はて、お客様の情報ですか。

一応わたくし共にも守秘義務がございますので、どの程度お話しできるか定かではありませんが、それでもよろしいでしょうか?」

女占い師は、淡い笑顔で答える。


「守秘義務は理解できますが、こと凶悪犯罪に関わることですので、出来るだけご協力をお願いしたいのですよ」

鏡堂が強い口調で言うのを受けて、六壬桜子りくじんさくらこは微かに頷いた。


「では先週の水曜日の夜、こちらに来た西田伸之という男性を憶えておられますか?」

「先週水曜日の夜は、お客様が一人しかお越しになりませんでしたので、はっきりと憶えております」

予想外の反応に、鏡堂と天宮は思わず身を乗り出した。


「それはこの男性でしたか?」

鏡堂が西田伸之の写真を見せると、六壬は微かに首を傾げた。

「顔ははっきりと憶えておりませんが、その写真のように少し年配の男性だったことは憶えておりますよ」


「ではその男性が、どのようなことを占ったか、教えて頂けませんか?

どうやら定年後の人生について聞くと同僚に言っていたそうなんですが、実際のところはどうだったんでしょう」

その問いに少し困った表情を浮かべた六壬は、目の前のテーブルに置かれた道具を指しながら、おもむろに説明を始めた。


「わたくしが行うのは、あくまでもこの式盤を用いる卜占でございますので、占星術のような未来予測は行いません。

ですので、その方の定年後の未来について、わたくしは占ってはおりません」


鏡堂は、その説明に少し困惑しながら尋ねる。

「私は占いについてはよく分からないのですが、あなたが行う、その<卜占>というものは、どんな占いなんでしょうか?」


「端的に申しますれば、ことの吉凶を占うのが卜占でございます。

それに加えて、わたくしは相手の方が心の奥底に秘めておられる願望をつまびららかにし、その吉凶を占うのでございます」

それでも怪訝な表情を浮かべる鏡堂に笑みを向けて、女占い師は説明を続けた。


「例えばそちらの女性刑事様、天宮様と申されましたか。

天宮様が、ご自身でも気づかぬうちに、恋情を抱いている男性がいらしたとしましょう。


わたくしは、その心の奥底に抱いておられるお気持ちを天宮様に告げ、思いをその方に告げることの吉凶を合わせて占うのでございます。

このように申せば、ご理解いただけますでしょうか?」


六壬の説明に、天宮は思わず顔を赤らめる。

その様子を怪訝そうに見ながら、鏡堂は質問を続けた。

「それではあなたは、西田にも、彼の願望を告げたと仰るんですか?

彼の願望とは、何だったんですか?」

その問いに小首をかしげた後、女占い師は淡々と語り始めた。


「その西田様と申される方の心を占めていたものは、強い憐憫の情でございました。

その方が長年慈しんでこられた、一人の女性への憐憫でございます。


ご自身がその女性の元から去った後、繊細なその女性が周囲からの圧力に潰されてしまうのではないかということを、強く懸念されていたようです。

その女性が理不尽な目に会って潰されてしまうことが、耐えられなかったのでございましょう。


その強い思いが、西田様の心の奥底で凶念へと変質しておりました。

ならばいっそのこと。

その女性を。

自らの手で。

消し去ってしまいたいという、強い願望が芽生えていたのでございます」


最後は区切り区切り、ゆっくりと告げられたその恐ろしい言葉に、刑事たちは声を失くしてしまった。

語り手の女占い師の顔からは、いつしか表情が消えている。


「あなたは一体何を言ってるんだ?

そんな理由で人を殺そうなんて、思う筈がないじゃないですか」

鏡堂は我に返って問い詰めるが、それに対して彼女は不思議そうな表情を浮かべる。


「これ異なことを申されます。

人を殺めたいという思いは、必ずしも怒りや憎悪から生まれるとは限りません。

そのことは刑事様の方が、よくご存じなのではございませんか。


憐憫、怖れ、そして愛おしいという気持ですら、度が過ぎれば心の闇を生み出します。

そしてその闇が深まれば、相手に対する凶念が生まれるのは道理でございましょう。


例えば先の日曜日に訪ねて来られたお客様も、相手への恐れや愛おしさが昂じて、強い凶念を抱いておられました」


「日曜日?それは女子中学生ではありませんか?」

<日曜日>という言葉に天宮が反応した。

槇原良美まきはらよしみを思い浮かべたからだ。


それに対する六壬からの答えは、肯定だった。

「お一方は、その年代の方とお見受けしました」


「お一方ということは、他にもいたということですか?」

堪らず訊き返す天宮に、女占い師は微笑を返す。

「はい。もうお一方、成人男性が訪ねて来られました」


「ちょっと待って下さいよ。

あなたは心の闇だの何だのと、それらしいことを仰るが。


私にはあなたが、占いを聞きに来た人に、殺人をそそのかしているとしか思えない。

違いますか?」


鏡堂から非難を浴びた六壬桜子りくじんさくらこは、不本意そうな表情を浮かべて反論した。


「これは理不尽なことを申されます。

わたくしはただ、その方が心の奥底に抱いておられる思いをつまびらかにし、言の葉に載せてお伝えしただけでございます。


その際には勿論、卜占の結果、吉凶についても添えております。

ですのでその方々には、『事を成すは凶』であることは明確にお伝えしました。

それが何故、そそのかすことになるのでございましょうか?」


淡々と語る六壬桜子りくじんさくらこの無垢な表情が、鏡堂にはこの上もなく邪悪なものに見えた。

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