【01-2】『ことをなすはきょう』(2)

鏡堂と天宮が通された会議室には、既に10名あまりの社員たちが、緊張した面持ちで待機していた。

どの人も顔色が悪く、中には俯いてすすり泣いている女子社員の姿も見受けられた。


――社内であんなことがあったんだから、当然だろうな。

社員たちに同情の目を向けた鏡堂は、天宮を促して彼らの正面に着席する。


「ご心労の中、大変申し訳ありません。

県警捜査一課の鏡堂と天宮と申します」

鏡堂はそう言って社員たちに挨拶すると、天宮と共に頭をぺこりと下げた。


「それでは出来るだけ早く済ませますので、皆さんに幾つか質問させて頂きたいと思います。

まず今回の事件の被害者と加害者の方について、教えていただけますでしょうか?」


鏡堂の質問に、40代に見える男性が答えた。

「人事部の佐藤です。

被害に遭ったのは、弊社の交通事故保険担当部の部長、糸原鞠絵いとはらまりえ55歳です。


加害者は同じく交通事故保険担当部相談役の、西田伸之にしだのぶゆき60歳です」


「お二人は上司部下の関係ですか?」

「はい、糸原が西田の直属上司になります」


「非常に答えにくい質問かも知れませんが、お二人の間にトラブルのようなものはあったのでしょうか?」

鏡堂の質問に、社員たちは互いに顔を見合わせたが、その中の一人が手を挙げた。


「僕、木下と言います。

糸原部長の部下で、西田さんとは同じ部署にいました」

鏡堂は頷いて彼に先を促した。


「部長と西田さんの間にトラブルはなかったと思います。

西田さんは、あんなことするとは思えないくらい、温厚な人でした。


部長も厳しい面はありましたけど、部下に理不尽なことをする人じゃなかったです。

二人が何かで揉めているようなことは、見たことがないです」


すると木下の言葉を皮切りに、何人かが口を開く。

「部長は西田さんのことを、すごく頼りにされてたと思います」

「私もそう思います」

「僕もです」


「部長は、元は西田さんの部下だったんですよ。

西田さんのことを凄く尊敬していて。

立場が逆転した後も何かと相談されていました。


女性で初の部長職だったので、かなりプレッシャーを感じてらっしゃったと思います。

かなり繊細な方だったので、西田さんも部長のそういう部分が心配で、いつも気にかけていたみたいです。


二人で何か話をしていて、西田さんが部長のことを励ましていたのを、何度も見たことがあります」

木下の言葉に、その場の多くが頷いていた。


少なくとも被害者と加害者の間には、かなりの信頼関係が成立していたと感じた鏡堂が、その点を社員たちに確認すると、皆が口々にそれを肯定する。


その中で気になる発言が一つあった。

「西田さん、来週定年なのに、どうしてあんなことされたのか、信じられないです」

そう言ったのは、鏡堂たちが会議室に入った時から、すすり泣いていた若い女性だった。


「西田さんは定年間際だったんですね」

鏡堂の質問に、全員が頷く。


「昨晩も、富〇町で西田さんの送別会をしたんですよ。

西田さん、漸く肩の荷が下りたってすごく機嫌がよくて。


かなり酔ってらして、最後は定年後の人生を占ってもらうんだって言ってました。

送別会の後、本当に占い師に見てもらいに行ったくらいなんですよ」


「占い師ですか。

一応場所をお聴きしていいですか?」

「富〇町のゲームセンターの二階です」

鏡堂の横で天宮が懸命にメモを取っている。


「それでは、非常に訊きづらいことをお訊きしますが、本日西田さんがオフィスに来てからの顛末を教えて頂けませんか?

まず西田さんがオフィスに入って来るところを見た方はいらっしゃいますか?」


鏡堂の質問に、一人の女性社員が手を挙げた。

「入ってきたところは見てないんですけど、私の席の近くを通り掛かった時に声を掛けました」


「その時の様子はいかがでしたか?」

「西田さん、声を掛けても反応しませんでした。

全然こっちを見てなくて、ぼおっとした感じで歩いて行ったんです」


「ぼおっとした感じですか。

普段はそんなことはなかったんですね?」

鏡堂が確認すると、女性社員は黙って肯く。


「他に何か、普段と異なることはありませんでしたか?」

その質問には、木下が答える。

「何かぶつぶつ呟きながら歩いてました」


「呟きながらですか?

どんなことを呟いていたか憶えていらっしゃいますか?」

木下が考え込むと、別の男性社員が彼に代わって答える。

「確か『ことをなすはきょう』だったと思います」


「『ことをなすはきょう』ですか」

鏡堂が確認すると、何人かが頷いた。

「間違いないです。

同じことを何度も呟いてましたから。

はっきり憶えてます」


男性社員が確信をもって言い切るのを聞いた鏡堂は、難しい表情を作って訊いた。

「その言葉の意味が分かる方はいらっしゃいますか?」

その問いかけには、その場の全員が首を傾げる。

すぐに思い当たる節はないようだ。


「その後西田さんは被害者の糸原さんに近づいて、凶行に及んだというですね?

どなたか、その時の状況を見ていらした方はおられますか?」

その問いかけに、社員たちは互いの顔を見合わせる。


やがて一人の男性社員が、恐る恐るという感じで話し出した。

「僕が見た時は、何と言いますか、最初の一撃の後で。

その音で部長の席を見たんです。

そうしたら西田さんが、何度も部長の頭を殴りつけていて…」


男性はそこまで言うと絶句してしまった。

その話を聞いていた女性社員の何人かは、俯いて震えている。

その様子を確認した鏡堂は、潮時だと思い、聴き取りを終わることにした。


「状況はよく分かりました。

嫌なことを思い出させて申し訳ありませんでした。


他の皆さまもご心労の多い中、ご協力ありがとうございました。

お話を伺うのは一旦これで終わらせて頂きます。

また何かお訊きしたいことが出てきた場合は、ご協力をお願いします」


鏡堂と天宮は事情聴取への協力に礼を述べて、会議室を後にする。

二人が事件現場に戻ると現場検証は既に終了し、被害者と加害者の遺体も運び出された後だった。


二人が戻ったのを確認した熊本は、聴取の結果は県警に戻って聞くと言って、現場からの撤収を命じた。

捜査員たちはその命令に従い、現場の後始末を手配するものを残して、現場を後にする。


県警に戻る車中で、天宮は助手席に座る鏡堂に尋ねる。

「鏡堂さん、この事件はこれで終了ですよね?」

「ああ、犯人も犯行手段も明確だからな。

被疑者死亡のまま書類送検して終わりだろうな」


「何か気に掛かることがありますか?」

「お前はどうだ?気に掛かることはあるか?」


そうオウム返しに訊かれた天宮は、聴き取り時に感じた疑問を口にした。

「犯行動機が気に掛かると言うか、まったく分かりません。

社員の皆さんのお話を聞く限り、被害者と加害者の間に、あんな惨い殺人に繋がるような動機が見つかりませんでした」


その答えを聞いた鏡堂は、その言葉に頷く。

「確かに彼らの証言を聞く限りは、動機は見つからんな。

尤も、本人同士にしか分からん事情があったのかも知れんが」


そう言って口を濁した鏡堂を不審に思った天宮は、更に質問を重ねる。

「他にも気になることがありますか?」


「お前、あれをどう思う。

西田が呟いていたという言葉」

「『ことをなすはきょう』ですか」


確かにその言葉は、彼女も気になっていたのだ。

「普通に考えると、『こと』、つまり殺人を行うのであれば今日だという意味に取れますね」


「ああ、俺もそう思う。しかし果たしそれだけなんだろうか?」

「他にも意味があると?」

「分からんな。

ただ気になるだけかも知れん」


そう言って黙り込んだ鏡堂を、運転席から横目で見ながら、天宮は小さく溜息をつく。

――この状態になると、この人自分の世界に入り込んじゃうんだよね。


その後県警に戻る間、二人は無言だった。

そしてこの日の事件は、その後に起こる一連の事件の始まりに過ぎなかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る