第36話 本当にごめん。セ〇レになりたいなんて言って……

 アイサが電話マークのボタンを、押してしまった。

 これで通話が始まってしまう……

 

『哲彦くん……今、大丈夫?』


 桐葉の鈴のようなキレイな声が聞こえる。

 少し何かを探るような声色だ。

 あの海での一件以来、俺と桐葉は一度も話していなかった。

 だから俺がどんな反応をするか怖いのだろう。


「…………」


 アイサがスマホを持って、俺の口元に持ってくる。

 顎をしゃくって、俺に桐葉と話すよう促す。


『哲彦くん……?』


 俺が電話に出たのに無反応だからか、不安そうな桐葉の声が聞こえる。


「桐葉、久しぶり」

『……!』


 俺は桐葉に声をかける。

 驚いた桐原の息が、漏れる音がした。


『よかった……ずっと話してくれないのかと思っていた』

「大丈夫だよ。ちゃんと話せる」


 本当はちゃんと話せる状況じゃない。

 まず学園の図書室であること。

 ここは校則で、スマホの使用が禁止されている。

 まあ……これはどうでもいいルールだ。

 

 一番普通じゃないところは、アイサが俺の背中越しに抱きついているところ。

 背中にアイサの胸がたゆんっと押し当たる。

 デカいマシュマロが背中にくっついているみたいに。

 

「…………(ニコっ!)」


 悪魔的な笑みを浮かべるアイサ。

 マジでエゲツないことをするヤツだ。

 さらに豊かな双丘を、強く押し当てて——


「……つっ!」

『哲彦くん、どうしたの……?』

「いや、なんでもないよ……」


 俺は生物学的オス(男)だ。

 背中にアイドルやってるような美少女に抱きつかれて、大きな胸を押しつけられたらどうしても反応してしまう。

 なんでもない感じで電話するのは不可能に近い。


『……? それならよかったけど……』

「うん。大丈夫だ」

『で、あたし、哲彦くんに話したいことがあるの』

 

 桐葉が俺に話したいこと。

 それはただひとつしかない。

 あの海での出来事――

 

「…………」


 アイサもこれから起こる展開を悟ったのか、真剣な表情で俺を見つめている。

 茶色がかった大きな瞳が、俺を捉えていた。

 これは……やっぱりかなり話しにくいな。


「話って何かな……?」


 すでに予想がついていることだが、桐葉に問いかける。

 ふう……と、電話越しに桐葉が深呼吸する音がして。


『あの……海でのこと』

「ああ。それか……」


 これからどんな話があるのか。

 それはもうわかりきっている。

 あの海で俺と桐葉は――ハグとキスをした。

 そしてそれ以上のことを、しそうになってしまった。

 ギリギリのところまで行ってしまったわけで……


『あたし、謝りたいの。あの時は……本当にごめん!』

「いや、別に謝ることはないよ」

『哲彦くんは優しいね……でも、あたし、俊樹のことが好きなのに暴走しちゃったから……』


 たしかに桐葉は「暴走」していた。

 水着で俺に抱き着いてきて、いろいろなことをしようと……


「…………」


 「暴走」という言葉を聞いて、アイサが聞き耳を立てている。

 さらに強く、アイサは俺に抱き着いてきた。


『その……ごめんね。急に、女の子が、しちゃうなんて……』

「いや、そんなことない」

『ううん。あたしが本当に悪かった。変な気持ちにさせてちゃった』


 ぎゅう……と、アイサが俺の左手を掴む。

 すごく強い力だ。少し痛い……

 

『哲彦くんに、お願いがあるの……』

「どんなお願い?」

『あたしたち、とりあえず普通の友達に戻ろう?』


 普通の友達。

 それはえっちなことをしない友達という意味だ。

 桐葉はあの時、はっきりと望んでいた。

 ――


『本当にごめん。セ〇レになりたいなんて言って……』

「…………っ!」


 アイサの身体がビクンと動く。

 かなり驚いた表情で、俺を見つめている……

 言ってはいけない言葉。

 絶対に許されない関係。

 ついに口からそれが出てしまった……


「そうだな……俺と桐葉は、普通の友達だ」

『うん! ありがとう! 哲彦くん!』 



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