第11話 メインヒロインに匂いを嗅がれる

「ねえ。哲彦くん。アイサちゃんと何かあった?」


 あのアイサの家での打ち上げが終わった後、俺は桐葉と一緒に帰っていた。

 帰りの電車の方向が桐葉と一緒だったから、同じ電車で帰る流れになる。

 推しと隣に座って帰れるのは、もちろん嬉しかったが……


「いや、別に何もないよ」


 そう――何もなかったわけじゃない。

 俺はあの後、アイサを抱きしめた。

 アイサと俺は、まるで本物の恋人みたいに抱き合った。

 あの状況ではアイサの求めに応じざる得ない。

 桐葉の死を回避するためとは言え、アイサを傷つけた責任の一端は俺にもあるわけだから、せめてアイサを慰めたかった。

 

 (……と、自分に言い聞かせるしかないな)


「本当? 嘘ついてない?」


 桐葉は俺の顔を覗き込んで、じっと見つめてくる。

 澄んだ美しい瞳が俺をとらえた。

 

「いや、本当に何もなかったよ」

「ふーん……」


 じっとりとした目で、俺を見る桐葉。

 「女の勘」ってやつだろうか、何かに勘づいていたみたいだ。

 観察力の鋭い桐葉だから、俺とアイサの様子を見て気づいたのかもしれない。


「……くんくん」


 桐葉は俺の首筋に顔を近づけて、まるで子犬みたいに匂いを嗅ぐ。

 ふわりと桐葉の髪が俺の首に触れて、シャンプーのいい匂いがかすかにした。


「……何してるの?」

「アイサちゃんの匂いがしないか、チェックしてるの」

「やめてください」

「ダメ。ちゃんと確かめないと納得できない」


 周囲の目線が気になる……

 他人から見れば、彼女が彼氏の肩にもたれて寝ているみたいだ。

 

「くんくんくん……哲彦くんってさ」

「何?」

「すごくいい匂いだよね」

「恥ずかしいから、もうやめてくれ」

「落ち着く匂いなんだよね。ずっとこうしていたい。寝ちゃいそう」

「お願いだから寝ないでくれ……」


 すーすーと、俺の首筋で深呼吸する桐葉。

 まるで自分の匂いをすべて吸い込まれている気がして、かなり恥ずかしい気持ちがこみ上げてくる。

 

「なあ……こういうことは俊樹とすればいいんじゃないか」

「俊樹とは……できないよ。だって俊樹と一緒にいるとドキドキしちゃうもん」

「俺とはドキドキしないのか」

「うん。ドキドキっていうか、安心とかリラックスとか、そういうのがある」

「男として見られていない、ってことね」

「うーん……男の子として見れない、とは違うかな。別の魅力があるって感じ」

「そう……」


 とにかくこの密着状態をなんとかしてほしい。

 桐葉は子どもみたいに俺の身体に身を預ける。

 力が抜けて、本当にこのまま眠ってしまいそうだ。


「で、アイサの匂いはした?」

「そうだなー。もう少し捜索しないといけないかも」

「もう大丈夫だろ?」

「まだだよ。駅に着くまでこうしてたい」


 桐葉の駅までは五駅もある。

 駅と駅の間の距離が長いから、しばらくはこのままということになる。


「あたしね、俊樹のことが好き。子どもの頃からずっと好きだった。でも最近、なんで好きなのかよくわからなくなってきて……」

「……俊樹のこと、好きじゃなくなったのか?」


 もし桐葉が俊樹を好きじゃなくなったのなら、かなりヤバい展開だ。

 桐葉の好感度が下がって、このままだとバッドエンドへ行ってしまう。

 バッドエンド=桐葉の死だ。

 それはなんとても避けないといけない。

 

「ううん。俊樹のことは好き……なんだよね、あたし?」

「好きかどうか、わからなくなった?」

「……哲彦くんはどう思う?」


 桐葉は俺の服の裾を、ぎゅっと掴んだ。

 本当に好きかどうか――俺の本音はこうだ。人が人を好きだとか好きじゃないとか、クリアに分けられるものじゃないと。

 他人が何を感じているかなんてわからないし、自分が何を感じているかさえわらない。

 だから、わからないものはわからないままでいいんじゃないか……と。


 (だけど言えない……)


 俺は、桐葉をバットエンドから救わないといけない。

 桐葉と俊樹をくっつけないといけないのだ。


「そうだな……桐葉が俊樹を好きな気持ちは、本物だと思うよ」

「本当にそう思う?」

「うん。桐葉は俊樹に恋してるんだよ」

「そっか。あたし、ちゃんと恋してるんだ」


 電車がカーブに差し掛かって、ガタンガタンと強く揺れる。

 その遠心力に合わせて、桐葉は俺にぐっと身体を預けてくる。

 

「うん。桐葉の恋は本物だよ」

「……ごめん。めんどくさいこと聞いていい? 本物の恋って何かな?」

「今、桐葉の気持ちが揺れてるから、それが本物の恋ってことだと思う」

「なんだか誤魔化された気がする」

「バレたか」

「哲彦くんって優しいよね。そういうとこ好きだよ。友達として」


 桐葉はぱっと俺の肩から頭を離す。

 それからニコリと柔らかい微笑みを浮かべた。


「ありがとう。すごくエネルギーを充電できた」

「おいおい。俺は充電器かよ……」

「うん。哲彦くんはあたしの充電器だね! これからも充電よろしくです!」


 電車が桐葉の降りる駅へ着いた。

 桐葉はぴょんと兎みたいに席から立ち上がると、俺にぺこりと頭を下げた。


「またね! 哲彦くんっ!」



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