第10話 主人公の代わりにヒロインと抱き合ってしまう

 突然のキス——

 唇の柔らかい感触。

 ふわっとアイサの甘い匂いが、鼻腔をくすぐる。


「ごめん……急にキスしちゃって……でもあたし、耐えられなくなって」


 潤んだ美しい双眸が、俺を見つめる。

 俺の心臓は早鐘を打ち、脳は今起きた事態のせいで処理落ちしていた。


「どうしてこんなことを……?」

「哲くんに、どうしてもキスしたくなった」

「アイサが好きなのは、俊樹じゃ……」

「うん。俊樹のことは好きだよ。でも、今日俊樹に嫌われちゃって……耐えられなくて」  


 (そういうことか……)


 俊樹がアイサを避けたせいで、アイサは傷ついてしまったらしい。

 バットエンドを回避するためとは言え、俺が俊樹にいろいろ言ってしまったせいでもある。

 だからここは俺がフォローしないといけない。


「俊樹はアイサのことを嫌ってないよ。たぶん俊樹は少しびっくりしただけだ」

「えっ? びっくりした……?」

「アイサみたいなかわいい女の子に、『あーん』なんてされたらどんな男でもビビるよ」

「そうなの……? じゃあ哲くんもあたしが『あーん』してドキドキした?」


 震えた小動物のように、俺の反応を恐る恐る伺うアイサ。

 普段は自信に満ち溢れたアイドルのはずのに、とても塩らしくなっている。

 

「ねえ、哲くんはあたしにドキドキしたの?」

「世界中の、どんな男でもドキドキするよ」

「あ、今、逃げたなー」

「逃げてないよ」


 アイサは涙目になりながらも、ぷくっとリスみたいに頬を膨らませる。

 しっかり者のギャルが弱々しい——普段のイメージとのギャップに、俺はドキッとしてしまう。

  

 (かわいいな……)


「逃げてないなら、あたしを抱きしめてよ」

「え……」


 俺はアイサに抱きしめられている。

 そして俺はアイサに触れないように、手を少し上げていた。


「哲くんの上げてる手。それおかしいよ。ちゃんとあたしを抱きしめるのに使って」

「いや、でもな……」

「哲くんに抱きしめてほしい。哲くんが抱きしめてくれないなら、あたし、ずっと離ないから」


 さらに強く、アイサは俺を抱きしめる。

 指にぎゅうと力が入っている。


「本当にいいのか?」

「うん。今は哲くん——あたしの軍師に慰めてほしい。恋の戦いに傷ついたあたしを……」

「……わかった」


 俺はそっとアイサの肩に手を置く。

 アイサの華奢な肩は暖かい。

 まるで柔らかい絹を触っているような感覚だ……


「あーすっごく落ち着くなー! もう癖になりそう!」

「癖になられちゃ困るな」

「だって癒されるんだもん。気持ちが楽になるから」

「そうか」

「またお願いね」


 俺とアイサは、廊下で抱き合う。

 たしかアイサルートで、俊樹とアイサが抱き合うシーンがあった。


 (俺が抱いてしまっていいのかよ……)



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