第4話 神社の中で①

 ホームを降りるとそこは白い木造建築の洋風な駅だった。できた当初はモダンな作りが斬新だったのかもしれないけど、今では古い駅のお手本みたいな見た目。言い方は悪いけど駅が駅だとしたら町も町。駅を抜ければ古き良き小都市が広がって、夕暮れともなると閑散としていた。


 さて、私からしたら今日のメインテーマは終わって、鬼の木乃伊を見に行くのは惰性に近いけれど、瑠夏の歩幅がいつにも増して大きく、どうも心躍らせてるみたい。シャッター街の寂しい通りだって瑠夏は楽しげに歩いていく。


「エモーショナルな街並みだねぇ華。“写るんです”持ってこればよかった」


 そういえばこうして瑠夏と触れフレ活動後に出掛けるのは初めてだ。いつもはすぐ解散するか、せいぜいご飯を食べに行くくらい。


 なんかデートみたいで変な気分。


 私もなんだか楽しくなって、シャッター街で唯一目に入った鯛焼き屋さんでほっかほかのお菓子を買ってしまおうかと思った時、私の一歩先を行く瑠夏の足がピタリと止まった。不思議に思って瑠夏の顔を見ると瑠夏の表情は固くなっていて視線が一点に集中している。怪訝の目だ。


 鯛焼き屋さんに気を取られて気付かなかったけれど瑠夏の視線の先には私たちと同じ傘美禰かさみね高校の制服を着た男子が一人、立ちはだかっていた。短髪で制服も着崩してない模範的な男子生徒。初対面ではない、何処かで見たことあるような。幼くはなく、むしろ大人びてる。先輩だろうか。


 男子生徒は瑠夏にだけ興味を示して不適な笑みで絡んできた。


「こんなところで会うとはね。三雁亜さんかりあの妹だろ? あ、妹か」


 人を見下すような煽るような口調で瑠夏に問う男子生徒。『三雁亜』とは瑠夏が生まれた家の名。男子生徒の因縁めいた話し方から私は察せるものがあった。


 彼は生徒会のメンバーだ。

 

蜂須賀はちすか先輩……ここが地元だったのですか?」


 瑠夏は言った。冷静に。


「あぁいや、今度そこの大卯川で花火大会があるんだけど、生徒会で鑑賞会をする計画を立てていてさ、まぁ生徒会長に直々に頼まれて下見って訳さ」


「相変わらず生徒会はの小間使いですか」


 瑠夏もまた挑発的な態度で対応する。口調は刃物のように鋭い。


「ハハ、そんな言い方は酷いなー、生徒会の親睦を願った我らが生徒会長、三雁亜庫冬さんかりあこふゆの想いを汲んでるだけだよ。君だってこんな町でどうしたんだ? 家はたしか……傘美禰山の古い団地だろ? そんな、いいのか? 三雁亜に言いつけたっていいんだぞ」


 嫌味を込めた言い方で意地悪な笑みを浮かべながら蜂須賀先輩は言う。瑠夏は対抗するように言い返した。


「私、もう自由なんで。お姉様にとやかく言われる筋合いはありません。蜂須賀先輩もあんな独裁好きの愚帝に振り回されて、ご愁傷様です。……華、行こ」


 瑠夏は私の手を取って半ば強引に引っ張る。蜂須賀先輩の横を通り過ぎた時、彼は空気を裂くようにして瑠夏に言った。


「三雁亜は警戒してるよ。君の思惑は透け透けで、露骨だ。君、三雁亜に復讐するために傘美禰高に入ったんだろ?」





 瞬間——「プツ」という機械音が頭上で鳴って、その刹那、音のこもった音質の悪いチャイムが町中に反響した。夕刻を知らせる『遠き山に日は落ちて』が電柱に括り付けられた拡張器のスピーカから放送された。


 イントロが流れた途端、時間が止まったかのように私たちは足を止めて、沈黙。生き物のような西風が吹いて瑠夏の黒髪が夕焼け空に靡く。乱れた髪が邪魔をして瑠夏の表情の殆どが見えなかったけれど、口元の口角が上がっていたのは分かった。


 何も返さない瑠夏。蜂須賀先輩はチャイムの終わりがけに瑠夏に追求する。


「復讐のために三雁亜から山路を奪ったんだろう?」


 瑠夏は振り返らない。口元を上品に隠して肩をプルプル震わせる。「ふふふ」と育ちの良さを隠しきれない軽やかな笑いを漏らし、かつて三雁亜の令嬢だった名残を思わせながら、さながら舞台役者のような優雅な口調で蜂須賀先輩に言う。


「お姉様にお伝え下さい。“まだわたくしの復讐は終わってはおりませんよ”と。では」


 去り際に瑠夏は軽く会釈をして、蜂須賀先輩との邂逅に幕を下ろす。


 私は瑠夏に何も聞かない。

 私たちはまるで何も無かったかのように、あの場面だけ時がすっぽり抜けてしまったかのように歩き出して他愛もない話を再開する。


 触れフレとはそういうもの。

 私と瑠夏は互いに学校やプライベートのことには干渉せず、口出しもせず、見もしない。


 互いの現実的な側面を度外視した、自分の欲望のためだけのエゴな関係。それが私たち。


 私の横で『神社とジンジャーで上手いダジャレが作れないかな〜』と難しい顔をしているこの子が例え犯罪を犯したって私は触れフレをやめないだろうし、例え私に彼氏ができたって瑠夏は触れフレをやめないだろう。


 

 私たちは絶妙なバランスで保たれた奇跡の関係なんだ。



 

 それから私たちは談笑と沈黙を交互に挟みながら町の真ん中にこんもり盛られた小山の山道を登って、頂上にある神社に到着した。


 時間も時間なだけにひぐらしの声が幾つも重なって、鳥居を潜って、無人の昏れる境内に入ったら、和風の異世界にでも飛ばされたんじゃないかって思うくらいに神秘な空気が充満していた。


 まず神社に来たら何をすべきかというと心と体の穢れを水で祓う。手水舎で手を清めていると瑠夏は柄杓ひしゃくで掬った水を少量ぴしゃっと私の胸元にかけてきた。なんとバチ当たりな所業。瑠夏は目をへの字にしてクスクス笑っている。


「ちょっと、川遊びじゃないんだから」


「華の透けブラ〜」


 ドキっとして私は自分の胸元を首の可動域の限界まで曲げて見てみる。別に透けてない。


「瑠夏!」


「ふふ」


 ムカつく。

 私は瑠夏を無視して柄杓で水を掬って、


 瑠夏にぶっ掛ける。


「やだ!」


 水は放物線を描いて飛んで瑠夏のスカートに命中。濡れたところだけが色が濃くなって、瑠夏はスカートの端と端を摘んで白い太ももを露わにしながらパタパタと乾燥を試みた。


「も〜華」


「バチが当たったんだよ」


「エロ神め」


 太ももを堪能する神様とは随分と煩悩でフェチっぽい。


 濡れ濡れ同士の私たちは幽玄な拝殿に赴いて参拝を済ませると鬼の木乃伊が祀ってあるとされる摂社せっしゃに来て、拝殿よりも華やかさがない質素な見た目の社に拍子抜けする。そして何より正面の戸が閉じていて鬼の木乃伊が見えない。


 私の頭の中でチーンと仏壇で鳴る音が響いたけど、瑠夏は物怖じもしないで石段に上って戸に手をかけた。


 ガタっと戸が鳴って、なんと開いていく。

 畳の匂いみたいな懐かしい香りがぶわっと解き放たれた。


「開いちゃった」


 なんかたまたま開いた感を出してる瑠夏だけど全くの故意だし、なにより共犯者を増やしたい気で満々なのが丸わかりな怪しい笑顔。


「ちょっと、やめときなよ」


 私も私で瑠夏にそう言いながらいつのまにか石段を上り切って、故意に開けられた禁断の扉の中を子供心全開で見渡す。中は祭壇以外何も無くて、祭壇の中心に人の形をした茶色い干物みたいな物体が祀られていた。


 錆びた金装飾のガラス箱に入れられて想像よりも小さくて小人や妖精みたいなサイズの木乃伊。


 頭には三角形の突起がついていて、鬼と言われれば鬼っぽい。


 私は外を見渡したあと中に入って戸を閉じる。


 壁面には鬼の木乃伊についての案内文が掛けてあって、早速それを読んでいた瑠夏が案内文から目を離すことはないままズバリと鬼の木乃伊の正体を微笑を含めながら言う。


「これ猿の木乃伊だって。普通に書いてある」


 特に驚きも無く私は「へぇ〜まぁそんな感じだよね」とベタベタの王道映画でも見終わったような、ゆるい感想を言った。瑠夏はそのまま案内文の続きを読み上げていく。


「“天保てんぽうのころ、祭壇に供える御神酒をこっそり舐めにくる猿がおり、神主は困っておりました。猿は頭が角のように盛り上がってることから、『小鬼』と呼ばれ、神主はいつか捕らえてやると意気込んでおりました。そして神主は小鬼が御神酒を舐めにくる時刻に祭壇に身を潜め、小鬼が御神酒を舐めている隙に網で捕らえようとしました。神主が祭壇の影から身を乗り出して、いざ網を投げようとした時、なんとも奇妙なことが起きました。小鬼が人の言葉を発したのです。


『見ざる言わざる聞かざる』


神主は大層驚きました。叡智の言葉に神主は小鬼を捕えるのをやめ、それから小鬼は神社に住み着き、小鬼を拝みに来る人まで現れるようになりました。そして最後は本殿の端の木の麓で干からびて死んでおり、木乃伊となっていたのです。


小鬼の木乃伊はこの摂社に祀られました。次第にこの摂社で起きたことは『見ざる言わざる聞かざる』として、不法に入った悪人の偽札造りの場にされたりもしましたが、今は懺悔の場として広まってます。”」


 


 ここで起きたことは“見ざる言わざる聞かざる”


 私と瑠夏の間で妙な緊張感が張り詰めた気がした。


 夕日差す淡いオレンジの密室で、ひぐらしの鈴のような鳴き声が聞こえる中、私は瑠夏と二人きり。

 

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