第2話 電車の中で①

 学校で公に私たちが交わることはない。瑠夏と私は人種が違う。




 窓際の席で夏の風を肌に受けながら本を読んでいると廊下からまるでパレードでも行進しているかのような賑やさが溢れてきて、青春真っ只中の主人公たちが塊を成して談笑していた。


 その中心にいつも瑠夏は鎮座して揺るぎない地位を振るっていた。


 当の本人はグループのリーダーのつもりでも、頂に立っているつもりも無いけれど陰キャの私からしたら学校の瑠夏は眩しすぎて少し鬱陶しい存在。


 だから私は悪戯のつもりで、ほんのちょっとの出来心でLINEを開いて瑠夏にメッセージを送ってみる。


『今日いく?』


 私のスマホからピュイっと送信音が鳴ると連動するようにして廊下の瑠夏はスマホを胸ポケットから取り出して画面を確認する。私には到底真似できない反応速度。まさに現代っ子を体現したスピードだ。


 瑠夏は談笑の最中でも瑠夏は画面に指を滑らせていて、すぐに私のスマホから通知音が鳴った。


 瑠夏からのメッセージ。


『アリ〜』


 ありのマークの絵文字付き。


 返信が返ってきたことに私はさっぱりして、暫く本を読んでるとスマホから2回通知音が鳴った。また瑠夏からだ。


『本読んでる華 かわゆい』


 遠目から撮った私の盗撮画像付き。


 瑠夏の悪戯。彼女の方を見ると瑠夏とバッチリ目が合う。


 負けた。

 瑠夏から私は目を逸らして読書を再開するけれど、淡いクリーム色の紙に書かれた文字の羅列は瑠夏に動揺させられたせいか頭に入ってこなかった。





 それから暫くして、私たちが再会したのは無人駅のホームだった。淡い陽炎かげろう揺らめく線路と緑とひぐらしの声で囲まれた駅の日陰のベンチで待っていると瑠夏は現れた。私を見つけるまではランウェイを歩くモデルみたいに固い表情をしていたけれど、私を見つけるないなや朗らかになる顔。


「華〜お待たせ〜」


 瑠夏は私の隣にひょいっと座ってデオドラントの涼しい香りを纏っていた。高校からこの無人駅までは自転車で15分くらいはかかるけど瑠夏は汗をかいていない。私に会う直前で一度、シーブリーズかシートで綺麗にしたんだろう。


「どっちに行くの?」


 瑠夏はは線路の進行方向を行きと下りそれぞれ指差して私に訊く。


 この無人駅は私たちの帰路じゃなかった。私はいつも学校の最寄駅から市街に向かう電車に乗って帰るし、瑠夏は自転車で山の向こう側に帰る。つまり私たちは無人駅を起点にお出掛けをする。


 行き先を知らさせてない瑠夏に私は教える。


「方向で言えばこっちかな。五乗神社に行こうと思う」


「五乗神社……私の記憶に欠陥が無ければ初耳の神社ですなぁ」


「大丈夫、瑠夏の記憶は無事だよ。6つ目の駅の町にあるマイナーな神社だからね。この辺じゃ知られてなくて当然」


「あーやっぱり。でもなんか、今日は随分と遠出だねぇ」


「鬼の木乃伊ミイラが祀ってあるんだって。気にならない?」


 否、“気になる”ってのは嘘。

 高校の掲示板に貼ってあった地域のローカルチラシみたいなのに掲載されていたのを偶然見かけただけで、誘い文句の材料でしかない。


「木乃伊!? もはや肝だしだよそれ〜」


「それでさ、この路線、トンネルが3つあるの」


 瑠夏は刹那の間を挟んで何かを察して、チーンと鐘の音が瑠夏の頭の中から聞こえた気がした。


「……華のエッチ」


 瑠夏は私の思惑を悟って私の肩を肩で叩いた。


 致し方ないのだ。


 触れフレ活動において安全圏と思われていたカラオケだったけれど、実はあのカラオケには同じ高校の生徒がバイトしていたことが瑠夏の陽キャネットワークによって判明。私はたちは活動場所の変更を余儀なくされていた。今日は次の活動場所が決まるまでの繋ぎみたいなもの。


「あ、電車きた」


 気を取りなおすために敢えて私は口に出した。


 昭和の遺産みたいな古くて緑色の電車が軋む音を立てながら到着。ボックス席タイプでだいたいのボックスに人一人はいるくらい。私たちは空席のボックス席に隣り合わせで座る。瑠夏が窓側。


 チリンチリンと鐘が鳴って空気圧が抜ける音は発車の合図。私たちの放課後旅の幕開け。


 鉄道は峠に沿って自然に囲まれた線路を進み、お尻に伝わる振動は市街を走る鉄道よりも激しい。渓流に掛かった鉄橋の上から見える景色は圧巻で乗車賃片道360円で味わえる低コストな小旅行。窓から見える緑の景色は瑠夏の横顔の背景と化してその美しさに見惚れる。


 異邦人みたいな横顔に私が夢中になっていることなんて知りもせず、瑠夏は私に訊いた。


「華は進路調査なんて書いた?」


 高2を対象に今日配布されたアンケートのことだった。将来のことなんて漠然としていて死後の世界くらい不明瞭だった私にとって、唐突に進路のことを突きつけられたのは、まるで自転車で坂を降っている時に急ブレーキをかけたみたいな動揺をもたらした。


「うーん、とりあえず大学進学って書いたけど。瑠夏は?」


 そう訊いたけれど答えを聞くのが怖かった。

 私たちの関係は未来永劫続けられるものではない。いつから終わりが来るもの。それは分かっていた。


 瑠夏と将来について話すのは怖くて仕方がない。何故なら瑠夏と似たような話題を半年前くらいに話したことがあって、それは“自分たちが大人になった後”というテーマの話だったけど、そこで瑠夏が言ったことは私の中にこびりついて今でも時たま憂鬱の起爆剤になっている。


 これから瑠夏が言おうとしていることに私は耳を塞ぎたくなったけれど瑠夏はったような苦笑いで言った。


「私も大学行きたいけど、お金がね」


 一先ず進路の方針は同じで安堵する私。

 しかし瑠夏には覆しがたい現実が直面していた。


 瑠夏はお嬢様みたいな気品を持ち合わせているけど実は裕福ではない。正確にはお嬢様っていう表現が正しいけど。


 瑠夏は中学2年生まではこの地方では有名な豪族、三雁亜さんかりあ家の令嬢だったらしい。だけど何か粗相を起こして当主、謂わば実の父親から瑠夏は勘当されて三雁亜家を追放された。


 今の瑠夏は公的な支援機関の援助を受けながら一人暮らしをしている貧困層の女子高生。大学進学という進路は半ば夢物語に片足を突っ込んでいることを瑠夏は自覚している。


「でも瑠夏はスポーツ推薦狙えるんじゃない? 学費安くなるんでしょ」


「バドねー。華がマネージャーになったらもっと頑張れるかも」


「げ、あんな陽キャの世界に紛れ込むのは勘弁」


「ダメかー」


 当たる訳の無い極小のまとに矢を射て案の定当たらなかったみたいなギャップの無い落胆をする瑠夏。


「でも、応援はする。ずっと」


 すると瑠夏は人差し指をピンと立てて何か閃いた。


「神社で思い出した! 今度亀戸香取神社行こうよ」


 聞いたことの無い名前に私は首を傾げる。


「なにそれ?」


「スポーツの神様。東京にあるの」


「東京!?」


「うん。だから旅行でね。2泊3日とか!」


 瑠夏から提案された旅行の打診に私は照れくさくて背中を向けたくなる。喜びが水のように湧いて、顔から溢れないように今すぐこの顔を手で覆いたい。


「ま、まぁ……いいんじゃない」


 瑠夏に目は合わせられず、ただ旅行に行くことに賛成した。


 それから私たちは東京に行ったらどこに行きたいか、何をしたいか、どんな有名人に会えるかだなんて話で弾んだ。私たちのボックス席は一変、東京に憧れた夢想家の少女の花屋敷に変身を遂げた。




 暫くすると鉄橋に伸びた線路の先には山をくり抜いた一本目のトンネルが。東京の話は急降下ら尻窄みになっていき瑠夏と私はトンネルに近づくにつれて唇を噛んでそわそわと落ち着かなる。


 開演のブザーが私の中で鳴り響き、触れフレ活動の幕が上がろうとしていた。

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