有栖さんは彼氏なんかじゃ物足りない。

山猫計

高校2年 夏 上期

第1話 カラオケの中で

 すりガラスの向こうで私を待っているボヤけた白いシルエットの正体は友達でも家族でも、ましてや恋人でもない。


 彼女と私がどういう関係なのかと訊かれたら、


『ちょっとした関係』


 としか言いようがなく、口が滑っても、


『ちょっとした


 だなんて言えない。


 私のいる廊下はキーの外れた流行り曲、声の大きさだけはご立派なアニソン、聞くに耐えない男の声の女性アイドルソングなど、耳障りな歌声が漏れていて、耐えきれない一心ですりガラスの扉を開けると黒い皮のソファに腰を掛けた少女が一人、私の到着に唇をほころばせた。


 雪月花のような白い制服を着た黒髪でポニーテールの女子高生は足を組んで、スカートの中は白い太もものパーテーションで塞がれている。『見せて』と頼めば見せてくれそうだけど、見えるよりも見えない方が“れフレ”の哲学に沿っているから、そんな陳腐なお願いを私はしない。


瑠夏るかごめん、お待たせ」


「いいよ。元はといえば私が急に予定決めたんだから」


 私は彼女のことを『瑠夏』と呼ぶ。これは外にいる時限定だ。学校では彼女のことを『有栖さん』と言う。


 もし学校でも下の名前で呼び合えばみんなにこのな関係をいつか悟られてしまうかもしれない。そんな懸念から私たちは呼び名を使い分けている。


 それに本来、私と瑠夏は決して交わるはずのない人種。瑠夏はいわゆるスクールカーストの頂点、ピラミッドの頂のさらにてっぺんにいるような子。私はというと普段は図書室とか旧館に潜んで、授業の時だけ顔を出す土竜もぐらっ子。


 そんな私たちが学校で会っているところを見られたら周りから注目を浴びるの当然。


 ……だからこそ、学校で触れ合うスリルに味が増すってのもあるけど。


「瑠夏、本当は今日山路君との日だったでしょ? いいの? 私なんかとカラオケで」


「まぁ毎度のことムカつく事態が起きまして。デートは私から却下しちゃいました」


 瑠夏には1個上の高校3年生の彼氏がいる。別に私の恋敵だとかそういうのじゃない。瑠夏と山路くんが付き合っていることは自然の摂理で、むしろ私の方が自然の摂理から逸脱したイレギュラーな存在だ。瑠夏はそんな私にも気概ね無く接する。

 

「というかさ、華が来るまでの間、山盛りポテト頼むか迷ったよ〜」


 テーブルには既にカラフルなメニュー表が開かれて、山盛りポテトや特製ナポリタン、見てるだけでお腹いっぱいな料理ばかり。瑠夏はDAMチャンネルのMCのアイドルよりもよっぽど整った顔をしているど意外とジャンキー。


「頼む前に間に合って良かった。瑠夏には太ってほしくないから」


 私は安堵して瑠夏の華奢な体のすぐ隣に座る。肩と肩がギリギリ当たるか当たらないかの距離。数ミリの隙間だけが私たちを隔てる。抱き寄せてキスだって出来そうな距離だけどそれは山路君の役目だ。


「太ったら養豚場におもむいて出荷してもらおっかな〜華の元に」


「なに、私に食べろって?」


「うん」


「最悪のジョーク」


「ふふ」


 瑠夏は小さな拳で口元を押さえて上品に笑う。普段明るくおおらかに振る舞う彼女だけれどその仕草や所作の下には気品があった。


 そして少し深刻な顔をして私の名を呼んだ。


「でもさ華、何か頼んで店の売上に貢献しておかないと、結構早めに出禁になるかもよ。媚び売らないと媚び」


「受付の人、前と同じだったよね。バレてるかな?」


「どうだろう」


 私たちはシンクロするようにして天井を見上げる。今時のカラオケルームには大体付いている監視カメラを眺めて、これから始まる“触れフレ”活動に視聴者がいるのかどうかの是非を考える。


 いることを前提として私は瑠夏に問う。


「ここ出禁になったら次は?」


 瑠夏は顎に人差し指を当てて、頬をぷくっとさせて思考中。青いネイルのラメが照明の灯りを反射して星みたいに輝いた。


「喫茶店? コメダとか? ソファあるし」


「喫茶店はこの前しくじったでしょ」


「ほら、あれは純喫茶だったから。女子高生2人が隣同士で戯れ合ってるのは純喫茶の景観に悪いし」


 恥ずかしい記憶が蘇って私は照れ隠しに首下まで伸びたショートの髪をかきあげた。


「まぁ……バレたらバレたでしょうがないか」


「あ、華、空気切り替えようとしてるのバレバレ」


「う、うるさいバカ」


 私の顔を赤くさせる瑠夏は揶揄からかうくせに自分だって赤くなってる。


「ねぇ華」


 瑠夏は吐息の中に声を混ぜる。


「ん」


 瑠夏は私のスカートから伸びた太ももに人差し指を添えて、なぞるようにして、滴る汗を舐めるようにして吸い込んでいく。その手は蛇のように這って私の体の中に入ってこようとしていた。けれど瑠夏の蛇は利口で、私の下着に触れる前にも這うのを止める。


「あのね、蛇の目の辺りにはピット器官っていうのがあって、熱を感じとることができるんだって」


 私が抱く生々しい欲望。それを瑠夏に感じ取られるがままに——


 私の手は瑠夏の胸元に吸い寄せられていく。制服越しに膨らんだお椀のような瑠夏の胸に私の人差し指が接触して、瑠夏が物欲しそうな声で言う。


「ねぇ華、あれやってよ」


「やだ恥ずかしいから」


「お願い」


 あんなの、めちゃくちゃ恥ずかしいのに、屈辱的なのに、私は瑠夏の甘い懇願に負けた。羞恥心を前面に出しながら瑠夏のために馬鹿馬鹿しいことを私は口にする。


「……蚊取り線香、着火」


「ふふ」


「笑わないでよ」


 瑠夏の胸の表面にうずまきを指で描いていく。ブラで硬いから瑠夏が感じれるように指で押し込むようにして。


 茶化した瑠夏の表情も蚊取り線香の火が落ちる頃には恍惚な表情になって、普段は気品と余裕を振り撒いて陽キャぶっている瑠夏がこうも崩れていくのが私はたまらない。


「あ……華……」


 瑠夏は声を漏らす。


 終着点に辿り着いた私の指は瑠夏の突起の感触を感じていた。


 とろけた目で私の瞳を覗く瑠夏。私の視線は瑠夏の潤った赤い唇に落ちていく。


 果実のような唇を食べてしまいたいのは瑠夏も同じ。私たちはお互いの唇の距離を詰めて、花と花が絡み合うその時だった、私たちはお互いの唇を人差し指で制止した。私は瑠夏の唇を、瑠夏は私の唇を。


「「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」」


 私たちの触れ合いは幕を閉じた。


「華、今日はしたくなるの早い」

「瑠夏こそ」


 私たちは決してこれ以上致さない。

 完結しないからこそ生じるもどかしさ、じれったさこそ残り香は濃くなって私たちを中毒にさせる。


 私たちはお互いの関係を『触れフレ』と名前をつけて、こうして時たま会っては触れ合う。


 略称を解いたとして、『触れ合いフレンド』なのか『触れ合いフラストレーション』なのかは決まっていない。多分前者のつもりだけど後者も後者でその通りだ。


 とにかく、進みたくなった方が負け。今日は引き分けドロー


「全く、カラオケに来たというのになぁ」


 瑠夏はテレビ横に置かれた未だ一回も使われていない立てかけられた2本のマイクを見ながら面白おかしく言った。


 すると私たちの時間を遮るようにして瑠夏のスマホが木琴のBGMと共に震えた。画面には『山路くん』の表記。私は負け惜しみみたいな気持ちで「出ないの?」と瑠夏に訊いてみる。


「うーん、めんどくさい」


 瑠夏はスマホを指で弾いた。

 やけに滑るテーブルの上。スマホは私が小学生の頃に流行っていたハンドスピナーみたいにクルクル回転。それを眺めていると運命の車輪が巻き戻っていくみたいに私は瑠夏と出会った1年前を思い出して、笑みをこぼした。


 

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